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【番外編】第1話
大瀬はここのところ人一倍努力をしていた。
なんの努力かというとー…仕事ではない、メイクの努力だ。
「アイラインはこれ、アイライナーで書くの。つけまつげつけてから、アイライナーでアイライン書いて、粘膜もしっかり書く。そしたらマスカラで自まつげと馴染ませるの。わかった?」
「うん…」
ここ四日ほど、仕事が終わってから美香に頼んで自分でもメイクができるようにやり方をみっちり教わっていた。メイク道具は美香のおさがりや、自分で通販やドラッグストアを駆使して購入し集めた物があり、おかげで部屋は前に比べて女性らしさの増した部屋となっている。いろいろ女性ファッション誌を買ってみて読んだりしたが、服のコーディネートは参考になるものの、メイクに関してはこうやって美香に教わったほうがわかりやすい。ようやくコスメの名前と役割を覚えてきたところだ。
「まあでも、ようやく一人でできるくらいには上達したんじゃない?まだまだだけど」
「とりあえず、手順とメイク道具の役割は把握できた。あとはスキンケアも大事なんだね。頑張るよ」
「そうそう、ガサガサのお肌じゃ化粧乗りも悪いからね」
男なのであまり気にしたことがなかったが、スキンケアも大事だと教わり、それに関してもドラッグストアで気軽に買えるような、それでいてケースの中に陳列されている美香オススメの少しお高めのものを購入した。それを使い始めてから、たしかにお肌の調子がいい。今まで何もつけてこなかったために、差は歴然だった。
それは会社でも影響するほどに。
「あれ?大瀬さん、今日肌ツヤいいですね」
話しかけてきたのは新人のOL。まだ若くふわふわした雰囲気が特徴の女の子で、最近この子に限っては堀田が来る前からお茶を持ってきてくれるようになり、今日も朝早くからお茶を差し出してくれた。その際に言われた言葉だった。
「え?えっと…化粧水を、使い始めて…」
久しぶりに堀田以外の社内の人間に話しかけられたため、最初の言葉がひっくり返ってしまい少し恥ずかしくなるが、なんとか言葉を返した。男が化粧水を使うなんて変に思われるかもしれないが、驚いて咄嗟に出た言葉のために言ってからしまったと後悔する。だがその女の子はまったく気にも留めていないようで、パッと笑みを浮かべた。
「そうなんですかぁ?女子力高めですね!なに使ってるんですか?私最近乾燥ひどくて…参考にしたいですぅ~」
「あ、えっと…」
「大瀬さん」
商品名を思い出して口に出そうとした瞬間、女の子の背後からぬっと顔を出した人物…堀田である。その顔はいつも通り笑顔に見えるが…大瀬にはわかる、あの笑顔の中に不機嫌な堀田を隠していることに。大瀬は顔が引きつるような感覚を覚える。
「きゃっ!堀田さ~ん、おはようございますぅ。びっくりしましたぁ」
「おはようございます。驚かせてすみません。なんか、楽しそうでしたね。何のお話をされてたんですか?」
「えぇ~?ふふ、堀田さんには内緒ですよぉ。ね、大瀬さん。あとで教えてくださいね!」
たたっと可憐に去る女の子の姿を見送り、『ああ、怒っている』と声のトーンで察していた大瀬は、俯いたまま堀田の顔を見ることができずにいた。堀田はゆっくり大瀬の席の前まで歩み寄って、声をかける。
「大瀬さん、お昼空いてますよね?食堂で待ってます」
大瀬に拒否権はないらしい。
立ち去る堀田の背中を見ながら、べつに悪いことをしていたわけじゃないのに、悪いことをして叱られる前の子供のような気持ちで仕事に勤しみ、大瀬はお昼を迎えた。
◇
いつものようにふたりでグラタンを注文し、あまり人気のない食堂のフロアで、さらに人がいない端っこの席に座ると、堀田は不機嫌そうな顔を隠そうともせずにグラタンを頬張る。
「大瀬さんの浮気者」
「しないよ…」
「じゃあなんであんなデレデレ顔で女の子と会話してたの」
デレデレとは堀田がいいように変換しているとしか思えない。現にあのときの大瀬はなんて答えるかを考えることにいっぱいいっぱいで、女の子の顔すら覚えていないのだから。
大瀬は困ったような顔をしながら、グラタンをつつく。少しMarianoのグラタンが恋しい。
「最近、スキンケア凝ってて」
「スキンケア?」
「そう。それで肌の調子がよくなってきてたんだけど、それを気づかれて」
「うん」
「どこの使ってるのか聞かれて、答えようとしただけ。浮気なんてしないよ」
「ふぅん…」
説明はしたが、それでも堀田は不満そうな顔をしていた。
全部本当のことをさらけ出したが、まだ疑われているのだろうか。でもこれ以上説明のしようがない。こんなことで嫌われてくないなぁと大瀬が悲しい気持ちになっていると、堀田がはぁとため息を吐いた。
「悔しい」
「え?」
「俺大瀬さんの変化には敏感なつもりだったのに、気づけなかったのが悔しい。なんか負けた気分だな。たしかに大瀬さん、最近肌ツヤいいし、もちもちしてる」
そういって堀田の手が伸びてきたと思ったら、大瀬の頬をぷにぷにと触った。それだけなのに胸がどきどきして緊張してしまう。それでも嬉しくて堀田の手にすり寄れば、堀田が嬉しそうに笑みを浮かべた。
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