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第7話

 深く眠っているベルフレイシェに布団をかけ直す。彼が激しい快感に身をのたうたせ気を失うと、フォランもゴムの中で射精し、シングルベッドの脇に座って寝落ちた。劣悪な環境でも眠れ、そういった種の保存に有利に操作されていた。だがおそらく天敵のいないこの時世だけだろう。戦争が無くなり、まだ数年しか経っていない。故郷は吸収合併され、通貨は変わりつつあり、住所の表記もゴミの分別も変わった。戦争といっても軍人だけで済むものだったが、民間からも動員されたなら、緊迫感もなく寝こけて戦死しているのではないかと時折思うことがある。  部屋の隅に転がる淡いグリーンのペンをティッシュで拭き取る。口を縛ったコンドームとティッシュだらけのゴミ箱に捨てそうになって、ポケットにしまった。ハウスキーパーが来る前にゴミ袋を付け替えた。シャワーを浴びると雑な字で書き置きを残し、ベルフレイシェの自宅を出て行った。  バスに乗り、隣の区にやって来る。中央署でシャールファシーに会いに行く。フォランが入ったことのある面会室とは少し違っていた。シャールファシーが現れた。すぐ目の前にいるが分厚いアクリル板が声を妨げる。右手には大きな絆創膏が当てられていた。ガーゼを当てたフィルムの下に血が滲んでいた。俯きがちにパイプ椅子に座った。受話器を取ると、相手も受話器を取り、スピーカーの機能にすると台に置いた。シャールファシーはフォランを見ず、受話器に話し掛けている。1秒ほど遅れて受話器が喋った。 「来てくれてありがと」 「少しは落ち着いたか」  シャールファシーは頷いた。 「このペンに見覚えは」  躊躇いはあったが兄の体内に残されていたペンを見せる。万年筆になっていた。シャールファシーの淡いブルーが不穏に揺れた。 「兄さんが、昇進祝いに贈ったやつ。あの男、それ、突き返しでもしたの?あたしには何の未練もないから、新しい好い人のところに行くって?」 「いいや……いや、ちょっと拾ってさ。何だろうと思って…」  兄の体内に残され、苛んでいたなどとは言えなかった。 「……あ、そ」 「ここにいると、みんなが敵みたいに見えるんだよな。優しかった人たちも、なんか…自白しろって言ってるみたいで。自白することなんて何もないのにさ」 「お兄ちゃんも昔ワルかったワケ?」  然程興味は無さそうだった。反抗期のような態度が愛らしい。アクリル板を隔て、銀の腕輪さえなかったら。 「はは、聞きてぇ?」 「ホントはお兄ちゃんが、あたしに訊きたいことでもあるんじゃないの」 「どうだろうな」  目を逸らしていたシャールファシーはフォランの顔面を捉え、突然笑みを浮かべた。 「浮気ですわ。女が男を殴る理由なんて他にございまして?お帰りになって。他に話すことなどございませんわ。あたくし、浮気されてとても傷付いていますの」 「分かってる。分かった上で、訊いてんだ。オレには隠さなくていい」 「ホントのこと言ってどうなるのさ。無理矢理暴かれた身体がどんな興奮材料になるかも知らないんじゃないのあんた。辱めて追い詰めて、モノみたいに扱っていい汚れたものみたいに…あたしは……あたしは兄さんのこと、なんで…あたし兄さんのこと、もう…あたし……」  兄さんのこと、普通の目で見られない。そうゆっくりと、引き攣った声で続いた。 「思うかよ、そんなこと。お前がそんなでどうするんだよ。どういうつもりであの"鍵束"を握ったんだ、何を想ってあんな物騒なもの持ち出したんだよ。混乱してるんだ、今は」  受話器にしがみつき、髪が顔を隠した。 「兄さんのためじゃない…あたしをぶち壊したから…兄さんを辱めて、あたしをぶち壊したから……兄さんのためなら、あたしは、あたしは知らないフリしてた。お兄ちゃんと別れさせるつもりでいた…きっと…多分。あの怒りとね、恐怖を少しでも鎮めるためにはね、あの男を殺すしかない…ねぇ、あの男はまだのうのうと息をしてる?」 「分からない」  アクリル板の向こうで栗色の髪が乗る両肩が跳ねている。くっくっ…と嗚咽とも引き笑いともいえない音を受話器が拾う。 