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第1話
水上都市エリプス=エリッセは香ばしい料理の匂いとゴンドラの船頭の声、そして観光客の喧騒とその他、大道芸人らの催し物で賑わいを見せ、すぐに気に入った。惜しくはあったが次の観光地へ向かうため別れを告げた。
潮風に茶髪をそよがせる青年・フォランは2時間弱乗っていた船から降りた。パラボレーと呼ばれる臨海都市で、流行や技術の最先端の土地だ。交通の便もよく、自然は少ないが流通には富み、資源は豊かであるため暮らしは快適なようだった。景観条例によって住宅地にある民家はレンガ造りと漆喰の壁、区間によって赤か青の屋根で揃えられていたエリプス=エリッセとは違い、パラボレー市街地は空を仰がねばならないほど高く聳えるビル群が森のように茂り、視界の端から端に高架橋が横切る。港のすぐ近くにある臨海公園をフォランは少し歩いた。空は赤く染まり、エリプス=エリッセを出てそう長くない間見ていた珊瑚礁の色に似ていた。海を眺望できるベンチに座り、パンフレットを開く。予定を立てていたわけでも、何か成したいことがあるわけでもなかった。
カモメが飛び回り、カラスのように鳴いたが、カラスと比べると幾分高く甘えた鳴き声をしていた。腹が減り、エリプス=エリッセで出港直前に買ったレモンクリーム入りの塩パンを齧る。あの水上都市ではレモンが名産品らしく、それらしいものは口にしていなかったため、出る間際になって買ったのだった。
臨海公園は恋人と思しき2人組や、犬の散歩をする人、親子連れらしき人々や、それから弦楽器を弾き語る人や凧を揚げている人などもいた。大きな公園で、暑い日ならば噴水やプールになりそうな遊水設備もあり、敷地を囲うような形のビルは1階がファストフード店や喫茶店になっており、公園で食べられるといったふうだ。イルカのオブジェにハトが停まり、フォランの膝には人慣れしたネコが座る。その丸みを帯びた背にパンフレットを置き、地図をなぞりながら夢想する。街の雰囲気を想像しながら現地の人々を眺めるのも好きだった。喉を鳴らし振動しているネコの狭い頭を撫でながら、塩パンを口内へ片付けるとパンフレットを畳んだ。くしゃみをしてからネコを脇に避けると、街へと入っていった。
◇
日が暮れていっても街中は明るく、歩道に植えられた樹々はブルーに光り、ビルの狭間から見える高速道路は下からピンクやパープルにライトアップされていた。眩しいほどの光を放つカーディーラーや、少し暗いブティック、ハイブランドのショップなどがある通りを抜けていく。高いビルを見上げながらぶらぶらと歩いた。片耳に何か切れ込みの入った猫が人懐こく立ち止まっている通行人に擦り寄ったり、店の前で寛いでいたり、柱にリードを括られ飼い主を待つ犬の温もりを借りて丸くなっていた。エリプス=エリッセの野良猫は毛並みは良かったが触らせることはなかったため、特に予定もないフォランは気が済むまで道の片側に寄ってクリーム色の猫を、暫く撫でていた。羽ばたく音が聞こえ、目の前の交差点を見ると信号機にカラスが停まり嘴にテーブルロールほどのサイズのパンを咥えていた。近くの若い男女2人組もカラスの嘴にある物について話していた。カラスは信号機の上で車や横断する人々を見下ろしていた。それが何故かフォランに「パラボレー市街は面白い」という印象を与えた。カラスは羽ばたき、フォランの少し先に舞い降りる。見せつけるようにバターロールが照り、黒い目がフォランと猫を向く。猫は既に成長しきっていたが、カラスは成猫も食うのだろうかと呑気に撫でていた手を止め、カラスに構えた。