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第10話

 何度時間を戻したって、あたしは兄さんを辱めた陋劣(ろうれつ)な愚物2人に復讐する。もしそんなことが出来るなら、きちんと息の根を止めるから、反省なんてしてないワケ。  シャールファシーの言葉が蘇った。久々に立体遊歩道を歩いていた。何を伝えたらいいだろうか。どこまで話せば彼は傷付かないのだろう。エレベーターの浮遊感は慣れたつもりで、感覚が鈍り、後ろに足を出す。短い廊下を渡り、チャイムを鳴らす。インターホンが反応した。フォランです、と名乗ると浮ついてしまう声に少しの機械音が混じり、待っていろ、と返される。玄関扉が開き、ふと身体が軽く、息がしやすくなった気がした。ガス室と同意義と化した故郷と実家よりも空気が実家に似ている。 「おかえり」  ベルフレイシェが出迎える。顔を伏せ、迷いながらも細く呟かれた言葉にフォランはびっくりして耳を疑った。確かに言った。空耳だったら。幻聴だったら。それでも無かったことにするより、大したことではなかった。 「ただいま」  彷徨う空色が床を泳ぎ、フォランへ辿り着く。黙ったまま節くれだった指を伸ばし、フォランの目元を掠めた。 「飲まないか」 「…飲む」  少し伸びた爪と指の腹が濡れて光る。 「よかった」  リビングへ促され、ダイニングチェアが引かれた。 「ベルフレイシェ」  椅子には座らず、カウンターキッチンへ回った家主をシンクとの間に挟んだ。両脇を腕で塞がれたベルフレイシェはフォランへ一度だけ目を遣ると、すぐに逸らして泳がせる。 「…座っていろ」 「うん、オレお座り出来るよ」  飼い主の命令に従い、引かれたままのダイニングチェアに腰掛ける。身が空気感に溶けていった。ここは誰の自宅だっただろうか。脅して犯し、餌食にした男の家だ。 「フォラン」  彼の声が聞こえると血肉は溶液となって、骨も筋も残さず蕩けていってしまう。耳が疼いて股間は主張を始めて暴れ、指先や気持ちは反して彼を守りたくなってしまう。分離していく妙な感覚に気が触れるのではないかと思う。 「フォラン」 「な、に?」  ベルフレイシェは酒瓶とグラスを置くと、呼ぶだけ呼んで黙っていた。フォランをじっと眺めている。観察されている。研究所の者たちがやるようなものと同じなくせ違った。淡いブルーに吸い込まれる。言葉も、考えも、感情も。ただ人口照射で着色されたトパーズによく似た美しさから顔を背けることが出来ない。 「壊れていたから、直してしまった」  見慣れたケースに収まった、天井を写す端末機器。右上の端にあった弾痕と見紛う穴とそこから全体に走る大きなヒビが消えている。 「その、すまない。君の君自身のことを侵害するつもりじゃ、なかった」  端末機器を荷物ごと置いていってしまった。必要のないものだった。殺処分同意書のコピーと、ディスプレイの破損した端末機器と小銭入れ、旅行のパンフレット。コピー分は、旅先から郵送でも構わないからと託されたもので、裏側に出港時間や、道行く人への案内や通訳のメモ書きに使われていた。現地人でないにもかかわらず、観光人に初めて目にした地形を見て案内した。母親の理想の頭脳を以って。統合されたブネーデンとの多少の言語の違いも容易く理解し、訛りの強い遠州の通訳もできた。母親の理想が他者の役に立ったが、最も己の存在を求めた母親への裏切りと比べるとあまりにも矮小だった。むしろ他者の役に立って当然で、そうでないなら消えろと、彼女等は言う。そして言っていた。 「悪ぃ。ありがと。高かったろ。出世払いでいい?」 