「オレはあの男を責められない…シャーリィ、よく聞け。ここでこんなことを言うのは心苦しいけど、オレと君のお兄様は…っ」 「お帰りになって!何もおっしゃらないで。…聞きたくありません!」  受話器が戻される。シャールファシーは下を向いたまま出て行った。すれていくのだ。経験している。署を出て、病院へ向かったが、会える状態になかったため、ベルフレイシェの自宅に帰った。ベルフレイシェはリビングにいた。妹のことで急遽休日になっている。翌日に響く性交は避けていたが、昨晩はどこからどこまでが自身の肉体か忘れるほどに荒々しく縺れた。 「ただいま」 「…おかえ、り」  新聞で顔を隠してしまう。昨夜の情事を思い出してしまい、顔と腹の底がほんのりと熱を持った。フォランは頬が攣り、口元の両端が引き上がった。情けない表情を新聞から逸らす。 「帰って来ないのかと思ったぞ」 「ちょっと出掛けるって書き置きしたろ」 「話がしたい」 「うん、どうぞ?」  新聞を下げ、何度か上目遣いと躊躇いが繰り返される。 「座れ」  ベルフレイシェはソファからダイニングテーブルに移りフォランへ着席を促し椅子を引っ張って、対面に座った。短いが散々フォランの背中を引っ掻いた爪が照り、テーブルの上に手が重ねられる。 「座った」 「…きちんと話しておきたい」 「うん?うん」  すぐには始めず、暫く黙っていた。白く光るテーブルをフォランも見ていた。 「何か…飲むか…」  やっと口を開いても、本題に関することではなさそうでまだ話すことがまとまっていないどころか話す覚悟さえろくに出来ていないふうですらあった。 「甘いのねぇの。砂糖炭酸水(サイダー)とかさ」 「炭酸は好かんから置いてない」 「散歩行かない?自販機ついでにさ」 「…そうだな」  フォランはダイニングチェアから立ち上がり、ベルフレイシェへ手を差し伸べる。 「君が分からない…」  狼狽え、かぶりを振る。引っ込めようとした手を握られ、立ち上がる。 「じゃあオレのことも、ちゃんと話しておかなきゃか?」 「…君に興味なんてない!」 「そりゃ助かった」  立体遊歩道に出て、自動販売機を見かけた公園へ歩いた。他のタワーマンションとを結ぶ立体遊歩道の上にある公園で、風見鶏付きの時計と大きな木が目印になっている。 「シャーリィに会ってきたのか」 「お見通しだな。そう。病院にも行ってみたけど、会える状態にないってさ」 「…そうか。シャーリィは、何と言っていた…」  聞くのが怖いというのが強く感じられた。妹の婚約者と無理矢理、本人曰く合意のもとで交わったことを、妹は知っているのかと。知っていなければあのような凶行には至らない。知っているはずだろう。だが互いに暗黙を通せば無知が通用する。 「大したことは言ってなかった。世間話だよ」 「世間話…それだけか?本当に…?頼む。本当のことを言ってほしい」 「あんたが会いに行けない理由については、何も言ってなかったよ」  嘘だった。シャールファシーは暴行された兄身体を嫌悪している。そうは言えなかった。 「日常に戻りたくなるんだよ、ああいうところにぶち込まれるとな。他に来るのは弁護士とかだろうしな」 「経験者みたいに話すんだな」  なんとなくさ。自動販売機の前に着き、硬貨を入れた。 「何にする?」  振り返るとベルフレイシェは無防備な幼い顔をしていた。 「いいのか…?」 「世話になりまくってるしな。さてさて、ボーダムさんは何にするのかな」 「…君と同じものを」  炭酸飲料は好きではないと言っていたばかりだった。 「炭酸?好きじゃないんだろ?」 「…地域のギャップを感じるな。ここの地区の自動販売機は、炭酸と水しかないぞ」 「え、じゃあ喫茶店まで歩くか?」  立体遊歩道を降りなければならない。ベルフレイシェの腰が気になったのだ。あのペンを体内に残していたのは、この男が不器用だからだ。処理だってろくにできない。無かったことにしたのだ。苦しみを腹に残したまま。 「たまにはいいだろう」  ベルフレイシェはフォランの横に並び、自動販売機のボタンを押した。木の下のベンチに2人並んで座った。 「彼とは幼馴染なんだ。1つ上だが、なんとなく…いや、決まっていたんだ。