カラスはてってっと跳ねて、ビルの狭間の小道に入っていく。今からあのバターロールを楽しむのだろうか。なんとなく付いていく気になり、クリーム色の猫に別れを告げる。バターロールを咥えているカラスはてって、てってとビルの狭間のゴミ捨て場に向かっていく。カラスのバターロールも気にはなったが、それよりも気になったのはゴミ捨て場にされてしまった室外機の傍にあるドアだった。障害物を隔てた曇った笑い声が聞こえる。室外機の前に屈んで観察する。バターロールのカラスはまだご馳走には手を付けず、ゴミ袋を気にしながらも、てってと周りを跳ね歩く。青みを帯びた濡れた羽根が光る。若いカラスだ。フォランにバターロールを見せびらかすように様々な角度に首を曲げた。
「カラスちゃん」
ドアの奥の音は騒々しい。下卑た笑い声と酔っ払い特有の吃逆が聞こえている。カラスはフォランの呼び掛けに一度顔を向けただけでゴミ袋に執心だった。パラボレー市街地の番地名が記されている、指定されたものだった。
「あれ行ったほうがいいと思う?」
聞こえる声は1人ではなかった。会話内容は笑い声と同様に卑しかった。視線を感じ、室外機を見上げた。不機嫌な面構えの太った猫がフォランを半目で睨んでいた。ここで騒ぐな。さっさと出て行け。そのカラスをどうにかしろ。まるでそう言っているような、反対にそのようなことは取るに足らないとでも言っているような。長老然としている太った猫の脇を通り、ドアのノブに手を掛けた。逃げない長老は手を伸ばすとやっとのろのろと室外機から室外機へ渡り、ゴミ袋を気にするカラスを見下ろしていた。撫でるものを失い宙に残った手を下ろす。ドアノブを捻って中へと入った。電気は点いておらず、大きな懐中電灯ひとつで室内は照らされていた。
げひひひ!
酒瓶を持ったスキンヘッドの大柄な男の後姿がまず見えた。泥や油染みこそないが垢染みたタンクトップを着ている。それからくしゃくしゃに髪を乱した中背の男と、痩せ細った男の3人がフォランが入ってきたドアに背を向け、同じ何かを見ていた。
げひひひ!抵抗しねぇってことは、イイってことだよな?
中背の男もまた酒瓶を持ち、ぐびぐびと呷った。フォランは何をしているのだろうと3人に近付く。遠慮のない足音にも男たちは気付かず、3人の背後から何をしているのか覗き込んだ。薄汚い身なりの男たちの意識の的は女だった。衣服を乱し、蒼褪め、目を剥いて男たちを見上げている。縛られているらしく両手を後ろに回したまま、座り込んでいる。轡は嵌められていないくせ、凍ったように口は開いたまま固まっていた。
減るもんじゃねーんだ、カレシにもさせてるんだろぉ?
蒼褪めた女をフォランは見、それから3人の男を横から順に見た。女は声も上げられず、4人をひとりひとり顔を覚えるようにじっくり眺めた。
これはセックスだ!いいな!セックスなんだ!
っひょおおお!
びちゃびちゃとスキンヘッドの男の顎から酒が溢れ、太い腕が乱雑に拭う。痩せ細った男が興奮に満ちた奇声を上げた。
どうせレイプにしたって殺人じゃねぇんだ!すぐ出て来られるぜ!
それにそんな格好で誘ったのはお前なんだからなぁ!
指摘されてみてフォランは女の、黒いキャミソール型のインナーにシースルーの立襟シャツを注視した。デニムのミニスカートから伸びる長くしなやかな脚と、レースアップのブーティ。
いや…
赤のカラーが引かれた唇が小さく動いた。歯が鳴っている。真っ白になった顔と震えている膝。
「これ、そういうプレイじゃねぇの?」
フォランは女に問うた。3人の男たちはそこでやっと5人目を認めた。
誰だおめぇは!
いつから居たんだ!
ちくしょう!やっちまえ!
