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第8話

◇  黒髪が揺さぶられている。整髪料の使われていない柔らかな毛が振り乱れ、獣の交尾によく似た体勢で前後に短い間隔で腰を突かれている。銀髪が黒髪の男の背を見下ろして笑う。  好き…、好き…っ  いやらしいな、ベルフィは。  貶める声は言葉とは裏腹に優しい。2人とも裸で、臀部と腰を密着させていた。華奢な体躯の銀髪が、目の前に四つ這いになっている者の引き締まった腰を掴み、互いの肉をぶつけ合う。  好き……ぁっあんっ、だめ…  レイプされて、イッちゃうの?  長くしなやかな左右の尻を割り開いて固く膨らんだ陰茎を大きく頬張る淡い色の粘膜を見せつける。物欲しげに収縮している。  うん、イっちゃう…っぁん、  ベルフィはいけない子だね  だめぁあっ、あっ…ああ…っ  銀髪の身体が結合している相手の背中に寄り添う。激しい肌の衝突。粘膜と器官の苛烈な交わり。  ほらベルフィ、強姦魔が見ているよ。  はっ、あっぁっあっアァっぅん、あんンっ  最低!最低だ!君は最低だ!  息苦しさに抜けていった鼻息で意識が浮上する。眩しさは感じられたがまだ完全には目が覚めなかった。淫夢に下腹部が疼き、同時に額を細い線のようなもので締め付けられるような頭痛が走る。  やだ、やめろ!離せ!離せっ…  死にかけの蝉のような格好をした黒髪が四方から引っ張っられ、しなやかな脚の間に見ず知らずの巨漢が侵入していた。擦り切れと痣が残っているはずの手首を掴み、巨岩のような尻を振りたくる。  いやだ、よせ…!よせ…っ  見覚えのない痩せた身体が現れ、喚く口を下半身のもので塞いだ。乱暴に口内に肉棒を出し入れする。涙で濡れる頬。  うぅ…う、ぅごご、ぁぼぼぼ、っぐぷ、んむ、  叫びは妨げられ、貪られていく。いつのまにかやって来たどこにでもいるような中背の男が無謀な胸部や腹部に横から隠棒を擦り付けた。  うぅう…!うぅ…ごぶぶッ…ぁ、がっぁぐ…  巨漢は腰の骨を砕くのではないかというほどピストン運動をはじめ、痩せた男は頬に粘液をなすりつけ、中背の男は空いた手で扱かせる。食われていく。  産め、産め、魔憑きのガキを産むんだ  おら、孕め。孕み袋に汚ねぇ汁たくさん出してやる。  ずっぽり咥えやがって。ずぼずぼされて気持ちイイのか?好きもの穴め。  餌食は濃い精液を身体と体内で受け入れ、がくがく震えて悦楽に身悶えながら外部から刺激されてもいない陰茎を破裂させた。  男たちその淫靡な姿態に誘い込まれ、再び欲の限りに目の前の美食にありついた。  背中一面が寝汗で気持ち悪い。その感覚はあるくせ、まだ目は覚めなかった。喉が渇き、鼻の奥が沁み、胸が苦しい。  大量の種汁を体内に注ぎ込まれた裸体はぐったりしていた。意識のない美しい青年は四肢を投げ出し、下腹部が膨らんでいる。あらゆる部位が白く濁った粘液で濡れていた。小さな山になった腹がさらに膨らんだ。内部から、一箇所に圧がかかったように形が歪み、次の瞬間には戻っている。そしてまた別の場所が飛び出し、元の膨らみに戻る。青年は意識を取り戻さない。腹がまた膨らんだ。青年の身体は下腹部だけ大きく張り出る。内部からの圧迫により形が変わる。何かを身籠っている。青年は目覚めることなく、弛緩していく。顔が転がるように首が曲がり、指が伸び、足は踵を支点にしたまま爪先が外側へと開いていった。腹は内部で荒れ狂っていた。皮膚が破れる。体液が溢れ、精液を洗い流していく。腕が這い出て、産声は、上がらない。裂け目から茶髪が見えた。