彼はいずれ俺の部下になるってこと。18を越えるまでずっと言わなかったけど、シャーリィの婚約者になることも」  炭酸の弾ける音がした。 「ああ、そういうあれなんだ」 「別に俺でもよかった。ここの州では法律が変わったからな同性婚が認められた。あの子の婚約だって解消したっていい。ただ一度決まったことだ。公表もした。まだ法律だって施行されたばかりだ。理解は足らないだろう。何より兄が妹の婚約者を奪ったなどと、外聞が悪い。そういうつもりでいた」  嚥下によって隆起する白い喉に見惚れていた。齧り付きたくて仕方がない。炭酸飲料よりも、隣の美しい男の生き血を啜りたい。もうそれ以外の何も飲めなくなるまで。 「優しい男だ。素直で、純朴で。俺に無いものを沢山持っている。1つ下の男に使われて、思うところもあるだろうに…」  銀髪の細身の青年の微笑みが容易に思い出せた。宝石店の、薄暗い中でショーケースから輝かしいほどの光を浴びていたときの笑顔だった。 「追い詰めたのはきっと、俺だ。俺なんだ。初めて会った時の憧れが、少しずつ変わっていくんだ」  饒舌だ。あの青年の話だからか。ショーケースに照らされた2人の笑顔は眩しかった。よく似合っていた。息苦しさを覚えるほどに。 「このままではまずいと思った……そろそろ、潮時かと思った。しくじったんだな、俺は」  胸が痛い。ずっと聴いていたい声だというのにもう何も語らないでほしかった。聞きたくない。あの青年への慕情など。 「刺激してしまった。突然避けるなんてするべきじゃなかった。でもな、…変な電話を聞かせて、彼に軽蔑されるのが怖かった。軽蔑されるくらいなら、俺から離れてやろうと思った…!」  淫行に耽りながら電話をさせた日だ。 「痩せて食事もまともに摂れなくなるまで追い詰めていたなんて、気付かなかった…!知らなかった!そんなつもりじゃなかったんだ…」  泣き出してしまうのではないかと思うと、腹の奥が痺れた。あの青年を想って気位の高いようでいて自罰的な男が苦しむのは言い知れない恐れがある。 「彼が好きだったんだ。あの日は、…あの日は……――」 「いい。思い出すなよ」  言葉を詰まらせる場面は幾度かあったが、髪を散切りにされた日となると続けられる気配もなかった。あの青年のことで、思考がいっぱいになっているのが赦せなかった。隣にいるのが野良猫でも、知らない浮浪者でも、その話をしていたのではないか。それが嫌だった。フォラン・アヒターとしてでなくては、我慢ならなかった。 「思い出さなくていいんだ。なんで二度も三度もあんたは辱しめられる…頭ン中でまで…」  それをオレが言うのか。フォランは唇を噛んだ。隣の無垢な男を救うことは出来ない。跳ね返って突き刺さるか、すべて底無し沼に石を投げ込んでいるような、そういった心持ちになる。 「もう君に俺は何も隠すものがない。そう思ったら、1人で黙っていられなくなった……こんな時に、俺は、血を分けた妹を、どうして…」 「血を分けた妹だからだろ。しかも男と女の違いだってある。兄貴って立場もな。それにオレは、あんたの手を噛むどころか噛み砕いたような飼い犬なんだしさ」 「犬、か」 「猫派だったか」  ベルフレイシェは暫く考え、金魚派だ、などと新しい派閥を挙げた。 「撫でられねぇじゃん。抱っこも出来ない」 「それがいいんだ。餌を与えて少し手を加えて見守るくらいが、きっと俺にはちょうどいい」 「分かった、本命が金魚ならオレはあんたの犬でいるさ。リードは?付ける?」  項垂れている肩を抱き寄せる。陽射しは強いが暑くはなかった。心地よいくらいの温度で、だが少し乾燥している。ベルフレイシェの身が傾いて、そのままフォランの胸へ委ねられる。 「…付けない」 「ベルフレイシェ、」 「すまない」  空色を覗き込もうとしたが、ベルフレイシェは身体を起こした。雰囲気とは真逆の柔らかな香りを残して、触れていた胸を寒くする。風穴が開いているようだった。 「君に甘えてしまっていた。話はこれだけだ…いや、違う。きちんと話す。止めてくれるな…俺はあの日、――」  資料室に寄った時、専務の息子でオフィス1課の課長に言い寄られたと話した。