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2章 風を待つ熱砂 1

 砂漠は日中、炎天下にさらされる。人間であれば、数時間もいれば倒れることになるだろう。ヴァルディースには関係ないが、元人間のレイスには堪える環境だったらしい。  体力をある程度戻せば自ら死のうとするため、ヴァルディースはレイスの周囲の魔力を断つことにした。  人間が生きる為に必ず水が必要なように、精霊には魔力が必要だ。しかし人間の部分がまだ多く残るレイスに対する加減が、ヴァルディースには理解できてはいなかった。  焼け付くような陽射しが、ヴァルディースにはむしろ心地よかったのも、気づくことに遅れた理由かもしれない。  砂漠で、ヴァルディースはレイスを放置し、世界を巡っていた。ここは意外にも大きな島ほどの規模しかなかった。地平の先はなく、そこで世界は終わる。太陽の周回はあるが、地の果ての向こうは闇だ。目をこらすと、太陽が現れる境のあたりで、世界がザフォルが作った道のように歪んでいることに気づく。  不自然に切り取られたような世界。その外縁をヴァルディースは昼夜3日ほど歩いて、最初につけた目印の場所まで戻ってきた。どこかへ繋がる道でもないかと思ったが、そんなものはなかった。試しに小石を闇の向こうに投げ込んでみたが、そのままの勢いで戻ってきて、危うく顔面で受け止める羽目になるところだった。  やはり元の世界に戻るにはザフォルが道を作るのを待たなければいけないのか。あのふざけた男に行動方針を握られているのは腹立たしいが、どうにもならないなら仕方ない。  これからどうしたものかとヴァルディースは逡巡した。諦めてレイスの下へ戻るのは、正直気が進まない。  ヴァルディースを襲うほどの激しい感情は、この3日ほどはなかった。身動きもろくにできず、無気力に思考を麻痺させてでもいたのだろう。感情の侵食がないのであればヴァルディースとしてはそれに越したことはないが、このままではレイスは廃人ルート一直線だ。  こっちはこっちでどうにかする方法を考えなければいけない。とはいえあれを一体どうしたらどうにかできるのだろう。考えるだけで気が滅入る。  できればもう関わりたくもないが、このまま放置しておくのもためらわれて、ヴァルディースはやはりレイスの下へ戻ることを選んだ。  自分達が着地したのは、ちょうど砂漠のど真中だ。普通に歩けば半日ほどの距離がひどく億劫で、足取りは重い。  途中で何度も空を仰いでは休んだ。それでも日が昇るのは遅く、太陽が中天に差し掛かるところで元の場所にたどりついてしまう。遠目から乾いた砂に埋もれて横たわるレイスの姿を見つけ、ついに足が止まった。  出発した時と変わらない姿勢のまま。ただ、周囲の精霊達が妙に騒々しかった。陽炎がレイスの体を取り巻いていることにヴァルディースは気づいた。小精霊達が何度も近づこうとしては弾かれているようだった。  ヴァルディースは首を傾げた。レイスの魔力はヴァルディースが遮断している。小精霊達だって近づくことはできないはずだ。それがなぜ。  ——タス、ケテ。  不意にヴァルディースの意識に微かな声が届いた。  ゾッとする悪寒がヴァルディースを襲った。朦朧とした意識がヴァルディースに肉薄する。熱に浮かされながら、全身をゆっくりと引きちぎられる。熱い。痛い。苦しい。怖い。  抗おうとしても腕がなく、逃げようとしても足がない。引きちぎられ、裂けた肉の合間からどくりと赤い熱がこぼれていく。  ——タスケテ、ぐらいる。  その瞬間、炎がヴァルディースを包み込んだ。絶叫が迸った。  全身を襲った恐怖からヴァルディースは自分の叫び声によって覚醒した。  はっきりと感じた激痛が、体を麻痺させていた。震える手足。動かない指をやっとの事で握り締めれば、その感覚はようやく戻ってくる。手足はある。体も炎で焼かれてなどいない。これが現実だ。  強く言い聞かせ、ようやく落ち着く。激しい干渉はここ数日なかったというのに、いきなりどういうことだ。  毒づきながらレイスに視線を戻した。陽炎が実際に炎と化してレイスの周囲で燃え上がっていた。 「どういうことだ」  ヴァルディースは無意識に言葉に出していた。  虚ろな目で横たわるレイスの周囲を炎が囲む。レイスがやっているのか。いや、そんなはずはない。奴にはまだそこまで周囲の魔力に干渉できる力はない。だとしたら、この場にいる精霊達か。  陽炎と熱射の精霊達が泣き喚き続けていることにヴァルディースはようやく気がついた。何かを恐れている。何をだ?  小精霊達に言葉というものは存在しない。ただ、怯えていることは痛いほどヴァルディースにはわかった。  ——バケモノ、バケモノ!  そうレイスを見て叫んでいるように見えた。  レイスの周囲を炎とは別の何かが取り巻いていた。レイスの中から何かが滲み出している。それが何かを認識して、ヴァルディースは再び怖気に襲われた。  闇だ。負の感情と言ってもいい。ヴァルディースはザフォルが言っていた言葉を思い出した。ヴァルディースの加護がなければ、レイスは化け物と化す。  闇は魔力の一種ではあるが精霊の根源とは全く異なる。人間の感情、主に恐怖や不安を基にする。その力の具現こそがガルグの一族である。今、レイスはまさに自らの闇を増幅し、怨霊のようなものに変化させようとしていた。  原因は明白だった。ヴァルディースが炎の魔力を閉ざしすぎた。供給されない魔力に代わって自分で生み出せるものに存在の糧を委ねようとしてしまったのだ。 「この、バカ野郎……!」  ヴァルディースはレイスに断っていた魔力を全開放しながら駆け出した。レイスに近づくたびに闇が濃くなる。ヴァルディースに干渉する感情も激しくなる。  熱に浮かされるレイスの記憶がヴァルディースに侵食する。幼い子供が助けてと泣いて手を伸ばそうとするのに、それをつかむ者はいない。闇に飲み込まれ、孤独に苛まれる。そして、子供は泣くのをやめる。誰もいない絶望という静けさに、諦めから子供の手はパタリと落ちた。  ヴァルディースは叫んだ。 「馬鹿野郎! 助けて欲しかったらもっと泣きわめいてでも足掻け! 」  腕を引き、闇に落ちようとするレイスの体を抱き上げ、きつく抱きしめる。呆然とした顔が、ヴァルディースを見つめた。  ヴァルディースはそんなものを無視して口を塞いだ。力を流し込む。失われた炎をレイスの中に分け与える。  レイスの頬に涙が落ちる。深くきつく、自分から力を求めようとするのか、レイスは腕をヴァルディースの首に絡め、しがみついた。  その脳裏に、赤い髪の、自分とは違う男の姿を、ヴァルディースは見た気がした。

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