怒号と共に酒瓶が頭上を掠め、身を屈める。隙ができ、その間に腹部に入りそうだった足を避けた。痩せ細った男の振りかぶった酒瓶を細い腕を掴んで中背の男に渡した。びっくりして女も敵なのかと床に座る縮こまった姿を見下ろしたが、女は敵意も見せずただ怯えている。
なにもんだてめぇ!自治警団 か!
ガキが調子に乗ってんじゃねぇぞ!
どいつもこいつもジャマしやがって!
フォランは再びびっくりしながら酒瓶を躱し、脚を避け、痩せ細った男の背中を勢いよく蹴り、転倒する前にもう一度回し蹴りを顔面に入れた。その様を見て激昂し、向かってくる中背の男には、酒瓶を持つ手首を掴んで投げ倒すついでに自身もその上に転がり体重を掛ける。男の肉体を敷いたとはいえ背中を打ち付けた。まだタンクトップのスキンヘッドがいるため、起き上がった。
「ねぇ、おじさんさ、さっきからタンクトップから乳首透けてんだけど…誘ってるの?」
フォランは小さく溜息を吐いた。白いタンクトップに浮く二点の肉粒を直視出来ず、スキンヘッドの男の足元に視線を泳がせる。
「そんな格好で誘われちゃったし…ここってレイプしても殺人じゃないってさっき言ってたし…減るもんじゃねんだっけ?」
タンクトップの男は話を聞かず、酒瓶を振りかざす。身を傾けて躱し、鳩尾に一撃入れた。男は粘ついた体液を吐き出し、埃っぽい床が湿る。女の歯がかちかち鳴る音が聞こえた。フォランはスキンヘッドの男の吐いていた物を脱がせる。女が声にならない声を上げたため、女の存在を思い出した。だがフォランにとって、女のことなどどうでもよかった。大きく肥え、シミが浮かぶ荒れた尻を露わになった。尻たぶを左右に開き、興奮が冷めきれず昂った自身を取り出し男の肛門に突き刺した。
ぎゃぶぶぶっ、ぐぐぐっ…ぐうぅ!
「うわ、きっつ…」
筋肉の孔はフォランの茎を強く拒絶した。だが丸太のような腰に抱き付き深く楔を打ち込む。根元を輪状の筋肉が潰しにかかる。男は暴れた。白いタンクトップの間に掌を這わせる、肥えた肌を撫で回し、ぽよぽよとした胸の膨らみを揉む。陥没しながらもわずかに顔を出す粘膜の塊を指で弄ぶ。屹立を離そうとしないくせ拒む直腸と、強く食い締める筋肉。乱暴に穿つ。ぬるついた感触と、出し入れされてらてらと濡れた茎にまぶされる血。
ががっ…ぐぉおっ…
「おじさん…おじさん…おじさん…」
奥を突きながら男の胸を揉む。強い締め付けに動きが止まらなかった。ふと視界の横に入った女にナイフを投げる。エリプス=エリッセの記念刻印の入った物だ。女は悲鳴を上げた。
「ほら…っ、それでとっとと…帰ったら…ぁあ、」
女は両腕を縛られ自ら縄を断ち切れる状態にはなかったが、やはりそのこともどうでもよかった。タンクトップの男の腸内に勢いよく射精する。
ぐおおおっ、ぉごごごご…っおお…
余韻に浸りながら緩やかに残滓を塗り付ける。
殺してやる…!殺すぞ…!殺す!
掌に収まる柔らかな脂肪の固まりを楽しみ、揉み回す。
「減るもんじゃないし、透け乳首で誘ったのはおじさんだしカレシにもさせてるならオレもいいんじゃねぇのかよ」
抜ける間際まで抜き、根元まで貫く。拒む肉に擦られ、目の前が点滅するほど感じた。中に出した濃い白濁が男の孔から滴る。
殺す…!こちとら死んだって何もありゃしねんだ…
「ああ、ホント?」
タンクトップの男を肉茎に刺したまま、軽々と腰を支えて女の元に投げたナイフを拾い上げる。女は強姦魔2人に近付かれ一層強い悲鳴を上げた。金属の擦れる高い音。
「じゃあ死ねばいいや。解体セックスしよ?」
フォランのナイフが振り上げられる。
やめて!