恋人がいるのなら別れて自分と付き合うように迫り、縛り上げられたという。反抗した際に、資料室にあったハサミで髪を切られたらしかった。そこをあの青年が通り、助けに入ったというが、ベルフレイシェを手酷く抱いたのはあの青年ではなかったか。 「うん?え…あれ」 「その後に、そうだな。そういうことだ」  嚥下の音に白い喉がまた隆起する。胸の奥が熱い。腹の奥に熱が渦巻く。 「俺が避けて傷付けてしまったから、俺のことばかり考えて、勘違いしたんだと思う。だって彼は一度もそんなこと…」  張り詰めた横顔を眺めていると気がおかしくなりそうだった。喚き散らして踊り回らなければ体内を巡る血が沸騰しそうだ。 「じゃああんたは一度か二度は匂わせたのかよ」 「……っ無かったつもりだ!でも君は、難無く見抜いたじゃないか…」 「ごめん。責め立てたいわけじゃない。いや、オレもあんたのこと結構見てたんだな…と思ってよ」  目が合って、笑うとベルフレイシェは眉間に皺を寄せて俯いてしまった。 「何を…、言ってるんだ…」 「へ?」 「帰ろう。君と話せてよかった」  俯いたままの飼い主に散歩は終わりを告げられる。 「いつだって話せるだろ」 「だと、いいんだがな」  フォランは心持ち、自分がチワワのつもりで尻尾を振りたくりベルフレイシェの横に並んだ。マンションの自室の前になって家主は飼い犬に向いた。改まった態度にチワワは毛玉を吐きそうになった。待てど、声は聞こえず、そのまま飼い主は扉の鍵を解く。 「自分の性格を自覚している。きっと部屋に戻ったら言えなくなるが…その、ありがとう。ごちそうさ、ま…」  把手(ノブ)にある骨張り、薄く咬み傷の残った手へ己の手を重ねた。中へ固い身体を抱き締めながらなだれ込む。入ってすぐの壁に押し付け、唇を求めた。しかし、自身が自身の衝動を拒絶する。目を瞑ったベルフレイシェが警戒しながら薄い目蓋を上げていく。鼻先が触れ合いそうで触れ合わない、むず痒くなる距離で止まってしまった。この男を傷付けられない。怖い思いをさせたくない。酷いことが出来ない。 ――お気に入りのお人形だから?  頬にキスするので精一杯だった。パラボレー式といわず、この州の挨拶といっていい。旧ブネーデン以北ではまだまだ慣れない文化だった。 「大丈夫か」 「ごめん、躓いちった。また散歩行こうな?」  掌に収まる肩を叩いて先にリビングへと向かう。 「フォラン」  背後からかかる、耳を甘噛みするような声に狼狽した。 「俺が無理矢理お前を引き留めたんだ。…その、下手に気を遣うな…」  犯したい。ヤりたい。鳴かせたい。彼の中に欲を注ぎ込みたい。自身の雄でイかせたい。収縮と体温を感じたい。蕩けた顔が見たい。荒い息遣いを聞きたい。粘りつきながら溶け合いたい。 ――お人形はどっちなんだい!  母親だった女の呪いに囚われる。女の言葉から、思い出していく。シャールファシーに会いに行った面会室は、時間差でフォランを苛んだ。 「顔色が悪い」  耳鳴りがする。目眩に襲われ、ダイニングテーブルに腕をついて体重を支える。空色の双眸に覗かれる。自制が利かなくなる。 「あはは、ちょっと……近付くなよ…オレは狂犬なんだから」  冷や汗の浮かぶ顔で、笑い声を上げて誤魔化す。慌てて視界から外す。 「しっかり休んだほうがいい」  額に掌を当てられる。少し固い肉感に目眩は和らぐ。耳鳴りも小さく安定した。 「悪ぃ、ソファ借りる。ちゃんと妹のところには行くから」  ここに残った目的を忘れるな。ソファに横たわる。緑がかった視界の中で短髪の美人に見下ろされている。目眩は弱い頭痛へと変わった。カウンターキッチンに回って、流水の音がする。誰かの生活の中にいる。旅の途中で触れてきた他人事。目を閉じる。額に温かいタオルが置かれた。濡れた手を掴む。 「医者呼ぶか」 「大丈夫。ちょっとヤなこと思い出しただけ」  彼の掌へ頬を擦り寄せる。今ならば、落ち着いて話せる気がした。 「そうか」 「オレな、両親の遺伝子をいじくって生まれたんだ」  強張りを感じた。反してフォランは口にすると張っていた力が抜けていった。 「妹がいてさ、かわいかった。オレに似なくてね、銀髪なんだ。