「返さなくていい。俺が勝手にしたことだ。…その、」  端末に手を翳すと画面が光った。大量のメッセージが来ていることが表示されている。母親と、研究所の人々、それから精子提供者の遺族。帰郷を命じるものや同意書のサインを急かすもの、それから顔を見せて欲しいと願うもの。ダイニングテーブルの下を泳ぐ、見えない淡水魚を追っている。 「なんだ?」 「引き止めて、すまない。謝ることしか出来ないが…」  メッセージを開かずとも、ディスプレイに表示されてしまう一行を読んでしまったらしかった。帰ってきなさい、の一文を。 「読んじゃった?」 「……すまない」 「ははは、こんなん出たら読んじゃうよな。いいよ、ありがと」 「フォラン…」  本題はもっと別なところにある。妹の話だ。シャールファシーの言っていたことは覚えているが、全てを兄へ告げる気にはならなかった。 「シャーリィは、元気そうだったよ」  嘘を吐いた。喋れていた、顔色は悪くなかったと誤魔化して。 「今は、君の話がしたいんだ」  フォランは心臓を握られたような衝撃に言葉を失った。興奮にも近かった。驚きに、急いで埋もれた言葉を探す。 「オレが荷物出しっ放しで出ていったから、見ちゃったんだな」  ベルフレイシェはじっと黙ってフォランを見つめ、そして頷いた。窺うような目が親の機嫌を警戒する幼子に思え、フォランは顔が緩んだ。 「そっか」 「殺処分同意書とは、君のペットの話か」 「そうさ。ひでぇんだぜ?可愛くて優秀なペットを欲しがって、同じ種類が大きな事件起こしたら、同じことをどうせするって言って殺すんだってさ。ブリーダーまで頷くんだ。あとはオレの同意のサインだけって話」  眉間に皺を寄せ、ベルフレイシェはまだテーブルの下を這う、フォランには見えない何かを観察していた。この男が不愉快な思いをするのが嫌だった。出来るだけ明るく、他人事のように話す。まるで何も重大なことではないとばかりに。 「フォラン」 「大丈夫さ。サインなんてしないよ。どうしてそんなことが出来る?命だぜ。結果論の中に生きてるんだ。可能性だけで殺してたらキリがない」 「君が、本人っていうのはどういうことなんだ?」 「オレが飼い主なんだよ」  ベルフレイシェが持ってきた酒をグラスに注いだ。相手へ促す。空色はテーブルから液面を覗いている。 「酔いに任せるのは無責任だ。だが君に、きちんと言いたい」 「そんな改めなくたって聞くさ。いつだって」 「…俺は、自分の性分を理解しているつもりだ。きっと、今じゃなきゃ、言えない。今だって…」  液面を見るばかりでグラスに口を付けようとはしなかった。 「もう酔ってる?」 「酔ってない…!」  グラスを呷り晒された白い喉にフォランは生唾を飲んだ。 「結構強いぞ、これ」  空になったグラスがテーブルに着く。アルコール成分を確認した。 「酔う前に言うからな。酔っ払いの戯言だなんて言うな」  アルコールの匂いが鼻腔を突き抜けていく。 「お、おう」 「俺は、君を……」  少しの間放置していたため暗くなっていた端末のディスプレイが明るくなり、派手な音を立てた。音量調節がされずに大きな音がリビングに響いた。新たなメッセージが表示される。音量調節をして、端末を裏返す。ベルフレイシェはまた酒を呷っていた。 「いいのか」 「ああ。今はあんたの話だろ」 「……そうだったな」  姿勢を正し、俯いている。言えないなら言わなければいい。そうしてシャールファシーのことを偽っている。もう1杯飲み、覚悟を決めたらしい。 「フォラン」 「うん」  呼ばずとも、フォランはベルフレイシェを見逃せなかった。