女が叫んだ。足音が聞こえる。フォランは男の尻から自身を抜いた。懐中電灯の光の外にあったらしきドアが開いた。鮮明な物音が近くで聞こえ、女とフォランは強い光に晒される。
誰だ!
警戒と敵意に満ちた問いだった。
◇
柵の中で、キィキィと高く軋む椅子に座り、左右に揺れる。くるくると回ってから床に足を着いて止まった。最初は楽しかったが段々と飽きが来ている。女はその場で解放され、少し事情聴取をされていたがフォランは捕らえられ、自治警団詰所の牢に放り込まれた。椅子の華奢な背凭れを抱いて、またくるくると回った。
フォラン・アヒター、出なさい。
回っていた椅子を止める。詰所の者が牢の鍵を外した。潔白ではないはずの身の潔白が証明されたらしかった。詰所から出ると既に夜になっていた。街並みは煌めき、暗さはない。今がどのくらいの時間なのかも忘れていた。宿泊施設は今からでも取れるだろうか。高く聳えるビル群を仰ぎ、歩き出す。
「フォラン・アヒターだったな」
まだ伝え忘れがあったのだろうかと凛とした声に足を止める。振り返ると、先程通った通路の脇に同年代と思しき青年が立っていた。革靴にスラックスとホワイトシャツにネクタイ、ウエストコートという風采だ。見覚えのない細く鋭い眉と切れ長の薄い二重瞼に吊り気味の目元、通った鼻筋に形の良い薄い唇で冷淡な印象を受ける黒髪に空色の目をした美男子だった。フォランは首を傾げる。知り合いにはまずいない。自治警団詰所の者の制服ではない。
「誰ですか」
「名乗り遅れて申し訳ない。ベルフレイシェ・ボーダムだ」
一度聞き流した。声を掛けてきた男の端整な顔に見惚れてもいたが知らない名前だと高を括っていた。しかし次の瞬間には記憶していた知識が手繰り寄せられる。
「ボーダムと言ったらあれですな」
ベルフレイシェと名乗った美男子は片手を差し出したままで、握手に応じないどころか気付いてすらいないフォランに神経質げな眉を寄せている。
「知っているのか」
「名前くらいは聞いたことがありますよ。皆さんご存知の、あの有名な複合企業でしたっけね」
苛々としながら応じられなかった美男子の片腕は乱暴に落ちた。
「ところでボーダム社の人がオレに何の用ですか。採用でもしてくださるんですか」
「違う!お前が騒ぎを起こした…ッチ、お前が補導された廃ビルは我が社が管理していたもので……っええい!管理・監督を怠った責任は俺にある。巻き込んで申し訳なかった」
ベルフレイシェは捲し立てて謝った。フォランは腕を組み、ビル群や高速道路の夜景を見上げている。まだ言葉が足らないとでも思ったのかさらに続いた。
「婦女暴行事件を未然に防いでくれたことには感謝している…感謝したりないほどだ」
「なるほど…それで?」
ベルフレイシェは軽蔑を込めた眼差しでフォランへ向ける。謝りながらも強い態度に楽しくなり、その気もないのに舌が回った。
「…我が社で可能な限り、このご恩に報いる所存だ…」
呟くほどの大きさで吐かれた定型文にフォランは口の端を吊り上げる。
「いやぁ素晴らしい!…でも欲しいのは謝罪でも感謝でもないんだよなぁ」
仕立ての良いスーツの下から伸びる拳が白く震えている。育ちの良さげな美男の白い喉から絞り出される声に身震いした。
「金か…?」
「いいえ」
「地権か?」
「まさか」
「とすると、就職の口か」
「いやいや」
「ではなんだ!」
怒鳴られるが紅い目を見開いて黙って見つめていれば、目の前の美人はばつが悪そうに顔を背け態度を改めた。