毛先がくるくるしててさ、睫毛もしっぱしぱで人形みたいだった」  輪郭に沿っていた節くれだった指が丸まり、フォランの頬を柔らかく寄せた。撫でられているようで、本当に愛玩動物の心地がした。この男が飼い主なら、何の不満があるだろう。 「でもな、死んじゃった。オレが目を離した時に、そうだ…冬があるんだよ、雪、見たことある?」 「昔、旅行先で」 「雪が降るんだ。大聖堂設立記念日が近いくて、街はキラッキラでさ。大聖堂設立記念日ってこっちにはある?」  薄く開いた目蓋を何度か目瞬きしてさらに掌を頬へ押し付けた。タオルに視界が閉ざされていく。 「ある。同じことをするかは分からないが」 「ケーキ食うんだ。プレゼント貰ったりな。恋人と過ごすんだけど、生憎どっちも恋人なんていなかったからさ。母さんにナイショでケーキを買いに行くところだった。オレさ、監視じゃないけど、遺伝子編集技術のプロトタイプとかなんとかって、管理されてたからさ、ちょっとはしゃいでたんだよな」  笑う。ベルフレイシェは聞き役に徹しているのか、それとも聞いていないのか。興味が無いと言っていた。聞いていないとしても、勝手に話していたかった。 「あの子は路地に連れ込まれてさ、乱暴されて。オレは取っ捕まるんだ。両手に手錠掛けられてさ。遺伝子いじくった人工物には心なんて無いって言われたんだ」 「フォラン」  制されるような、優しく叱られるような声音に意識が溶けそうだ。この男の犬になりたい。パープルやピンク、グリーンやブルーにライトアップされたパラボレーを散歩したい。首輪を引かれて、躾られたい。 「だいじょぶ…それで犯人は逮捕されたんだ。オレと同じ…オレがモデルになってたやつだから、マジの後輩なんだけどさ、オレよりずっと頭良いやつで……オレの妹はさ、遺伝子編集じゃないんだ。母さんの研究のためじゃない、本当のさ、娘ってやつだよ」  上唇と下唇を摘まれる。幼い子供が自分より小さな子供にやるようで、おかしかった。シャールファシーが羨ましいと思った。見たこともない幼少期を想像して。 「う゛う゛~んぶぶっ」 「泣きそうになってる。もう話さなくていい」  唇を掴む擦過傷の残った手首を持って、食べる真似をした。 「こら」  本当に、望まずともすでにこの男のチワワなのではないだろうか。穏やかな態度に安らぎながら飼い主を眺める。 「フォラン」  調子が変わる。気まずそうにフォランの下半身へ空色を滑らせる。 「な、に…」  深刻そうでフォランの顔も強張った。手を股間へ導かれる。勃っていた。布を押し上げている。ベルフレイシェと目が合い、互いに逸らす。 「抜いてく…る」 「待て」  起き上がる前に阻まれた。股間を覆う手の上から手を当てられる。 「な…に…なんだ、よ」  掌の下で脈動している。飼い主の顔を見ているも、育ってしまう。 「いつも……俺ばっかり…恥ずかしいところ、見られてるんだ…たまには、お前も…」  頬が赤く染まっている。そしてフォランも一瞬にして顔が熱くなった。何を要求されているのか、躊躇いがちにゆっくり言われているものだから察してしまう。 「しょ、正気…か…?」  ベルフレイシェは頷いた。空色の瞳に射抜かれていると、燻りが反応してしまう。中(あ)てられた。ベルフレイシェの手の下から手を抜いて、彼の掌に昂りを押し付けた。驚いた顔をされたが、変態行為という気がして躊躇いを掻き消す。 「…ッなんか、興奮する…」  穴のあくほど観察していたライトブルーに言うと、見るなと言わんばかりに薄紅の顔を背けられた。恥ずかしい思いをさせたがっていたのは誰なのか。冷たいが熱を与えた手を離さず、履いていたものを下ろした。屹立がベルフレイシェの前に曝される。息を飲んだ気配を感じて猛りは脈動し膨らんだ。握り込ませようとしたが、拳を作ってしまった。 「待、て…」 「待たない」  公開させたがったのはベルフレイシェだったというのに、当人は空いた手で目元を覆った。拳に擦り付ける。 「見ろよ……っ、見てくれッ…」 「待て、俺が、悪か…っ」  拳が震え、指が開いていく。その隙間に茎を挿し込んで扱く。自分の掌とは少し違う肉感と体温に熱芯はすぐさま剛直へと化していく。 