紅い瞳がボロ布と化した皮膚の切れ端から眈々と、フォランを窺っている。だが産まれたのもまた、フォランだった。  や…だ…やめて、くれ…  己が腹から出てきた男の両手で白い喉が掴まれる。空色の虚ろな目。泡が口から浮かんだ。  やめ…ろ……やめ、て…  背面から交合している最中、頸を吸う時に上げる細い声。行為の中で、最も無防備で、身を委ねた時。いつの間にか、産まれたてのフォランは全裸の青年を犯していた。青年は同い年頃の嬰児の腕から逃れようとしている。  いやだ……やめ、ろ……あっ、ぁあ…  青年が這うたびに、産まれたての嬰児は腰を結合させたまま追い縋る。青年の腕は数歩で止まる。逃げ惑った先のハイヒールが、骨張った薄い手を踏む。  シャーリィ、シャーリィ…!シャーリィ…たす、け…  赤い塗装された小さな斧が振り下ろされる。首が黒髪を靡かせ転がった。空色の目が、フォランを見る。 「ボーダムさん!」  飛び起きる。腹が重かった。 「…ぅん、なんだ…?」  両腕を枕にし、フォランの腹に頭を預けていた短髪の美男子が眠そうに目瞬いている。何か思い出したように目を見開いた。 「あぁ、よかった。びっくりした…」  腹の上に組まれている腕に触れた。 「どうしたんだ」  腕に触れた手は払われた。 「嫌な夢みた。せっかくあんたが添寝してくれてたのに」 「添寝じゃない…!」  顔を赤くしてフォランを睨む。目の前で貪り食われた夢の中の姿に重なる。残酷な欲求をくすぐるが、恐怖心ゆえの好奇心でしかなかった。この男にあのような真似は出来ない。他の者から乱暴に扱われ、無理矢理に肌を合わせられ、皮膚を吸われ、髪を散切りにされたこの男に手が伸ばせても、力強く鷲掴むことが出来ない。傷付けた爪から剥がされそうだ。それだけでなく指先も灼かれてしまいそうだ。 「なんだ。そんなに怖い夢だったのか」  黙って俯くフォランの顔をベルフレイシェは不安げに追う。罠に嵌めたみたいだった。近付いた薄い唇を塞ぐ。あの銀髪の青年を責めることが出来ない。夢の中の男たちも、結局は己の願望の一角なのだ。無垢なこの男を、汚したい。何が無垢なのかも知らないくせ、この男はフォランの中で無垢に違いなかった。シャールファシーは何を恐れていたのだろう。この男の中に何を見出したのだろう。汚したつもりになっていた。 「フォラン…」  驚きに見開かれるアクアマリンの宝玉を前に隠し事は出来なければ嘘も吐けなかった。この男にではなく、自身に。 「ごめん、ごめん……ごめん」  唇を押し付ける。ベルフレイシェの両肩を掴んで、離せない。ガラステーブルとダイニングテーブルセットの間に押し倒す。 「ごめん…、ごめ……、好き、あんたが好き…」  あの銀髪の青年の心情が分かってしまう。分かった気になれてしまう。動かない唇の機嫌をとるように角度を変えてキスする。ベルフレイシェに両腕を掴まれていた。 「な……ぜ、だ…」  呆然とフォランを見上げ、口付けを赦しながらベルフレイシェは呟いた。 「ごめん……」  お人形だから。身体を気持ち良くしてくれるから。綺麗だから。理由を探す。母親だった女の言葉が全て正しいように思われた。 「お人形は、オレの、ほうなのに、」  傷付けたくない。泣かせてしまったら、きっと苦しい。この者に対して自身の無力さを知るのが怖い。下腹部の凶器が欲を伝えてくる。だが夢の中でそうされていたように生き餌になどさせたくない。考えただけで寒気がした。 「ごめん…許して……約束は守るから…」  ベルフレイシェの顔を見られなかった。彼はただ驚きに目を丸くして、眉を下げるフォランを見上げていた。