5 / 5
5
おれは上着を脱いでネクタイをほどき、ワイシャツのボタンを二つ開けた。アヤさんはおれの上に覆いかぶさるようにして、手をおれの首に回した。触れられた瞬間、アヤさんの体温が飛び火する。がっしりして長い親指が皮膚の上から気道に触れて、思わずぞくっとした。おれの目を見つめる。
「本当に苦しかったら、ちゃんと暴れるんだよ」
おれは彼の目を見つめて、力なくうなずいた。今から絞めてもらえるという興奮と初めてのことへの恐怖で、体がふるふると震えていた。
アヤさんはいったん首から手を離すと、おれの頭を撫でた。
「大丈夫、優しくするからね」
その言葉と、頭を撫でる手の重みに安心する。
手がまた首にかかる。アヤさんは「いくよ」とささやいて、おれの首をゆっくりと絞めた。
どくどくと血が脈打つ。思った以上に、息苦しい。息を吸おうとしても引っかかる。でもアヤさんの手、あったかい。その手で触れられているだけで、おれは深い安心を感じた。殺されそうになってるのに、ふしぎだ。
それに、興奮していた。
「っは……かは……」
喉を鳴らすと、目の奥がちかちかする。苦しくて、そのぶん高まる幸福感。アヤさんは感情のない目でおれを見つめると、おれの体を軽く揺さぶり、ささやいた。
「深谷君は、ドMの変態だな」
きゅうんと体のどこかが縮まる。心臓がどくどくして、甘い痺れと激しい興奮が下半身から駆け抜けて脳髄に刺さった。
「は……あ゛、あ……」
喉がごくごくと鳴る。頭がぼうっとして、指先が痺れていく。アヤさんはおれの顔を覗きこんで言った。
「恥ずかしい子だ。やらしい顔してるよ」
股間が硬くなっていく。そう言ったアヤさんの顔は、けだものだった。このひと、絶対繁殖力つよいと、おれはぐじょぐじょになっていく頭で思った。
親指が気道を潰す。息が、荒くなる。そのとき、おれは思った。おれは、愛してるって言われたいんじゃない。変態だな、屑だなと罵られて、おまえはおれの道具だと言われたかった。
口の端から唾液が垂れていた。アヤさんの手が少し緩む。おれは必死で息を吸った。でも、また強く絞めつけられる。アヤさんの手首を握った。あったかい手。そのことに、どくどくとなにかが体の中を流れていく。
アヤさんの目は据わっていた。おれの思考回路はもうばかになっている。秘められた雄の顔が剥きだしになっていく、それが見えて、幸せだと感じた。昂った分身に電流が走り、快感が駆け抜けていく。アヤさんの手がぎゅっとおれの首を絞める。
「可愛いよ、深谷君」
アヤさんが妖しく微笑む。おれに、笑ってくれた……。嬲るような目に、自分が完全にモノになっているとわかって、うれしい。
「っ……は、あ……、あ゛……!」
アヤさんの手をつかんでもがくと、彼はおれの耳元でささやいた。
「大きくして、淫らな子だ。……我慢しなくていいよ」
その言葉に、おれの体はふっと軽くなった。力が抜けて、気がついたら、おれは下着の中で精液を漏らしていた。
アヤさんの手が離れる。おれはむせて、涙をぼろぼろ流しながら息を吸った。肺に空気が入ってきて、それが無上の幸せと感じた。
アヤさんは体をくの字に折り曲げて喘ぐおれを見ていたけど、おれが顔を上げると、なんだか強張った表情をしていた。ぽつりとつぶやいた。
「……どうだった? 少しは気持ちよかったか?」
おれは肩を上下させながら、「はい」と答えた。アヤさんは「よかった」と言った。その顔は心底安堵していて、おれの心臓はきゅんとなった。アヤさんは言った。
「深谷君、シャワー使って。すぐにタオル用意するからね。でもその前に、ちょっとトイレ行ってくる」
おれはまだ荒い息をつきながら、ふとアヤさんの脚のあいだを見た。そこは逞しく盛り上がっていた。
えっと思っているあいだに、アヤさんはトイレに行って、しばらく帰ってこなかった。それからあとは、タオルを貸してくれて、風呂場に連れて行ってもらった。出てきたおれは、下着とスウェットとセーターを借りて、またこたつの中へと戻っていた。
〇
「腹減ったな。ベーコンエッグ作るよ。深谷君は食べる?」
「あ……ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
こたつから立ちあがったアヤさんに、おれは彼一人で寒い台所へ立たせるのは悪いという気になった。
「おれも手伝います」
「そう? いいよ、湯冷めしちゃう」
「大丈夫です。手伝わせてください」
アヤさんはまじまじとおれの顔を見て、笑った。
「ありがと。じゃあ、手伝ってくれるか?」
おれはうなずいて、わんこよろしくアヤさんのあとを追った。
台所はきれいに片付いていた。でも、料理好きなアヤさんにしては手狭だ。たしかに寒かった。彼は冷蔵庫から材料を取り出しながら、QUEENの”Crazy Little Things Called Love”を小声で歌っていた。おれはベーコンのパックを開けて、一枚一枚はがしていった。手に冷えた油がついた。
「愛とか恋とか、昔からくだらないと思ってきたよ」
フライパンにベーコンを並べながらアヤさんが言った。
「愛も恋もすっ飛ばした繋がりに昔から憧れてた。絆って言葉もまどろっこしいようななにかに。おれにとってはそれが欲望だった」
卵を割る。アヤさんはおれのほうを向いて、あのミステリアスな顔で、笑った。
「深谷君の顔見てたら、おれの中で欲望が動いたよ。久しぶりで、幸せだったな。ありがとう」
きっといいひとが見つかるよ、とアヤさんは言った。
おれは固まっていく白身を見ながら、自分の心を追いかけていた。狂っていくように、形を変えていくもの。自分でも理解できず把握できないそれを、おれは必死でつかもうとした。
「アヤさん。また、絞めてって頼んだら、絞めてくれますか?」
アヤさんは振り向いて、じっとおれの目を見た。
「いいよ。絞めてあげるよ」
「ありがとう。アヤさん、おれ……し、あわせだった」
そう、とアヤさんが言った。
「おれ、童貞キラーだったけど、本気になられるのは苦手なんだ。でも、本気になった男を捨てるのは好きだった」
「ドSですね」
「人でなしなんだよ。おれにとっては欲望がすべてなんだ」
だからさ、とアヤさんは言った。
「アパートの鍵、早く見つかるといいね」
おれはうなずいた。でも、このときにはもう、アヤさんの脚にすがりつく自分の姿が見えていた。愛も恋もすっ飛ばして、絆すらまどろっこしいようななにか。
そのなにかを、おれはアヤさんの部屋で見つけた気がした。
でも、恋人とか、結婚とか、そういったものが塵と消える世界で生きるには、おれはまだまだ子ども過ぎた。アヤさんは、きっとそれをわかっている。ただ、彼に少しでも大人の男に見られたかった。
できたよ、とアヤさんが言う。きれいなベーコンエッグが皿に乗っていた。
ともだちにシェアしよう!