些細な動作ひとつひとつが心臓を炙り、甘い汁が溢れ出ている気がした。 「……酔いそうだ」 「オレはもうあんたに酔ってるけどな」 「そういう冗談はよせ…」  射殺さんばかりのアクアマリンにも似る薄い青がフォランを放さない。首に回ったこともあり、背中に爪を立てたこともある、覚えのある腕に絡み付かれているようだ。自ら服従を強いない飼い主へ逆らえない。この放任的な飼い主への隷属の悦びを感じる。 「大丈夫か。水か?牛乳にするか?」  しかしベルフレイシェに本当に酔いの兆しが見えると、フォランは立ち上がる。 「大丈夫だ。座ってくれ。酔う前に…」  ベルフレイシェの肩に触れると、その手の上に火照った指先が重なった。火傷しそうだった。喉奥も熱くなる。濃度の高い酒を流し込んだみたいだった。 「言いてぇことは、分かったよ」 「俺の口から言わなきゃ、ならない…」  形の良い唇が動く。聞いたら黒焦げになると咄嗟に思った。指を当て、言葉を塞ぐ。 「言わないで」  息と肉感がたまらない。指ではなく唇で、この美男子の唇と息の温もりを感じたかった。空色の目が潤む。眉が寄る。落胆と悲愴を見出してしまうとフォランは己の卑小を知る。 「…分かった」  聞き分けのいい子供。ふとそのような言葉が浮かぶ。妹の声が降ってきた。この男に我慢を強いらせるのか。あの妹の懸念を傍で聞いていながら。彼女の訴えを偽り。 「君には全て見透かされてばかりだ」  唇に当てていた指を握られる。灼かれる。燃え上がって焦げてしまう。恐ろしいが、少し固さのある肌の感触から指を抜けない。動く唇に吸い寄せられる。しかし触れる前に遮られた。 「やめてくれ…!キスは、やめてくれ…いくらでも抱いていい…だから、キスは…」 「したい」  嫌だ、と眉が歪む。いつでも皺が寄る額に行き場を失った唇は居場所を見つけた。だがすぐさま押し撥ねられる。 「思わせぶりなことをするな…」  ベルフレイシェはダイニングチェアを立った。チェアを隔て、真っ直ぐに対峙する。手が迷いながら自身の着ていた衣服の釦を外した。 「ボーダムさん」  怯えた目が諦めを滲ませ、釦を次々と外していく。 「シャーリィを、これからも、頼む」  誤解されている。渦巻いていたもどかしい詰まりは打ち砕かれた。しかし都合が良かった。シャールファシーから聞かされた話が次から次へと蘇る。 「あんたは、あの妹から離れたほうがいいんだ。互いにボロボロになってるのが分からないのかよ?傍にいて、あれこれ手を尽くすのだけが愛情か?思い遣りか?あんたが磨り減るのを怖がってたのに、実現しちまったな!あの子にとってあんたは立派な兄かも知れないけど、同時にあんたは、頑丈過ぎるあの子の鳥籠だ。こんなしち面倒な兄妹に付き合ってられるか!」 「分かってるさ。でもどんどん根を張っていく…あの子を支えるつもりが、あの子に支えられている…どうしたらいい?どうしたらあの子から離れられる?君だけを気にして、だのに君は飄々として、なのに俺はあの子を想ったつもりになって、君にみっともなく縋り付いて…」  タンクトップの胸元の素肌が眩しかった。黒のタンクトップはもう着ないで欲しい。ウエストコートを着せるようにしたのは妹か、それともあの青年か。ホワイトシャツから透けているだけでも腹の底から伸びた魔の手が彼を口に引き摺り込みそうだ。頭の中に警鐘が鳴り響いている。ホワイトシャツの前を全て開き、下着と素肌を見せる光景は網膜が灼かれそうだ。 「俺は嫉妬深いんだ。彼と結ばれるシャーリィに妬いて、シャーリィに懐かれた君に妬いて、君と居られるシャーリィに妬いて、俺は……。俺は、シャーリィに託けて、君を引き留めてるんだ。