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結局すぐ戻ってくると言った先輩が戻ったのは、それから30分も経ってからだった。
海の底より深く沈んだ僕の心が回復することはなく、その間たっぷりとありとあらゆる起こったら嫌なことを考え尽した。
無駄に色んな小説を読んできた弊害か、最悪のパターンのシュミレーションは山のように出来たけれど、引きこもりの弊害の方が大きくてそれへの対策は無いに等しい。
結果僕の心はマリアナ海溝の底にまで追い込まれていた。
「ゆーず、ただいま~?」
「…おかえりなさい、です」
やや疑問形でただいまを言った先輩。
理由はおそらく、僕が先輩の方を見ていないからだろう。
先輩を見たらシュミレーション通りに最悪のパターンが現実としてやって来そうな気がして、申し訳ないと思いつつも見ることができない。
「ん~…。 あ、みんなは~?」
「帰った、です。 吉川先輩は引退試合が近いとかで部活に行かれました。 ポチ先輩はバイトだそうです」
「そっか。 あっきーは戻った~?」
「まだ、です」
もう、僕も帰りたい。
どんな話をしたのかなんてもうどうでもいい。
答えさえ聞かなければ、知らないままで居られたら、現実に打ちのめされることだけは避けられる。
何を話したかも。
告白されたのかどうかも。
あの人とお祭りに行くのかどうかすら、全部全部知らなくていい。
他の人との話なんて聞きたくない。
お祭り当日は海の底を掘りすぎて反対側まで突き抜けてしまう位落ち込むかもしれないけれど、そうなる前にさっさと寝てしまえば問題ないだろう。
よし完璧な対策だ、帰ろう。
「ゆーず」
「うっ…はい、です」
「帰ります」と声を掛けるより早く、甘い声に呼ばれる。
ビクッとしたのと同時に、先輩が僕を構おうとしてるのに気付いてしまいドキドキと心音が加速していく。
ずるい。
名前を呼ばれただけなのに、自分の意志すら貫けない。
見たくない、聞きたくないという海底を這いずったままの気持ちと、甘い誘惑に負けそうな気持ちに葛藤する。
「ゆーーーず?」
「――っ! はい…で、す」
心がズルズルと引き摺られていく。
何を言われた訳でもないのに、気持ちが傾いていくのが分かる。
この人は名探偵をやめて魔法使いにでも転職したのだろうか。
「ゆず?」
「うぅぅ…。 先輩…ずるい、です」
「ふふっ、どうして~?」
「――名前…呼んだ、です」
「ふはっ! ダメなの?」
「ダメ、です…。 先輩はダメ…」
せっかく立てた完璧な対策も秒で突破された。
悔し紛れに睨んでみても、先輩は楽しそうに笑うばかりだ。
「俺だけだめ?」って笑いながら伸びてきた手が、前髪を分けて入って頬を撫でる。
分けられた帳の隙間から見えた瞳は相変わらず蕩けそうな色をしていて、捉えられて逃げられない。
期待したくないのに、甘やかすように耳朶を擦る指先は擽ったさも相俟って擦り寄りたくなる。
加速したままの心音。
先輩が触れたところに熱が集まっていく感覚。
このままだと逆上せてしまいそうだ。
「そんな顔してたら期待しちゃうよ~?」
「え?」
「ん~、まだもう少しかな~」
苦笑しながら独りごちる先輩。
期待してるのは僕の方だ。
「わっ!! 何するですかっ!」
唐突に、とろんとした頭を掻き混ぜられた。
わしゃわしゃと犬猫を可愛がるかのような仕草に、逆上せそうだった頭にも酸素が周り稼働していく。
これ、絶対に頭もっさもっさになった。 酷い。
「ね、ゆず。 夏祭りがあるの知ってる~?」
キッと睨んだ先にあったぽやぽやとした笑顔と、突然舞い込んだ話題に怒りが霧散した。
知らないわけがない。
ずっとその話をしたかったのだから、物凄く知っている。
「――知って、ます」
「一緒に行こうよ」
「えっ!?」
「あれっ、もう予定ある?」
ずっと言いたかった一言。
先輩と行きたかったんだから予定なんかあるわけない。
フルフルと頭を振る。
「予定…ない、です」
「お祭り嫌いだった~? あ、人混みだからゆずは苦手かな…」
「そっ、そんなことないっ。 行きたいっ…です」
「ふふっ、そう~? じゃあ、俺とデートしませんか?」
誘いを取り下げられてしまいそうな雰囲気に慌てて飛び付くと、更に誘惑の台詞を上乗せされた。
行くに決まってる。
先輩とお祭りに行ける。
嬉しくないわけがない。
だけど。
僕だって何度も声を掛けようとした。
生まれて初めてってくらい、頑張ろうと思った。
ちゃんと誘えたら、上手くいったら、何かが変わる気がしていたのに、結局何も変われなかった。
「ゆず? やっぱり嫌だった?」
「や、じゃないっ、です! お祭り、行きたかったです」
「そこは先輩とデートしたかった、です、じゃないの~?」
「? 先輩とお出掛け、したかったです」
「ん、いい子」
よしよしと撫でながら、ぐちゃぐちゃになった髪を整えてくれる。
ぐちゃぐちゃにしたの、先輩ですけどね。
考え込んでぐるぐるしていた感情も髪が整う頃には落ち着き、僕の拘りなんか些細なことのような気がしてきた。
やろうと決めた事が出来なかったのは心残りだ。
けれど先輩が誘ってくれたから、当初の目的である先輩とお祭りに行くこと自体は叶う。
せっかくなら、思いっきり楽しみたい。
初めての夏祭り。
今まで読んだ小説に出てきたお祭りは、どれもこれも楽しそうな描写に溢れていた。
夜空を彩る大輪の花。
ふわふわの綿菓子
夜店に売られた金魚にヨーヨー。
いつもと違う雰囲気の場所に行けば、いつもと違うものも見えてくるかもしれない。
僕が二つ目に決めたこと。
先輩を知るために沢山質問をする。
次こそはやり遂げてみせる。
男に二言はない。
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