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1章 炎の記憶 13
炎がレイスの体を包む。その身を焼き、同時に再構成する。燐光を纏い太陽の下で燃え上がるレイスが目を開く。
その瞬間、津波のような意識がヴァルディースを襲った。
見開いた目に映った太陽。レイスを刺し貫こうとするほどの強烈な光に、レイスは全て悟った。
自分はまた生き返った。生き返らされた。炎に包まれたユイス、母。誰よりも大切な人を二人も、この手で殺してしまったのに。
「あぁあああぁああ!!!」
絶叫した。爪を立てレイスは自分の喉を掻きむしった。肉を引きちぎり全身の血を抜き出してしまおうとした。しかし指先に皮を破るほどの力はなく、僅かな傷が残るばかり。
よろめき、這いつくばりながら身を起こした。何かないのか。自分で自分を殺す手段。
目に映ったのは呆然とした男だった。燃えるような赤い髪の、男。
ああ、そうかこいつがオレを生き返らせたのか。なぜ。なぜいつもいつもいつも、オレはこんな奴らにもてあそばれなきゃならない。なぜオレは無理矢理に生かされる。どれほど後悔したって、どれほど自分を憎んだって、なぜ自分には死というものが許されないんだ。
憎い。憎い憎い憎い。なんで、オレは生きていなきゃいけない?
なんでオレは母さんやユイスのもとへ行くことも許されないんだ。
絶叫し、号泣し、レイスはよろめきながら燃え盛る髪の男を捕らえようと手を伸ばした。男が何か武器を持っていたらそれを奪う。そして今度こそ死ぬんだ。
レイスは笑った。こいつを殺せばきっと死ねる。死ねばもう何もかも終わるんだ。
「……っ、ねよ、オレと一緒に、てめぇも死ね!」
殴りかかろうとしたのに、ろくに動かない体は男にのしかかっただけ。しかし男も動かない。意識がないのだろうか。ジタバタと男の腕の中でもがく中、男の背後で荷物にくくりつけられた短刀が、どこからともなく飛ばされてくるのを見た。それがことりと乾いた地面に落ちる。鞘からこぼれた刃は、手入れが行き届いていて申し分ない。
手を伸ばせば届く範囲に転がってきたそれを取り上げ、ああ、とレイスは感歎の息をついた。
男の胸に体重をかけて深々と刀を突き刺す。赤い何かが吹き出した。レイスは満足した。引き抜くとキラキラと糸引く真紅が刀身にまとわりつく。それをそのまま自分の喉にあてがい、腕を引いた。肉を割く感覚の直後、レイスは恍惚感すら得ながら、意識を閉ざした。
ゾッと背筋に悪寒が走って、ヴァルディースは意識を引き戻された。目の前で、虚ろな目をして笑ったまま、レイスが血を吹き出して絶命していた。
ヴァルディースの体も、頭から足まで全身血まみれだ。
意識を奪われた。いや、レイスの意識がなだれ込んできたせいで、ヴァルディースの意識と混合した。ヴァルディースは呆然とした自分の姿を、レイスの中から見ていた。
人間が死ぬ瞬間の感覚など精霊にはわかるわけもない。だが、レイスが肉を引き裂いたその瞬間の、血というより全身の熱が一気に失われる感覚が、まざまざとヴァルディースの身に蘇る。背筋が凍りつくそのおぞましさに、ヴァルディースは思わず身をかき抱いた。
死しか願わない。心に闇しか存在しない。人生を終わらせることに夢さえ抱く。これが、人間の感情だろうか。ヴァルディースには信じられなかった。
無意識に首筋に手をあてがう。そこに傷はない。レイスの首にはざっくりと深い傷が刻まれている。むしろヴァルディースに深々と短刀が突き立てられたのは、ちょうど人間でいう心臓のあたりだ。レイスは心臓を貫き、血が吹き出したと思ったのだろうが、ヴァルディースにそんなものはない。この体は人間の姿を模した擬態に過ぎない。そのような傷を負って死ぬことなどないし、痛みですら人間と同じものを感じることなどない。
なのに、レイスの死の感覚はヴァルディースを震えさせた。死を、初めて恐怖した。
レイスの体は再び燐光に包まれ始めていた。ヴァルディースがした契約に従って、周囲の炎の魔力を取り込み、組成を修復する。人間の肉体として欠けた部分を、魔力が穴埋めする。
そして、レイスはまた生き返る。その時、もう一度あの闇に襲われるのか。考えただけでも酷い吐き気がこみ上げた。
狂っている。そうとしか、ヴァルディースには思えなかった。
◆ ◆ ◆
レイスが目を覚ましたのはそれから丸2日過ぎてからだった。ヴァルディースはレイスの意識の遮断を試みたが、そううまくはいかなかった。
殺したはずの相手がまだ生きていること、自分が再び生き返ったことにレイスは絶望し、再びヴァルディースに憎悪を向けた。
レイスの意識に飲み込まれることこそなかったものの、レイスの激しい感情はヴァルディースの意識を金縛りにさせ、ヴァルディースは再びレイスに殺される羽目になった。
三度目は、それからまた2日近く経った後で、今度はさすがに殺されることはなかった。そうそう簡単に意識を奪い取られたらたまったものではない。
しかしレイスの絶望感に支配されないように意識を集中させながら、組み伏せるのは至難の技だった。レイスに供給される炎の経路を断ち、動きを封じることでどうにかこちら側からの支配に成功した。
酷い耳鳴りに頭痛に吐き気。そんなものに苛立ちと恐れを抱きながら、自分が精霊であり、レイスがヴァルディースの眷属となって正真正銘の不死となったことを伝えた。死ぬのをあきらめろと言ったつもりだった。しかしレイスは絶望し、ヴァルディースが目を離したすきにまた、死んだ。
四度目以降は目覚めれば狂ったようにレイスはわめき散らし、止める間もなく死を試みるようになった。死ぬ度に蘇生にかかる時間は短くなる。ヴァルディースに対しても殺せと何度も訴えた。こちらの話など聞く耳も持たず、ただただ死の手順を繰り返すだけになった。
ヴァルディースは苛立った。同時に、哀れにも思った。死のうとするレイスを止めることは、ほとんど諦めた。
今も焚き火の向こうで力なく虚ろに遠くを見つめるレイスが、酷く憎たらしい。何千年も前にファラムーアを失った自分の姿を思い出してしまう。
違うとすれば自分に死というものは存在しないことか。
「死ぬのは幸せか?」
応えがないとわかっていながら問いかけた。思った通り、レイスの反応はなかった。
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