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カラの話

カラには同じ歳の兄がいた。 双子ではなく、母が違うのだ。父には妻が複数いて、同じ年にそれぞれ子供を生んだ。それだけのことだ。 砂漠と太陽の国。大国でも無かったが小国でもない、照りつける日と風に舞う砂の国。諸外国からすれば不毛な土地に住み、生きるだけで苦心惨憺せねばならぬ国に思われているだろう。だがあにはからんや、見渡す限りの砂の大地のよすがとばかりに流れる大河の恵みは大きく、農耕も牧畜も不自由なく産業として成り立ち、人々の生活の糧になっていた。 カラはその国の第二皇子にして皇后の長男でもあった。 この立場が現状、カラにはとても辛い。 皇帝の長男、カラの異母兄ホルの母はホルを身ごもったとわかった時に妃として迎えられたが、皇族でも王族でも貴族でもない、皇帝、皇族の為のお伽衆の一人という身分であり、皇帝と皇后(つまりカラの母だ)の保護が無ければ他に妻として後宮に迎えられていた妃達、そしてその後ろだてらがホルの母の存在を許さなかっただろう。皇帝だけならまだしも皇后までホルの母を護った事で、妃達は表だってはなにもできなくなってしまったが、ホルが生まれるまではそれでもホルの母に聞かせる為の悪口雑言、誹謗中傷が絶えなかったと困った顔も美しいカラの母はため息まじりにカラに語った。 カラ、貴方のお兄様とそのお母様には敬意と愛をきちんともって、弟としてお兄様を助けるのよ 言われなくても。カラの母はいつもカラの兄とその母を気にかけ、カラにも二人を守ってと語っていたが、周囲がどうあれカラは兄のホルを世界で一番の兄だと信じていたので、もし自分で兄や兄の母を助けられる事があるのならなんでもするつもりでいた。 重ねて言うがカラの助けが必要なことがあれば、本当に、嘘でなく、神に、父に誓って(カラの国では皇帝とは国を治める為政者であると同時に神の声を聞き人々に伝える神の代理人、いわば人であって神でもある存在だった)、カラはなんでもしたかった。 ホルが生まれる前の後宮がどういう状況だったのか、カラには想像もつかない。ホルが生まれてからは嫌がらせは引いていったというが、それでもカラの母は過去を思っては心配していたのできっとよほど酷かったのだろうとは思う。だからカラは母の心配を杞憂だと流さずいつもうなずいていた。いつか兄をかっこよく(具体的にどうするのかまでは思い付いていない)助けて自慢の兄から自慢の弟だと思われたいという気持ちも多大にあったりしたせいだが。 しかし、世の中そう都合良くはいかないもので。 いや、ホルやホルの母を思えば都合が良くない等と言ってはいけないのだが、ホルの母はともかくも、ホル本人はカラの助けを必要とするような儚い存在ではなかった。それどころか、常にホルはカラを護るべき弟として支えてくれている始末だ。 カラにとって、ホルはなによりも素晴らしい兄である。だがホルから見たカラはどうなのだろう?幼い頃は兄に見つめられ、その優しい瞳に写る自分が誇らしかった。けれど成長して兄と自分の差が顕著になればなるほど己が恥ずかしく、幼い頃は無邪気に見つめ返せていた兄の瞳を、今のカラは見ることができないでいた。 そもそも、ホルの母がホルの子を生んでから嫌がらせが引いたというのはなぜなのか。皇帝や皇后の直接の保護が火に油を注いでいたのかもしれないが、そのような輩が子が生まれた事で手を引くものだろうか。単純に言って、子が生まれるまでの攻撃のよすがが誰の子かわからない、その一点に頼りすぎていたのが一番の原因かもしれない。 お伽衆とは音楽(楽器、歌、舞踊)芸術(絵画、文学、彫刻)などで高貴な身分の憂いを払う者達であり、男女問わず気に入られ召されたならば寝室の憂いを払うこともあった。