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第16話 お庭番のおじさんと

「300円かあ……」 田舎育ちの俺からすると、景色を見るだけの古い庭園に金を払うのがわからない。 「きれいなお庭をゆっくり見られて300円って激安だよお!」 幼馴染みの志童ももちろん田舎育ちなんだが、こいつには激安だそうだ。うーん。 財布を覗き込み小銭を数えているうちに、志童が入場券を二枚買ってきてくれた。 「はい、天心の分。ここは俺が出しておくから」 「ああ、うん、サンキュー」 誘ってきたのはこいつの方だから、素直に甘えることにする。 「さ、行こ行こ! 今の季節はねー、あじさいが見頃だって」 志童はパンフレットを片手に、俺の腕を引っ張った。 ところがゲートをくぐる前に、お侍の格好をした男に止められる。 「犬猫等生類の持ち込みは禁止でござる! そこへ書いてあろう」 「この令和の世に“ござる”って……」 驚いたけれど、問題はそっちじゃなかった。 「俺たちペットなんて持ち込んでませんけど」 反論する志童に、お侍は真顔で言う。 「おぬしにどデカイ犬が憑いておろう!」 「え、おじさん見える系の人!?」 「おお、わしの目は節穴ではないぞ! 誤魔化しは効かぬ!」 「いやいや! この犬はペットとかじゃなくて犬神で……」 「それはますます通せぬな!」 志童とお侍の押し問答になってしまった。 俺も口を出そうかと思ったが、そこまでして庭が見たいかといったらそうでもないし。どうしようかと思っているうちに、志童は門の外へ押し出されてしまう。 「てんしーん!」 やつはフェンスの向こうから泣き顔で手を振った。 二人分の入場料を払っておいて気の毒なヤツだ。 (俺はどうするか……) 帰ろうかと思っていると、お侍が俺の斜め前にひざを突いた。 「御客人、あの者はお供できませぬ故、代わって私、中村左門がお供つかまつりまする」 「お供……?」 「ささ、こちらへ」 なんでか俺はお侍に付き添われ、庭園内を散歩することになった。 「こちらは樹齢百年のしだれ桜にござりまする」 「デカいな……」 「あちらの築山は小廬山と申しまして、かの儒学者・林羅山が名付けたものにございます!」 「ごめん。“つきやま”も“ろざん”もわかんねー」 「この丸橋の見える水辺の景色については、我が殿もいたく気に入られており……」 「どこらへんが魅力かはよくわからないが、そっか。ここは殿様も見た景色なんだな」 もともとたいして興味のない庭だが、お侍のおかげで退屈せずに済んだ。 それから庭園内を一周したあと、遠くに丸橋を眺めながら彼がつぶやく。 「……親方さま……」 夕日を背にした横顔は、なんだかひどくもの悲しく見えた。 「あのさ、お侍さん……中村さんだっけ? 徳川の世はとっくに終わって、あんたの親方さまも黄泉の国に行っていると思うよ?」 この庭園は江戸時代の初期に造られたものだと、入り口で見た看板に書かれていた。 「お庭番の役目は生きてる者に任せて、あんたもそろそろそっち行っていいんじゃないかな? きっと殿様も待ってるよ」 「天心どの……」 お侍は俺の質問には答えなかったけれど、夕日と一緒に彼の気配は消えていた。 「てんしーん!」 ようやく入れてもらえたらしい志童が駆け寄ってくる。 「さっきのおじさんは?」 「ん?」 「お侍のコスプレの人!」 「あー、あの人なら帰ったみたい」 「え、帰った?」 「たぶんなー」 俺は夕日の気配が消えた丸橋の景色を眺める。 満月の夜は丸い月と丸橋の作る円が、二重になってきっときれいなんだろう。 閉園時間を告げるアナウンスを聞きながら、ふと思った。 「はぁ。天心とお散歩したかったのに、知らないおじさんに邪魔されるなんて……」 志童は拗ねた顔をしている。 「いいじゃんまた来れば」 「……あれ、天心お庭に興味が湧いた? もう来ないっていうかと思ったのに」 そう聞かれると答えに困るけれど……。 「興味って言うか……。何百年大事に守っているのには、それなりに理由があると思っただけ」 次に来る時は300円くらい、気持ちよく払おう。 そう考えながら、俺は志童とともに庭園をあとにした。

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