…気付きたくなかった…っ、行ってくれ。行ってくれ…………シャーリィをありがとう」  好意を伝えられた気がしたが、あり得なかった。脅して結んだ肉体関係から少し妹のことで派生した薄っぺらな関係なのだ。 「シャーリィのことは関係ねぇよ。シャーリィのことは、あんたが身体差し出さなくたって通ったさ。でもな、そういうことをするたびにあんたは傷付くだろうが。あんたの矜持はどうなる?あんたの健康は?あんたの思想は?あんたの身体はあんたのだ。あんたが誰と寝ようがオレみたいな強姦魔(ろくでなし)には知ったことじゃない。でもあんたのその身体はあんたのもんだろ。身体で繋ぎ止めて、あんたは悲しくないのか。つらくないのか。それを想ったらあの子だってつらいだろ。我が身を辱められたみたいにつらいだろ。依存したら、他人の痛みが上乗せされるんだ。分かち合えないんだよ。今のあんたは自分と共にあの子を甚振ってやしないか?」 「分かって……る。分かってる!分かっているんだ!分かって…」 「責めたいわけじゃない」  深く寄る眉間に、息苦しくなる。抱き締めたい。ダイニングチェアの背凭れを握って耐える。潤んで歪む瞳の美しさにさらに苦しくさせられる。 「君はなんでも見透かして、そうやって正論を言うんだな。俺にはついていけない…割り切れないんだ。君の正論と、折り合えない。でも感謝はしてるんだ、感謝している………あの子に一時(いっとき)でも人懐こい兄がいたこと……」 「見透かせたって、あんたを傷付けてばかりだろ。こんなこと言ったらあんたは傷付くって分かってるくせに、オレはあんたを追い込んでる。あんたを泣かせたくないのに。あんたを傷付けたくないのにさ?」 「…追い込まれてない。傷付いてない。泣いてなどない…」  か弱い生き物に見えてしまう。何故そっと腕の中で守れないのだろうと考えてしまう。幼さを隠して、妹を守ることに徹底し、喜んで自らを投げ捨てる聞き分けのいい子供。甘やかし方ばかり知り、甘えさせたい者を振り切り、甘え方を知らない。それがシャールファシーの話からフォランの中で組み上がっていったベルフレイシェの像。 「あんたは完璧なお兄ちゃんだよ。でもずっと完璧なお兄ちゃんでいるの、疲れないか?」 「よせ!気遣うふりなんて、やめろ…もう行ってくれ…!君と居るのはつらい……」  玄関扉のほうを指で差す。フォランは自嘲した。 「気遣うふり、か。そうだな、強姦したヤツがすることじゃないもんな」 「…っフォラン」  リビングを出る直前に、呼び止められる。 「なんだ?仕返しでもするか?」  ベルフレイシェは頷いた。意外な反応に驚く。矜持にかけて泣き寝入りするものだとばかり思っていた。ベルフレイシェが近付いてくる。フローリングを踏み締め、歩み寄った。殴るのだろうか。歯の1本は欠けても仕方がないことをした。歯を食い縛る。目を瞑った。体温が迫り、唇が湿る。柔らかな感触が跳ね返った。衝動に一瞬で燻りは燃え盛る。目の前の身体を捕まえて壁に押し付けた。背を強かに打ったらしい様子は分かったが、気に掛けていられなかった。アルコールの匂いに飛び込み、求めた唇を奪う。痺れが頭のずっと奥から広がり、夢中で吸った。酒気を帯びた口腔に舌を挿し入れ、舌を絡める。甘い。何か未知の悦びがある。探究心と好奇心が爆破し、炎上する。汗ばんだ肉体全面で壁に挟まれた体温を感じたい。 「ぁ……っぁん、ふ…っぅ、ん、」  押し退けよとする手を掴み、壁に手首を縫い留める。止まらなかった。治まりがつかない。 「は、ぁァ…んっ……ぅふ、ぅ…ン…」  全身で壁へ封じ、下肢が擦れ合う。反応を示した股間部が触れた。押し付ける。固くなっていた。