何か言いたそうではあったが、言葉が出てこないらしく、幾度も啄ばまれた唇は半開きになって乾いている。狼狽えながらもやっと見ることのできたその口元に、約束の話だとフォランは思った。 「妹からは、離れないから……」  妹も、目の前の男のようにされたのだろうか。過不足も分からない想像に、思考は拒否される。おそらく想像を絶する。分かるのはこれだけだった。そして、唯一の理解者は、仇となってしまったということ。理解者であると安堵していた。だがその安堵に間違いはなかったとも、気付いたのだ。同類だった。 「フォラン…待て、」  この飼い主の忠犬にはなれない。愛玩動物になれたならそれでよかった。だが忠犬になりたかったのだ。この飼い主の手を噛むどころか骨まで舐めしゃぶりたくて仕方がない。そして後悔に身を焼かれるのも分かっている。うっ…うっ…と呻いてフォランはベルフレイシェの上から逃げ出した。 ◇  3日間通い詰めると、面会謝絶が解かれていた。久々に見た銀髪は随分と艶を失っていた。果物籠を見せると、ガーゼでほとんど隠れた微笑を浮かべる。ベッドサイドチェストにはすでに大きな花束や、果物の盛り合わせが置かれていた。フォランが3日前に持ってきた小さな花束や、2日前の菓子折り、昨日のクマのぬいぐるみも飾られている。病室の前に置いていったものだ。 「座ってください」  壁に立て掛けてあるパイプ椅子を勧められる。上半身部分傾けられるベッドに背を預けている。 「まさか貴方がいらっしゃるとは思いませんでした」  翠の目が真っ直ぐフォランを向く。どこか敵意すら滲んでいる。 「そうだろうな。まるきりアンタとは関係がないんだし」 「…関係が無くは、無いでしょう。僕が無理矢理、関係を持ったんだから。貴方と、彼との間に」 「どっちかっていうと、それはオレのほうだろ。アンタらにはそれなりの関係あったろ。オレが割り込んだんだ。…雁字搦めのアンタを、きっとオレが刺激したんだな」  病衣がよく似合っていた。膿んで腫れている口角が上がっている。 「僕の浮気ってことになっているんですね。驚きました。間違いじゃないけれど、もっと、重大なことなのに…卑怯なことをしてしまった…」 「…あの人のこと、好きなのか」  微笑が消え失せ、包帯とガーゼに挟まれた双眸が遠くを眺めてから俯いた。 「そんなことを訊いてどうするんですか。好きな人を、強姦すると思いますか。それは果たして、好意なのか…僕にはもう…」 「他の奴らの意見だの、アンタの理想の好きのカタチは関係ねぇよ。好きか違うかって訊いてんの。どうなんだ?」  霜柱によく似た睫毛が伏せられる。ガーゼの下の傷口を指で引っ掻くよりも痛そうな顔をした。 「強姦魔に、そんなこと訊かないでください」 「訊くさ…オレだってそんなもんなんだから」 「彼の恋人だとお聞きしているんです、貴方のこと。そんな貴方に言えることじゃないですよ」  弱りながら、確かな矜持を守ろうと呻きに似た、しかし険も帯びた調子で、包帯に制された眉が歪む。 「オレのことが、疎ましいんだ?」 「…貴方の訊いた通り…好きでした。ずっと好きだったんです、一目惚れでした。今でも、まだ…。疎ましいどころではありません。目障りで仕方ない…」  フォランから顔を背ける。骨の浮かぶ首や耳にもガーゼが貼られていた 「――だなんて、言える立場にはないんです。僕はまだ、シャールファシーさんの婚約者ですから」 「まだ?」 「時間の問題だと思いますよ。このまま続いたとしたって、結婚し子が産まれて、鎹(かすがい)にされ、強姦魔の父と、その強姦被害に遭った伯父を持つことになるんです。母の立場はどうなります?