「旅初日から何だか訳の分からないところで捕まってホテルが取れそうにないんだよな~、話し相手も探そうと思ったのに、残念だなぁ。パラボレーの思い出が、エリプス=エリッセの水道水みたいに苦くなっちゃうな~」
大袈裟に肩を竦める。また舌打ちが聞こえた。
「ホテルを取る、それでいいな?話し相手は…高級クラブのホステスでいいだろう?」
「なんとご立派な提案!でもそんなつもりじゃなかったのに…ホテルも取ってもらって高級クラブのホステスを寄越せだなんてさすがに悪い……ベルフレイシェくん?君が来たらいいんじゃないですかね?」
既に深く刻まれていた眉間の皺がこれ以上ないくらいに深く深く寄せられる。
「責任は誰にあるとおっしゃいましたっけね」
形の良い薄い唇を噛み、ベルフレイシェはフォランを睨む。くそ!と喚いてどこかへ連絡を取る。突き飛ばされるように背中を押され、夜景を反射させる黒の車へと連れて行かれる。その間ベルフレイシェは部屋の予約を入れていた。片手で端末を掴み、片手で車内にフォランを押し込む。そして腕時計を確認し、未来の時間を告げた。部屋番号を復唱している。2人部屋のオーシャンビュー。通信は終わったようだがフォランが声を掛ける暇も与えず耳元に端末を当て直す。命令口調ではあるものの沈んだ声音で「すまない」「申し訳ない」「悪かった」ばかりが印象的な会話だった。専門的な話に移るらしく、一旦会話を止めさせると運転手にホテルの名を告げ、会話に戻る。車は動き出し、ベルフレイシェは記憶を頼りに書類の場所を教え、それから別会社の名を言っていた。通信は切れ、溜息を吐いて端末をしまう。
「随分と景気がいいなぁ」
車窓の奥の輝きに満ちたビルやオブジェやブリッジ、ハイウェイを眺めてフォランは隣の美男に言った。舌打ちだけが返される。
「用が済んだらすぐに帰らせてもらうからな」
「いやあ、ベルフレイシェ君に付き添っていただけるだなんて、光栄の至り」
「ふん、知りもしなかったくせに都合のいい…!」
冷淡な顔立ちは不機嫌に燃えフォランのいない窓の奥を見ていたが、窓ガラスに映る男がガラス越しに挑発する。
「ちょっとベルフレイシェさぁん?貴方のお仕事はもう始まってるんじゃないですか?」
上質な生地に覆われた膝に置かれている手が再び震える。
「ああ…そうだったな…」
低く唸るような声を出して意外にも潔い返事をする。
「ベルフレイシェ君」
深く息を吐いてフォランを警戒している。
「ボクの相手を高級クラブに押し付けようだなんてね…いやあ、全責任はまったく、どなたにあるんでしょうか?」
「気分を害したと?謹んでお詫び申し上げる!この俺に接待されてもつまらないだろうが!」
自棄になったのか、広いとはいえ密閉された空間で、それも隣にいる者に伝えるには十分足りるほどに荒々しく喚いた。
「そんなご謙遜なさらず。こんな愉快なお人、そう居ませんよ」
乱暴に肩を抱き寄せる。抵抗されることも見越した力強さで、ベルフレイシェは反抗も空しくフォランの腕に収まった。怒りに身を戦慄かせている。フォランの息を飲むほど整った顔が悦に歪んだ。
ホテルに着き、車から降ろされる。ベルフレイシェと腕を組み見送る運転手に背を向けたが、少しの距離が開くと運転手が「若様」と呼び止めたため腕は解かれてしまった。お気を付けてくださいませ。運転手の耳打ちがしっかりとフォランにも届いた。分かっている、ご苦労だったな。運転手は辞儀をし、ベルフレイシェはフォランの隣へ戻ってきた。