何度も目にしては隠され、暴いては迸った慎ましやかなその箇所が滾っている。脈動も快感も共有したい。重なりたい。繋がりたい。 「ぅ、んんっ、ぁ…」  布越しですれ違う。ベルフレイシェの腰が揺れていた。喜んでフォランは固いそこを当てる。胸で胸を壁へ挟み、さらに密着する。衣擦れの音と、舌が絡み唾液が混ざる音に興奮は増していく。 「ぁっん、んンぁ、ぁ…っぅぅんっ」  上下に揺れる。壁に押さえ込まれた手と、押さえ込む手が合わさり、互いの指が交じる。 「…っは……ぁ、んンっ、!」  脈動としっとりとした感触が下半身に広がった。フォランの手をベルフレイシェの手が何度か握ったり開いたりする。唇に大きく弛む透明な橋が架かった。涙目がフォランの瞳を捉えた。 「イっちゃった?」 「は…っぅ、ん…」  呼吸は乱れたままで返事は息に消えた。潤んだ双眸がただじっとフォランを放さない。 「酔ってるの?」  ベルフレイシェは首を振った。 「でも、君に、酔って…」 「あんたかなり酔ってるよ」  壁と捕食者と化した客人の間から壁伝いに出ようとした家主の脚を掬い上げて抱く。 「着替えたら寝ような。そしたら出て行くから。それまで我慢して」  寝室に運び、ベッドに降ろす。濡れた眼差しはフォランを射抜いたままだ。 「脱がすけどいいな?」  全開のホワイトシャツと、身体のラインがはっきりとしたタンクトップでベッドに寝る姿に頭を抱えるほどの劣情を催した。大きく息を吐いて、ベルトを外す。休暇を取らされてはいるが、仕事中毒の傾向があるこの美男子は会社に顔を出していたようだ。スラックスを脱がせる。下着が色を変え、濃い白濁を浮かべている。下着はまず間違いなく、そしてスラックスも洗濯だろう。脇に放り、下着を脱がせる。濃く、量の多い精液は真っ白かった。任せきりだったベルフレイシェの手が突如そこを隠す。 「恥ずかしい…」 「今更でしょ。あんたは酔っ払いで、オレはバカ犬。お互い忘れような」  替えの下着を出してベッドへ戻ると深い呼吸を繰り返していた酔っ払いは駄犬の服を引いた。 「忘れ、ないで…くれ…。忘れない、でくれ…俺のこと、わす、」  要介護となった酔っ払いに下着を履かせる。妙なことを言うものだと苦笑した。 「忘れるわけないでしょーが、あんたみたいな意地っ張りの甘え下手」  言ってから気付いてしまった。忘れなくとも、忘れるほど長い年月を経ることなく消えることを。ガス室を見たことはないが、想像した。大きな部屋だろうか。それともカプセル状の個室だろうか。殺処分される犬猫が小さな棚のような、マイクロ波オーブンのような、大きなブレッドケースのような金属の小部屋に押し込まれるのを映像で見たことがあった。小窓から見えた比較的新しい犬種に自身を重ね、寄付せど寄付せど纏まりのない端金ではどうにもならず、なったところで劣悪な環境下に保護されていただけだった。結局はそうなるしかないのか。フォランは固まった笑みを壊してからまた笑みを繕う。 「きっと多分、あんたが一番オレの中で、残るんだろうな。あんたのこと思い出すよ。あんたが妹のこと想っちゃう分、オレはあんたのこと思うよ。思うだけで、ごめんな」  ベルフレイシェは起き上がる。フォランの顔を見て、触れるだけのキスをした。 「フォラン」 「いっぱい呼んでよ、オレのこと。案外忘れるのは、あんたのほうかもよ?」 「君みたいな奴を、忘れられると…思うか?」 「忘れていいよ。忘れられるなら、忘れたほうがいいのさ。オレが覚えてるから。忘れちゃってもオレたち、ここにいたんだ。誰も知る人がいなくたって、今オレたちが知ってるだろ?」  