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1章 炎の記憶 4

 ヴァルディースはもう一度レイスに視線を投げた。  レイスは疲労も極まったのか、先ほどからなにも言わずぐったりとしている。寝ているわけではない。レイスがまともに眠っているところを、ヴァルディースは未だ見たことがない。  以前何度か眠ったのかと思って確認しに行ったことがあるが、たいてい動く気力もなくなって、ただ虚空を見つめているだけだった。  ヴァルディースに伝わってくるレイスの思考も、静かすぎるほどに静かだ。死にたいと狂ったように叫び散らされるよりは、ヴァルディースにとってはよほどマシな状態ではあるのだが、マシだからと放っておくわけにもいかない。言ってしまえば廃人と同じようなものだ。まともな精神状態でないことに変わりはない。  レイスが凶行を繰り返したあげく、自分で心を壊してしまうようにまでになったのは、ユイスと別れたあとからだ。  レイスは、ユイスと再会したことを悔やんでいた。再会自体は誰も予想しない偶然だったのだから、それほど思い悩む必要はないはずだ。しいて悔やむべきとするなら、その後再び屋敷に戻って、ユイスを連れ出したことかもしれない。  ユイスはレイスの存在を知ってしまった。その事実をガルグが知ったかもしれないことを、レイスは恐れた。  ガルグはことさら、人間の身に降りかかる悲劇を好む。無関係のユイスを危険にさらすことだけは、レイスとしては絶対に避けたかったのだろう。母親という前例があっただけになおさら。   レイスは公爵の屋敷に戻り、ユイスを連れて逃げ出した。ユイスに下手に事情も説明できず、また、無力なユイスを一人で放り出す方が危険かもしれず、レイスは共に行動せざるを得なかった。  逃げる間、レイスはユイスに対して一切、語ろうとはしなかった。ガルグの事も、自分がこれまでどうして来たのかも、母親の生死も。  一度は殺されそうにまでなったというのに、再び目の前に現れて、何も語らずに連れ回すレイスに耐えかね、ユイスは一度、一人で屋敷に戻ろうとしたことがある。それでも無理やりレイスはユイスを連れ戻し、逃亡を続けた。  当てのない二人だけの旅だった。頼るべき者もいない。どこへいくのかもわからない。道なき道を行くような旅。本当なら一番信じられるはずのレイスすらまともに信じることはできなかっただろう。ユイスの心境を思えば、どんなに心細かったことか。  ヴァルディースはユイスをもう一度思い出した。おとなしそうな少年だった。しかしそれだけでもなさそうだった。レイスとの旅を不安に思っていたのは確かだろうが、記憶をたどっていると、ユイスもレイスに何かを打ち明けたさそうにしていたことが、何度となくあったように思える。レイスは気付いてはいなかったのだろうが。 「ユ……イ」  ぽつりとヴァルディースの背後から、かすれた声が響いた。居ない相手を追い求めるような、悲愴な響きだ。  ヴァルディースの思考はレイスの方に流れないようにしていたつもりだが、さすがに双子の片割れのこととなれば、何か感じとるものでもあったのかもしれない。  ユイスについて、レイスには話していないことが、実はある。これはヴァルディースが復活してから得た情報で、レイスはその時すでにまともに会話できる状態ではなかった。  せめてもう少し、レイスに生きる意思でも沸いてくれたなら、いろいろと話すこともできるのだろうが。 「今、ユイスのことを言っても、お前はどうにもならない、か」  それどころかむしろ、状態が悪化する可能性の方が高いかもしれない。  ユイスは今現在、この世にはいない。結局レイスは大切な自分の半身とも言える存在を、自分の手で殺してしまったのだ。追っ手をかけられ、逃げ切ることもできず、ついにはガルグの享楽の贄とされてしまった。  もちろんレイスはできうる限りの抵抗をした。けれど意思を封じられ、母親の時と同様、自らの炎でユイスを焼き殺させられた。  炎に包まれ、断末魔を上げるユイスの事を、はっきりとヴァルディースは思い出すことができる。それが、ヴァルディースが目覚めて最初に見た、レイスの鮮明な記憶だからだ。  ユイスを殺した後、レイスはのたうち回った。自らの力を呪い、拒絶しようとした。ついにはヴァルディースを無理矢理引きはがそうとまでした。自ら胸を突き破り、心臓をえぐりだそうとした。  しかしガルグの術で複雑でいびつに絡まってしまったヴァルディースとレイスの魂は、レイスの能力で引きはがすことは不可能に近いことだった。無理に引きはがそうとすれば、たとえガルグの技で肉体だけ復活させられても、魂そのものが無事でいることはできなかっただろう。  ガルグもレイスの無謀を許しはしなかった。せっかく不完全とはいえ実験に成功した貴重な被検体を、みすみす失うことなど容認するわけもない。しかし暴走が激化し、手がつけられなくなったレイスを、ガルグも研究所の奥底に封じ込めるしかなかった。  何重にも魔力封じを施されて、レイスは悪夢の中で悠久の時を過ごすことになるはずだった。それを再び目覚めさせたのが、しばらく姿をくらませていたという、ザフォル・ジェータだ。  見た目はヨレヨレの白衣に便所サンダルといういでたちの、ただの胡散臭い男。言動も飄々としていて、何一つとして信用できない。だがザフォルは、ガルグの長の片割れとも言える男だった。ガルグの幹部として、レイスとヴァルディースの実験の初期段階には、責任者にもついていた。  どの位の期間行方知れずとなっていたのかは、レイスの記憶が曖昧でわからないが、そのザフォルが突如ガルグに舞い戻ったかと思えば、何を考えたのかガルグの研究所をめちゃくちゃに破壊し尽くした。  研究の一切は焼き尽くされ、貴重な資料はすべて消し去られた。実験体の檻も破壊され、レイスが眠っていた部屋も崩壊し、魔力封じは無効化された。  ザフォルがなぜレイスを助け出したのか。本人に問いただしてみても、偶然目的の場所にレイスがいて、偶然レイスの救出を願う人間がいたために、ついでに処理をしただけだと言っていた。その理由は真実なのかどうかわからない。  レイスが目覚めた時、未だ夢とうつつの境目でさまよっているような状態だった。魔力封じも消え失せた。いつまた暴走してもおかしくはなかった。そうなればザフォルとしても手間だったのかも知れない。  ザフォルはレイスが檻から這い出してくるのを、廃墟と化した研究所の入口で、一服をしながら待ち構えていた。  レイスはザフォルのことを、目覚めて初めて目にした障害物だと認識し、襲いかかろうとした。  だが、ザフォルは軽くそれをあしらったあと、ふざけるような調子のまま、無造作にレイスの身体を引き裂いた。  レイスに流れ込むヴァルディースの力は、たったそれだけの行為で断ち切られた。複雑に絡み合っていたはずの肉体もバラバラに切り刻まれ、しかしお互いの魂には一切傷を追わせずに、ザフォルはヴァルディースとレイスを分離させた。ザフォルにしかできない芸当だったと言っていい。  はっきりと覚醒したあと、レイスという死にかけの少年を、ヴァルディースは初めて見下ろした。正直、これが自分の自由を7年間奪っていた入れ物か。そんな淡々とした思いしか、ヴァルディースの心には浮かんでこなかった。

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