隠し通せると思いますか」 「強姦云々は分かんねぇけど、浮気のほうは、どうだろうな」  正直なんですね、と銀髪の青年は呟いた。 「恋人じゃないからな、オレたち。恋人だとしても、もう違う。もともと違うんだ。恋人じゃない。何の関係もない…だってあの人は多分アンタのこと…」 「やめてくださいよ。何を言い出すんですか。僕はシャールファシーさんの婚約者です。少なくとも今は。これからのことは分かりませんが。彼も貴方が別れるというのなら社長が政略的なお相手を探すはずです」  銀髪の青年はフォランの言葉に首を振った。掛け布団の上の両手の指が絡む。 「来てくださってありがとうございました」 「…色々と、悪かった」  あの冷淡な顔立ちの美男子の傍に居られるだけでよかったのだ。この青年は。宝石店で見た笑みはそういうものだったのだ。その覚悟を刺激してしまったのだ。フォランは拳を握って、口を結び、病室を出た。その足でシャールファシーの元に向かったが、彼女は保釈されていた。ボーダム社の社長である母親と共に暮らしていると話していたが、シャールファシーの住まいは知らなかった。ボーダム社に寄ろうかとも思ったが、全てを話すことが出来そうになかった。近くのディスカウントショップで安酒を買い込み、オオワシのオブジェが目立つ公園のベンチで呑んだくれた。化学薬品ばかりの安いアルコールは静けさを与えた。園内は人が沢山いて賑わっていたが、その人気(ひとけ)から離れて缶を空けていく。内臓が強いのもおそらく遺伝子を操作されているからだった。悪酔いしやすく、濃度の高い安酒を何缶も空けなければ酔うことはなかった。何十缶も空けなければ酔っ払うことは出来なかった。フルーツの味付けがしてあるくせ、ほとんどその甘みはなくアルコールの苦味と鼻の奥が沁みるような異臭ばかりだった。焦点が一点に、特に何でもない木の枝に絞られる。何も考えることはない。ただ一点を凝視する。妹のことも、実妹のことも、冷たい美しさのある温かい男のことも。不安の種を探してやっと見つかった。精子提供者が亡くなった。エリプス=エリッセに着く前の町でそう告げられた。掛けた番号は使われていなかった。何故思い出さなかった。思い出すことだったはずだ。真っ先に。自分を守ってくれる者はもういないのだ。帰れば、本人の同意を求められ、誰からも必要とされないまま…  力は抜け、横になる。目蓋がゆっくり開閉するだけでネガティヴは打ち切られる。何か不安があったはずだ。だが思い出せない。好奇心と不穏の残滓がアルコールによって覆われた不安の尻尾を探っていき、思い出したところでそのことについて考えることを放棄していた。眠りそうだった。廃棄処理の同意書にサインを求められたら快諾しよう。今までのことを詫びよう。潔く、せめて最期は潔く、自身が遺伝子を編集されたことを悔いて、長い人生を歩めたことを母親だった女に感謝しよう。そうすれば、これからはそういった子が生まれずに済む。せめて母親をやっていた女が少しの間でも楽しくいられたならば、そのことを抱いて眠ろう。遺伝子を組み替えられても、母親の満足する子には育たなかった。そのことを詫びて、死のう。目蓋が開かなくなり、薄めの中で、じっと枝に残った葉を見ていた。あの美男子のことだけが頭に浮かんだ。  お兄ちゃん、お兄ちゃん…あたしお兄ちゃんのこと、絶対に許さないからね。  霞む視界の中で、あまり感覚はなかった。自身の足で歩いているのか、夢の中で歩いているのかも分からない。足元が浮いているようで、歩道でも車道でもこのような舗装はそうないというほど凹凸しているように感じられたが、アルコールの影響にも思えた。  