フォランの肩を支えにし、よろよろと不安定になりながら膝で立つ。 「フォラン」  唇を塞がれる。淫らな色のない、犬が飼い主を舐めるような触れ合い。 「あんたの犬に生まれたかったな。人間も悪くないけどな。可愛がってくれよ、言うこと利くからさ」  酒気が室内に充満しているかのようだった。これ以上は話していられず酔っ払いを再びベッドに横たわらせた。 「もう寝ような」  しかし酔っ払いはフォランの上体にしがみついて起き上がることを試みる。 「君じゃない、よな?殺処分されるのは君じゃ…」 「当たり前だろ?人間を殺処分なんて聞いたことがあるかよ?パラボレーはそんなヤバげなところじゃないだろ?」 「…フォラン。パラボレーの市民になればいいんだ……そうすれば、政府が君を守って…」  フォランは首を振る。起き上がりたがる酔っ払いをベッドへ貼り付けたが、まだ剥がれる。 「いいんだ、もう。ありがとな。よく分かった。自分は人を人とも思わない極悪非道な人形なんだって。今までずるずる引き摺ってたけど、この街に来てよかったよ。あんたと会って、シャーリィと会って、ここで暮らして、楽しかった。妹が死んでからヤケクソなとこあったけど、やっと意義のある時間が戻った」 「いやだ!」  フォランの腕を払い除け、ベルフレイシェは起き上がることが叶った。 「君は俺を見透かした上でそんなことを言ってるのか!」  フォランの胸倉を掴み、飽きもせず接吻した。 「ちょっと…」 「俺が…する」  履かせたばかりの下着の後部に手を突っ込んだベルフレイシェを止めた。 「いいって!あんたはもう、そういうことしなくていいんだ。酔っ払いは寝て。後悔してほしくない」 「俺が、…したくてもか」 「こんなのは合意の上だと思えねぇよ」  ベルフレイシェの手が、滾ったまま放置されわずかに衰えた雄に不慣れに触れた。 「フォラン」 「う、っあ、」  布の上から形を確かめられると強く甘やかな痺れが波紋のように広がっていた。 「君がしてくれたように、して…みるから…」 「ちょっと、待…っぅ、あ」  ベッドが軋んだ。ベルフレイシェの体重がかかり、フォランは上体を後ろへ倒れ、腕をついて支えた。筋肉ののった胸板にベルフレイシェは頭を預ける。暫く鼓動を聞いているらしかった。目を瞑り、穏やかに呼吸している。ずっと続けているのは厳しい体勢だったが、このままこの美男子が眠れるのなら、目覚めるまで保つ気になった。 「いやだ。君には君の人生があるはずだ。君は生まれてるんだ…生まれ方を選べなくたって、君には生き方を選ぶ権利がある……!逆らうのは、煩わしいか?」  耳を胸に潰したままのベルフレイシェは眠そうだった。彼の掌が胸に乗る。温かい。野良猫を抱いて眠った日に似ている。 「同じことを、あんたに問うよ」 「やっぱり君に言いたい……」  聞き分けのいい子供にさせたくない。不安定な胸の上で微睡むベルフレイシェの短髪を撫で、上目遣いの空色へ頷いた。 「君のこと、俺は…、」  首を起こして、上体を伸ばしフォランの唇を奪う。フォランの体勢がわずかに崩れ、後ろ手に支えている腕から力が抜ける。ベルフレイシェを空いた手で抱き留め、シーツへ落ちた。 「危ないでしょ」 「行くな。ここにいたらいい。ここにいてくれ……君を送り出せるか!君の言ったセックスフレンドでいいから…」  フォランに馬乗りになり、指を舐めると再び下着後部へ腕を突っ込んだ。 「なんてこと言ってんだ、あんた…」 「…っ、ぃ…っつ…」  臀部へ手を伸ばし、俯く。唇を噛んで、睫毛が伏していた。艶めかしさにフォランは言葉が出せない。 「待って、あんた…、待っ…」  下着ごと履いているものを脱がされ、妨げのなくなったフォランの楔が勃ち上がる。