「一緒に逃げちゃえば良かったのに」
空色の瞳がキッとフォランを射抜いた。ホテルのロビーに足が竦んでいるらしく歩きの遅い若様を引き摺り込み、カードキーを預かる。
「緊張してるの?」
予約されていた17階3号室を探し出し、カードキーを読み込ませ、ドアを開けると先にベルフレイシェを放る。敷居を跨いだだけでセンサーにより弱い明かりが点く。想像していたよりも広い部屋で、大窓一面海だったがパラボレー市街地の光は届かず淡い夜空と殆ど暗い海で、絶景の時間帯は逃していた。ワイドキングサイズの天蓋ベッドが大窓の脇で威圧感を放ち、2つ並んでいる枕に、フォランは不機嫌を隠そうともしないベルフレイシェの脳天から爪先まで何度も舐め回すつもりで眺める。
「ベルフレイシェ君、もしかしてボクの要求の意味、分かってた?」
「…?何か不満だったということか?回りくどすぎる。はっきり言え」
ベルフレイシェに無言のまま一歩近付いた。美青年は無言の男に表情を失った後怯えを浮かべ、近付かれた分一歩下がった。フォランもまた無表情で弱さを見せた獲物を壁へと追い込む。強張っている身体は逃げ場を失っていた。
「…な……んだ…」
強姦魔に囲まれた女によく似て、蒼褪めていた。唇が震え、目を剥く。
「オレにレイプされると分かってたのか、って訊いてんだよ」
壁から撥ねるように逃げようとした身体を抱き留める。背丈は僅差でフォランのほうが高かった。体格もあまり変わりはなかったが、筋力はフォランのほうがある。その自負もあった。被捕食者はぶるぶると震え、フォランは耳元で、覚悟はいいかな?と愉快に囁き、ついでに耳を甘く噛んだ。
「な…っ」
「ほら、ベッドまで行けって…」
腕に閉じ込めたままベッドまで歩かせる。固まったスーツ姿をベッドへ押し倒したところでベルフレイシェは暴れ出した。顔を耳まで真っ赤にして抗うものの、フォランが馬乗りになっているためベッドから身を起こせない。糊の効いたシーツを引っ掻き、一心不乱に強姦魔の下から這いずり出ようとするくせ、叶わないのだった。
「やめろ!放せ!どけ!」
髪を振り乱し、シーツは2人が重なる部分ばかりに皺が寄った。無表情になるといっそう端麗なフォランの顔がひとり興奮しきって蒼白から紅潮へ変わる美男子を観察している。晒される喉に噛み付きたくて仕方がなかった。この美しくもか弱い男の血飛沫を想像すると舌舐めずりした。傷口から溢れる血潮で際限のない渇きを癒したいと思った。冷汗に湿った凶暴な首筋に咄嗟に頭を突っ込んで肌を吸った。ライチの果実ような皮膚にライチの実のような痕が付く。
「ぁっ…!」
「かわいそ」
ネクタイを解き、ホワイトシャツの釦を外していく。途中で阻むウエストコートの前を開き、ホワイトシャツをスラックスから抜いて全て釦を外す。肌着に身に付けている黒のタンクトップの健やかさがフォランの一気に高まった残酷な気分をいくらか和らがせた。
「死んじゃったか?死姦するけどいいよな?」
天蓋ベッドの天蓋裏を呆然と見つめ、突然動かなくなってしまった獲物の頬をぺちぺちと叩いて確認する。息すらも止めていたらしく思い出しように呼吸を焦る。
「おっ、生きてるな」
荒い呼吸が耳障りでフォランは掌を口元に当てた。うるさいよ?と小さく言うが自身の過呼吸でそれどころではないらしく、掌に風が吹いた。きつく目を閉じフォランの腕を引っ掻く。
「可愛い。猫ちゃんみたい」