絶対に、絶対に許さない。あたし、殺すって言ったよね。  同意書のサインをしなければならないと思った。保護者であり卵子提供者はサインを済ませ、精子提供者は病没した。癌と糖尿病だと聞いている。そして遺伝子編集をした責任者も真っ先に保証人としてサインしていた。あとは本人と。配偶者はいない。子もいない。  お兄ちゃんのこと、絶対…  安心していた。夢か幻か、もしかしたら現実からの囁きに。聞き慣れた、まだ幼さの残る少女といえるほどの女の声と話し方。  でも兄さんはきっとそんなこと望まないから。これ以上はあたし…せめて…  カールした毛先が見えた。栗色の髪だった。妹だと思ったが、妹ではない。しかし妹によく似ている。何度も兄と口にしているではないか。泥濘(ぬかる)んだ足元へ妹に支えられるまま踏み入っていく。1人にさせてはいけない。妹の名を呼ぶ。彼女は円い目を大きくしてフォランを見た。  よく似合ってるよ、兄ちゃんとお揃いだな。  毛先へ伸ばした手は弾かれた。いつか兄離れする日が来る。父親というものがないから、反抗の矛先はきっと兄に向く。そう思った。それまでは一緒にいよう、見守ろう。悪い虫を払わなければ。仲が良いと、母親も喜んだ。  そうだ、アイス買ってやる。好きだったろ、3段になってるやつ。チョコミントと、ストロベリーと、あのチーズが入ってるやつな。  久々に会えたのだから。華奢な肩を掴む。見ず知らずの男たちに話しかけられて馴れ馴れしく肩を組まれていた時は思い余って殴り掛かってしまったことを思い出す。予報にはなかった冷え込みにジャケットを貸したこともある。男たちに怖い思いをさせられたら、風邪を引いて高熱を出してしまったら、怖かった。腹が空いていたら、食べたいものを我慢していたらと考えると喉を縊られるような苦しさが襲った。  要らないよ、そんなの要らない。欲しいのはお兄ちゃんだけ。兄さんに必要だったのは、お兄ちゃんだけだったんだから…  断片的な光景だったが、それでもフォランは満足だった。涙がはっきりとしない足元へ落ちていく。必要とされている。兄として。妹に。妹殺しのくせに。妹は、死んだのか。隣の娘は誰だ。淡いブルーの瞳、カールした長い髪。死んでいないではないか。悪い夢を頭の片隅に残していたのだ。自署(サイン)に怯えることなど、何もなかった!  兄さん、綺麗でしょ…?何より綺麗なんだから…優しいでしょ?どうしてあの人を傷付けるの……素敵でしょ…?素敵なんだよ。好きだって言え。あの人が好きだって……本当に好きにさせなきゃ…  餌を捕まえる直前の爬虫類に似ていた。必死の形相が美しかった。自身に無いものを持った健やかな美しさ。罪悪感にも似ていた。忘れてはいけないとは思っているはずのものが頭に引っ掛かって結局出てこない。喜びの涙を流しながら身を震わせた。  レイプ野郎が好き勝手な恋愛していいワケないよ?ねぇ、レイプした兄さんは素敵だった?(かぐわ)しかった?気持ち良かった?最低なレイプ野郎はね、一生あの人のお人形なんだから…  妹がきゃははと笑った。猫のような声で愉快そうに笑うとフォランも嬉しかった。胃の気持ち悪さに唸りながら喜色満面に咽び泣く。妹が楽しんでいる。愉快そうだ。それほどに救われた気分があるだろうか。  罪業の吐瀉物め……オプションが欠けた性欲のお人形ばっかり。あたし、お兄ちゃんみたいな優しいお人形さんなら大歓迎!あたしお人形さんのこと、大事にするね。綺麗にしてあの人に返さなきゃ…  ああ…オレは肉人形だよ…  喜びに震え、妹はひどく優しい顔をしてフォランを見た。