唾液で濡れた中指を1本かろうじて通した程度で、ベルフレイシェも自身の下着を脱いで、凶悪な膨らみの先端へ双丘を合わせる。 「ぅっああ…っく、ぅ…」  ベルフレイシェが腰を落としていくと、フォランの先端部はまるで抓られているようだった。それよりも傷付けたくない相手が痛みに顔を歪め、すべらかな皮膚に皺を刻んでいることのほうが抓られ捻られ毟られているようにやるせなかった。 「ボーダムさ、ん」 「っぐ、く…っう、ぅう……、あ、」 「いいって!無理するなよ」 「君を…君を、受け入れ、たい…!」  最も太いプラムを呑み込むと、焦った息をして腰がフォランの腰に当たった。内部が蠢いて、柔らかく、熱く、だがきつくフォランを包み込む。 「なんでオレみたいなのに、そんな無茶なことすんだよ?」 「子供みたいなヤツだから…放って、おけない」  大きな呼吸をしながら必死に答える姿が健気で、フォランは少しでも楽になれたらと萎んだ前に手を伸ばす。肌に爪が刺さることすら恐れて指先を丸め、器官を揉んだ。 「だ、め…触っ…ぁッ、んぅ…」 「あんたが、それ言うのかよ」  手の中の茎は猛りを取り戻していく。長年かけ刷り込まれた兄の気質が捨て去れないのか、この男の性分なのか。下に同胞(はらから)がいる"兄"ではなくなってしまったせいなのか、フォランにはこの気性が酷く尊いもののように思えた。尊いものが何なのか分からないくせ、触れられない、理解を諦め、しかし介入し崩したくはない罪悪感に近かった。 「あんな紙、捨てろ……!ここじゃなくたって……パラボレーにいたら、いいんだ……!」  ゆっくり腰を上げ、まだフォランの幹の半分も抜けていなかったが腰を落とし内壁で引き絞っていく。 「ありがと。ありがとな。すげぇ嬉しいよ」 「ば、か…!」  喘ぐベルフレイシェの腰が密着すると、引き締まった両脇腹を両手で押さえた。不器用なこの美男子が、我が身を苛む必要はない。 「ちょっと長く居すぎた。あんたは優しいから、毎日顔合わせたオレに勘違いしてるだけなんだ。そんなことで自分のこと軽んじるな。あんたは意地っ張りで不器用でお堅いところあるけど、ずっと兄ちゃんなんだよな。こんな強姦魔のお人形にまで情を寄せる必要はないんだ。妹のために善行を積みたいならオレが、あんたにもらった分を心願(いの)るさ」 「君は、俺が酔っ払っていると…思っているな?」  腰を押さえたフォランの手を外させる。一度シーツに下ろしたが、先端部に蜜が溜まったままのベルフレイシェの雄を扱いた。 「あっ……ぅ、ん、ぁ、」 「酔っ払ってなきゃ、ベルフレイシェ・ボーダムはこんなこ、と…っ、締める、なよ…」  前に刺激を与え、高い声を漏らすたびにフォランの幹をきつく締め、内部がうねる。 「君が、触るから…っぁあ、身体が……、君に慣らさ、れて……ぁ、あっあっあっ」  意思に反し、腰を突き上げてしまう。片手でしなやかな腰部を掴み、奥まで穿つ。 「いき、なり…そんなぁっぁっア、あっ!」 「ごめん、もう止まらないよ」 「止め、るな……止めるなぁっ…っぁぅンぁっ」  起き上がり、跳ねるように声を出す身体を抱き締める。見上げる格好も美しさに頭がおかしくなりそうだったが、胸や腹でも重なりたかった。繋がったままベルフレイシェを押し倒し、覆い被さる。勢い余り、顔面を突き合わせる。 「フォランっ…」  見慣れた爽やかなブルーの瞳に吸い込まれる。拙い唇に噛まれて2人で燃え盛っているようだった。

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