「悪くな、いっ…ぁ、いい…」  高潔で、ある種無垢な男に無理矢理に雄肉を高めさせていることへ激しい劣情を催した。冷たい眼差しが羞恥に染まり情けなく泳ぐ姿。動物的な弱点を触らせているくせ、どちらが優位に立っているのか分からなかった。だが、この様に弱いのだ。欲望が堅い指の中で破裂を待つ。 「フォラ、ン…」 「名前…っ呼ばれ…るの、ヤっ、バ……ぃ、い、ぁっ」 「見、るな…」 「あんたの、声す…げぇ、いい…っすげぇ、好き…っや、ぁっ…く、」  果てそうになってしまう。まだ触れられていたい。まだ終わりたくない。 「恥ずかしいこと、言うな…っ黙って…しろ…!」  先端から溢れる無色透明な露が塗りたくられ、音をたてながらベルフレイシェの指を滑らせる。 「…ぅッ、……ふ、ん…っ」  上の階が水道を使っている。物音で分かった。ソファの座面が小さく擦れる。快感の滲むフォランの吐息がベルフレイシェの手を急かしている。興奮が、好奇心に彷徨う澄んだ瞳に映っている。 「……なんとか、言え…」 「あんたが…っ、黙れって…ッぁ、そこ、あんま、いじ…、んな…っ」  括れとの境目に指が引っ掛かった。 「そろそろ、か…?」 「…ぅ、ん……そろそろ……出、」 「待て」  フォランが動かさずともベルフレイシェの掌は自力で動いていた。根本を親指と人差し指が締める。腰を突き上げきつさが快感に上塗りされる。 「ちょ、ぁっん、ベルフ…っ」 「まだ…」  欲を浮かべた快晴の眼差しに魅入られてしまった。暫く見つめ合う。この男に飼われている。先走りで汚した手を勃起から剥がす。自身の雄芯を握っていた掌に舌を這わせる。 「フォラン…!」  指や指の股を舐め、手相を舌先で辿る。咥えて、舌を巻き付ける。片手が肉棒を包み、乱暴に上下運動する。長く細い指、薄く骨張った手を腺液で汚したこと、唾液で汚しながら、想像でも汚し、本人の目の前で自身を慰めている。快感を送る手が止まらない。ベルフレイシェの匂いがする。ベルフレイシェの手を舐めている。ベルフレイシェの目の前に無防備で情けない姿を晒している。快感が高められていく。 「イくとこ、見て……ぅ、んッ」  淡い青が見開く。目の前が爆ぜる。内部を渦巻く憂鬱に似た快楽が突き抜けて、放出された。ベルフレイシェの指を強く吸う。乳飲み子のようだった。 「はな、せ…」 「満足した?」  粘液が散っていた。大量の精液がべったりとついた手を見せる。 「俺のほうが、恥ずかしいじゃないか…」 「キリ無くなるから、やめろ…」  吐精したばかりの下腹部が間を置かずに再び欲情を芽吹かせてしまいそうだ。 「すまなかった。我儘が過ぎた」 「我儘?どこが。ぜ~んぜん。お望みとあらば、もう1発見ていく?」 「い、いい…!下品なやつだな、よせ…」  テーブルの上のティッシュボックスを引っ張り、ベルフレイシェはフォランの手に付いた粘液を拭き取っていく。 「体調はどうなんだ」 「うん、大丈夫。ありがとな」 「別に俺は何もしてない」  ソファに寝転んだままベルフレイシェを見上げた。黙っているフォランに怪訝な様子だ。 「傍にいてくれたじゃんな?」  訳が分からないと言わんばかりだったが、それでよかった。安堵に意識が遠のきかける。温かなタオルで両手を拭かれた。指の1本1本、フォランがベルフレイシェにそうして舐めたように丁寧に。腹にブランケットがかかった。まだ寝る気は無いが、それでも眠ってしまいそうだった。ベルフレイシェと居るというのに。まだ話し足りない。声が聞きたい。どのような顔をしている。意思に反して意識は眠りの底に引きずり込んでいく。 「ボーダムさん、」  睡魔に邪魔され、自己を飾れない。調子付かなければ親しく彼の名もまともに呼べない。 「フォラン」  眠気の奥で飼い主に呼ばれている。優しく響く。まだ眠りたくない。何を話そう。何を話したいのかも分からない。汚したはずだが無垢な男を染めたい。汚れてはくれない愚直なこの男に染められたい。  夢か願望かそれとも幻か、唇に焦がれた熱が触れた。

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