可愛らしくて堪らない子犬や子猫を見た時のような恍惚の表情を浮かべている。これ以上の喜びはなかった。必要とされている。必要とされている人形になる。 「わん、わんわん…」 「ばうばう、でしょ?」  小さな顎を掬われ、柔らかく両頬を摘まれる。片手にはジャーキーが握られていた。 「ばう、ばぅうん」  妹の前に寝転がって腹を見せる。妹は眉を下げ、ジャーキーをフォランの口運ぶ。だが口内に入る前に引かれた。 「わんわんわん、わん!」  フォランは首輪を付けられ、シャールファシーの部屋にいた。大きなベッドの足に首輪の付いた鎖を繋げられている。 「兄さん以外の前でそんな真似したら殺すから」  起き上がるとペティナイフの冷たい刃が頬に当てられた。わんわん!と鳴くとジャーキーが口内に突き込まれる。 「誰も帰って来ないよ。母さんに助けを求めようだなんて思わないこと。帰って来ないんだから。あたしとお人形さんの2人っきり。兄さんもここには寄らないんだし……可哀想なお人形さん…」  ジャーキーを床に落とし、床に舌を這わせるフォランの茶髪をシャールファシーは撫でる。 「ねぇ、あのハイエナリスペクトの卑劣漢に会ったでしょ?生きてたんだ?何て言ってた?どうしてあたし、ちゃんと息の根を止められなかったんだろう?あたしって最低!」 「――は最低じゃないよ。最低なのは兄ちゃんだよ。自分を責めちゃいけない」  鎖を軋ませ、ジャーキーを忘れ、落胆する妹の前に座った。 「レイプ野郎なのに!絶対同じことをするに決まってるんだから!レイプして兄さんを手に入れた気になりやがって!殺してやる!今からぶち殺してやる!」 「君みたいな可愛い子が1人で出歩くな。強姦魔に殺されちゃうだろ!いくな!おうちにいよう、な?」  血走った妹の目が床を見つめている。両手を握り締め、震えている。 「母さんは神様に恥じるなって言うのに、神様はどうしてレイプ野郎を焼かないの?あたしたちは父さんが母さんを陵辱(ファック)して産まれたから?お人形さん、あたしもあのバカ男に陵辱(ファック)されるの?」 「兄ちゃんが焼き殺す。兄ちゃんがお前を傷付けるもの全部焼き殺してやるからな。兄ちゃんはそのために生まれたんだから」  自身の爪で掌を傷付ける小さな白い手を握る。妹は唇を噛んだ。 「ダメ。お人形さんは兄さんのなんだから。兄さんがお人形さんと幸せに暮らせるためにあたしはね、生きるワケ。兄さん、綺麗でしょ?」  蒼褪め、焦燥した様子で妹はフォラン越しに虚ろな眼差しを向けていた。 「兄さんは綺麗でしょ?兄さんが好きだって言いなさい!兄さんは誰よりも素敵なんだから!好きって言いなさい!何より好きだって言いなさい!」  取り乱した妹にフォランは怯んだ。何を言っているのか分からなかった。 「……っ?」 「好きだって言いなさいよ。あのバカ男ね、好きだ、好きだって、愛してるって言いながら兄さんのこと……っぅぐ、」  妹は口元を押さえてゴミ箱へ向かっていった。嘔吐(えづ)きはしたが吐瀉はせずに戻ってくる。 「恐ろしい!怖い!助けて、お人形さん……あのバカ男は!あのバカ男はきっとあたしとの間にデキた子供を兄さんとの子供だなんて思いながら……気持ち悪い!レイプ野郎がマトモな人間だと思ってるの?兄さんの血を引いた自分の子供も犯すに決まってる!あのレイプ野郎…!殺すしかない……殺してやる…レイプ野郎にレイプされる前に、この腹も…」  フォランは口を開きかけた。ペティナイフの刃の背が当てられた。 「余計なこと言うなよ…お人形さんは、兄さんのお人形さんなんだから…」  虚ろな目が冷たくフォランを突き離す。ペティナイフを下ろし、手の甲で無抵抗な頬を打つ。