深い呼吸が落ち着くまで口元を掌に当て続ける。短く切り揃えられ、磨かれ、コーティングされているらしく艶やかに光る爪に皮が削られフォランの腕に何本もの線が引かれていく。
「はっ……っ、は…っ」
「もしかして心臓に疾患とかあるのか?」
「ないっ…!」
息を切らしながらだが随分と呼吸の戻っている獲物は口元を拭って答えた。
「あ~あ、嘘でもあるって言ってくれたらやめてあげたんだけどな」
首を掴んでタンクトップの裾をスラックスから引き抜くと汗ばんだ腹や胸を撫で回す。
「ぅう…っ、気持ちの悪い…!」
「じゃあ気持ち良かったらいいのな?」
まだ手を付けていないスラックスの股間部に触れた。
「よせ!」
「だろ?焦るなよ」
腹に手を戻し、綺麗な形の臍の周りを撫で回す。鍛えているのか引き締まった腰と固い腹の肉感が楽しくなり暫く指で突ついたり抓ったり、しっかりと割れてはいないが浮き出ている筋を辿ったりして遊んだ。
「放せ…!放せっ!」
過呼吸に体力を使い果たしたのか抵抗が弱まり、腹で遊ぶ手を除けようとした手をベッドに投げられるとそのまま動かなかった。
「責任って何?全責任は誰にあるんだろうな?君だと自分で言うけど、どうやって果たすつもりさ?君が身を差し出せばいいのならオレは責任を取らせてあげるんだから、感謝するくらいじゃないとだろ?」
タンクトップを胸までたくし上げるとベルフレイシェは上体を起こそうとしたが難なく寝かせられる。
「責任だなんてまたまた。責任の中にはある程度の力があるはずなんだよ。だのにこの状況で君に何の力がある?助けでも呼ぶか?ん?」
血色の悪い肌に慎ましく彩られた粘膜の粒に指を伸ばす。粘膜に触れたが乾いた皮膚では滑りが悪く、フォランは自身で指を舐めた。寒気によって凝っている肉粒を捏ねる。
「っ…っく、やめろ…気持ち悪い…放せ…!」
「当たり前だよ。レイプなんだから…まぁ、セックスに移行したっていいけどさ。どうする、レイプされる?セックスする?どっちがいいのさ。どっちがいいんだ?選べよ。オレにとっちゃ内容 は変わらねぇんだし」
肉粒を引っ張る。肉体の持ち主は呻き声を上げた。
「お前らは大概父親が母親をファックして産まれたんだから変わらねぇな」
反対の肉粒にもまた乾いた指先で刺激を与える。磨り潰して粘膜に押し付け、擦る。平坦な腹が呼吸のリズムを乱して凹んだ。
「さ、時間は十分与えたろ。答えろよ。レイプされたいのか、セックスするのか…いや、レイプされたいだなんて合意されちゃレイプじゃなくなる。セックス、したいか?」
肉粒を弄るのをやめた手でベルフレイシェの顎を掴んだ。首が仰け反り、誘惑的な喉の果実に再び齧り付きたい欲を覚える。十分な時間を与えたと言ってもたかだか数十秒でしかなくベルフレイシェは唇を噛み締めているだけだった。
「ほら、答えろ。責任取らせてくれる人間が目の前にいるんだから、もっとありがたがって?」
「お前とセックスなんて、死んでもごめんだ…!」
フォランの腕に爪が立つ。
「全く素晴らしいよ!こんな素晴らしい責任者がいるなんて!今すぐハメ撮りして、パラボレー市街地中のモニターに映したいくらいだな!」
燦爛としたベルトのバックルの留め具を外す。ベルトは引き抜かれ、ベルフレイシェのスラックスを押さえ込む手を叩き払って下着ごとずり下ろす。
「く…っぅ、」
叩き落とされた手はシーツを掴む。
「まるで神にでもなった気分だよ」
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