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 時は過ぎて終業式。  とは言ってもあれから数日しか経っていないけれど、僕は今、海より深く沈んでいた。  理由は簡単。  未だに先輩を誘えていないのだ。  男が意気込んだのに結果が伴わないとか。  情けな過ぎて凹むことしかできない。 「ゆずー、そっちの書類取ってくれる~?」 「あっ、はいっ」  実際今も生徒会業務中ではあるが、先輩とは一緒にいる。  ここ数日も何だかんだと毎日顔を合わせているのに、業務中はダメだよなとか、人がいる所ではとか、言い訳をしていたらすっかりタイミングを逃してしまったのだ。 「ん、ありがと~」  渡した書類を受け取った先輩に、ぽややんっとした笑顔でお礼を言われると少しだけ海の底から浮上する。  とはいえ今日はもう終業式、タイムリミットだ。  もう今しかない、誘うんだ。   「せんっ…」 「煌來ー! 文化部連の文化祭出店希望取り纏め終わった!!」  このパターン、前にもあったような…。  ポチ先輩気が合い過ぎ、です。 「ん、ポチありがと~。 ゆず、どした~?」 「あ、何でもない…です」  あ、バカ。 何でもなくない。  せっかく気付いてくれたのに、咄嗟に返してしまった。  タイミングも合わないしチャンスも活かせないなんてと、またしても海底まで沈んでしまう。  もうこれは神様が誘うなって言ってるんじゃないだろうか。  でも諦めたら先輩が他の人とお祭りに行ってしまう。  それだけは嫌だ。  先輩が他の人と楽しそうにしてるところなんて考え出したら、海の底すら掘り返してしまいそうな気持ちになる。    それより上手く行けばまた先輩とお出かけできる。  前みたいにたくさん話して、今度は僕からも色んな質問をして、もっともっと先輩のことを知りたい。  そうすればきっと、何かが変わる気がする。  こんな所で躓くわけにはかない。 「ゆず――」  ――コンコンッ。  先輩の声とほぼ同時に入口のドアが叩かれた。  今ここに居ないのは水嶋会長くらいだけど、それならノックなどせずに入ってくるはずだ。 「誰かしら?」 「はいはーい! 空いてますよー!」  入口に一番近いポチ先輩が外に向かって声を掛ける。  終業式とはいえ学生が登校している以上、生徒会に休みはない。  ほとんどの生徒は真っ直ぐ下校したものと思っていたけれど、残っていた誰かが相談にでも来たのだろうか。 「すみませーん、一瀬くん居ますかー?」 「あら、夕凪(ゆな)じゃない」 「あや! そっか、生徒会なんだっけー。 えー、なんか久しぶりー!」 「相変わらずねぇ。 一瀬くんに用事?」 「そう、ちょっとね」  ふふっ、と悪戯っぽく笑った顔が印象的なその人は、どうやら吉川先輩の知り合いらしい。  ネクタイも黄色だしクラスメイトだろうか。  でも、久しぶりって言ったような? 「椿(つばき)さん」 「煌來くん! 夕凪って呼んでって言ってるのに。 ねえ、ちょっと来てくれない?」 「用事ならここで聞くよ~」 「ちょっとだけ。 いいでしょ?」  「ね?」と小首を傾げる姿は、男なら誰しも思わず頷いてしまいそうな可愛さがある。  が、妙に親しげな雰囲気。  このタイミングでの呼び出し。  悪い予感しかしない。  チラッと先輩に目を向けると、「しょうがないな」と立ち上がるところだった。  ――そう、だよね。 「本当にちょっとだけね~」 「さっすが煌來くん! そうこなくっちゃー!」  断れない、よね。  分かってた。  分かってはいたけど、凹まずには居られない。 「ゆず」 「えっ?」 「ごめん、後で聞くから待っててくれる?」 「え、あ…大丈夫、です」 「どっちの大丈夫~? ふふっ、いい子にしてて?」  ポンポンっと軽く頭を叩いて出ていく先輩を見送る。  先輩が触れた所だけがじわりと温かくなった。  たったそれだけのことで浮上してしまう。 「あーやん、今のクラスの子 !?」 「一瀬くんと水嶋くんのクラスメイトよ。 私は去年一緒だったわ。 椿夕凪っていうのよ」 「あ、あの子がラブハンターかっ!!」  ラブハンター?  三流小説に出てきそうなキャッチフレーズだ。  ポチ先輩が騒いでる内容から想定すると、どうやら恋多き乙女というやつらしい。  相変わらずこの学校は通り名が多い。 「誰のネーミングセンスかは知らなけどそれよ。 まあ、悪い子じゃないんだけど…あんまり気にしないのよ?」  最後の一言だけを僕に向けて言った吉川先輩。  何で気にしてるのが分かったんだろう。  こんなことは日常茶飯事だ。  気にしていたらキリがないのは分かっている。  けれど気にしないようにと意識すればする程、考えはそちらに向かってしまう。  何の話をしてるんだろうか。  やっぱり告白、かな。  それとも夏祭りのお誘いとか?  みんなが居るところで話さなかったってことは二人だけで話したいという意思表示だ。  生徒会への依頼や夏休みの宿題の話なんかじゃないだろう。  でももしかしたら違うかも。  それにもしそうでも先輩は断るかもしれないし…。  違ったら、断ってくれたら、僕が誘うチャンスもまだあるかな…。  いや、ちゃんと僕が誘わなかったのがいけないんだ。  勝手に期待したらいけない。  嫌なことから逃げるような思考を打ち消し、マイナスになり過ぎないように気持ちを保とうと必死になる。  心臓は無駄に早鐘を打っていて、その理由を追求すればする程悪化していく。  ちょっとだけって言ってたのにな。  先輩、早く帰ってきて…。  ぐるぐるとした思考に疲れた頃、ふと時計を見上げる。  先輩が出かけてからまだ五分も経っていない。  現実にまで打ちのめされた。 「はぁ…」  もう溜息しか出てこなくなった。

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