この妹にそうされるのが当然だと思った。顔を伏せ、次の一打を待つ。 「兄さんがどんな屈辱を受けたか!お人形さんに分かるのか!どんな想いで!お人形さんの腕に抱かれて連れて来られたのか!どんな想いで!お人形さんの!仕打ちに耐えたのか!お人形さんなら!分かるのか!」 「…ごめんな、お前の気持ち分かってやれなくてごめんな。兄ちゃん、兄ちゃん失格だな」  掌が勢いよくフォランの顔を打つ。乾いた音が静かな広い室内に響く。 「やめて!兄さんと同じこと言うな!……ううん、お人形さんは兄さんに近付いてるんだ。聖堂の先生も言ってた…愛とは感化されて、均されて、同化していくことだって……兄さんを愛してるんだよね?あたしが言わなくたって…」 「兄ちゃんはお前が大事なもの全て大好きだよ」  妹は双眸に水の膜を張って、フォランを見下ろす。 「ごめん、お人形さん。兄さんの可愛いお人形さん」 「お前が謝ることなんて何ひとつ無いよ。悪いのは兄ちゃんなんだ。許してくれ…兄ちゃんを許してくれ…」 「お人形さん」  妹はフォランに抱き着き、胸にしがみついた。 「兄さんのこと愛して……それ以外何も要らないから、兄さんの可愛いお人形さんでいてよ…」  フォランの胸を叩き、妹は咽ぶ。 「愛する。愛するよ」 「あたしに言われたからじゃ、そんなの愛じゃない!」  銀髪が揺れた。フォランの頭のずっと奥で。愛について語られたことがある。あの者は何と言っていたか。微風に梳かれた銀糸が揺れ、珊瑚礁を透かした翠が眇められていた。妹を傷付け、妹に傷付けられた者だったような気がする。妹はそして葛藤していたのだ。自分自身の差別意識(こだわり)に。 「愛だよ。苦しんでるんだな?愛せなくて、苦しんでるんだな?」 「だって兄さん、汚されちゃった!泣いて嫌がって!あたしは終わった映像を!終わった映像を黙って観てるだけだった!ああああ!あたしはっ!あたしは兄さんが叫んで嫌がって縛られるところをあっああ…!」  思い出したくないが、だが1人知っているということに不安と孤独を覚えたことがフォランにもあった。口にするたびに意図しなかった、予期しなかった鮮明な感覚に囚われる。妹は爪を噛み、眉を歪めて泣いていた。 「頭鷲掴まれて、ハサミが!兄さんの綺麗な髪がね…!……っ」  突然黙り、フォランを突き撥ねる。濡れた双眸がフクロウのようだった。転がって、何も映さない。ただ潤って光る。 「どうしてレイプしても許されるのに、1人ぶち殺したらいけないの。焼き殺してくれないならあたしが殺さなきゃ…兄さんをレイプしたんだから……殺さなきゃ……八つ裂きにしなきゃ…牛さんを4頭飼うの……英雄の牛さんなワケ。ステーキになんてしない……レイプ犯がのうのうと許されて、一体許されることに何の意味があるの…」  妹はひとりぶつぶつ呟いた。フォランに知らない名で呼ばれ、彼の存在を思い出したらしかった。視界には入っていたくせ、まるで人形の存在を忘れていたようだ。 「お人形さん、兄さんのことよろしくね。お人形さんのこときっと忘れない」  妹は映画で見たことある、歩行腐乱死体(ゾンビ)同様に両肩を落とし、上体が不安定に揺れながらのそりのそりと部屋を出ていく。フォランは実妹の名を呼んだ。扉が閉まってもずっと呼んでいた。喉が摺り切れても呼んでいた。 ――オニイサン、ぼくらは秘密の研究で産まれたけど、あいつらだって、人の脳味噌に電流通して記憶消すだの作り替えるだのだなんて狡い研究してるんですよ。知ってましたか。

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