だからこそ、ホルの母はホルを生むまで誰の子かわからぬ子を使って妃となった卑しい女だと嘲られ罵られた。実際の話、皇帝の手がついた時点で周囲はホルの母から手を引いていたのだけれど、例えそれが一年以上前の事であろうと卑しい女が、卑しい男と結んで生む子に違いないと言われていたのだ。 では、子が生まれた事でその嫌がらせが引いていったのはなぜなのかと言えば、ホルが皇帝に瓜二つすぎるくらいであり、長じるにつれ頭脳明晰質実剛健といった具合に誰が見ても皇帝の理想的な子になり、生まれたばかりの頃はそれでもあった中傷も今のホルを前にすれば霞のごとく消え去るばかりであったのだ。皇帝の覚えもめでたく、外交でも注目され、今では廃するより取り入る方が己の安泰になるとばかりに男も女もホルにかしづき、皇帝の妃達も内心ではともかく、対抗するための子を生めていない現状では助けてくれるはずの親兄弟からも役に立たぬと見放され、手も足も出せず皇帝の長男へ頭を垂れるしかなかった。 ホルと父たる皇帝の違いらしい違いといえば唯一体格くらいであった。皇帝も背が高く逞しい体をしていたが、ホルはさらに大きかったのだ。カラの国では神とは人より一回りも二回りも大きい、人と似た存在とされていたから平均より大きな皇帝は正しく神が選んだ代弁者、ひいては神の子であると敬われ、その皇帝に瓜二つながらさらに大きいホルは益々畏れられ敬われた。 対してのカラはどうか。 悲しいかな、カラは神の子たる皇帝とその正妻の子であったが身長も体躯も才覚も平均以上を抜きん出る事は無い青年へと育ち、唯一抜きん出ているといえば美しいと讃えられた母と成人してなお瓜二つの容姿くらいだが、そこが似てどうするんだというのがカラとカラを取り巻く周囲の見解であった。 皇帝とは、為政者であり神の声を代弁する神の子である。よって神の声を聞く身に穢れは好まれず、体毛なども不潔の象徴と見なされ基本的には全身頭髪も余さず処理し、皇子達も本来は皇帝の子であり神官である為成人すれば同じように処理される。カラの兄も刈り上げた頭に全身を手入れされた見事な褐色の体が常に輝き、神もきっとホルを愛するだろうと皆に囁かれていた。しかしながらホルと同じ歳であり同じように成人しているはずのカラは、美しい髪を刈るのを皇帝に許されず、体毛こそ父や兄と同じように手を入れられているが、肩で切り揃えられた見事な髪とそれを引き立てる為にと髪飾りを装飾された姿は、カラを正妻の子であっても跡継ぎにする気が皇帝には無いのだとカラにも周囲にも思わせた。 というかカラは確かに女性と並ぶと美しい青年であったが、これが皇帝、またはホルと並ぶと間違いなく美しい妻にしか見えなかったので、正直なところ周囲も皇帝はカラをどうするつもりなんだと薄々察しながら触れずにいた。このカラへの腫れ物を扱うような空気と、露骨な兄との扱いの差はカラからすれば自分は皇族の厄介者なのだと言われているようで、以前は砂漠のオアシス、微笑めばそれだけで渇きも癒されると讃えられていた容姿も今ではその瞳に見つめられれば砂漠の月より凍えてしまう冷めた美貌と言われるほどに陰鬱なものに変わってしまい、ごく限られた回り以外とはろくに言葉も交わさなくなっていた。 カラは兄が好きだった。カラの母が信頼できる同じ乳母や教育係をつけ、二人を分け隔てなく一緒に育ててくれた事を今でも感謝している。同じ歳のはずの兄はカラを置いていく勢いで成長していたが、(ホルからすれば)きっと遅くじれったかっただろうカラの歩みを急かすことなくいつも優しく待ってくれていた。カラは、ホルが父の跡を継ぐのだとかつては無邪気に信じていた。自分は神官として、臣下として兄を助けるのだと、そのためにと勉強も武術も頑張った。どれもこれも何をやっても兄に敵う事は無く、格別優秀に育つこともなく、兄の片腕たる人物にもなれず平均を逸脱する事はできず、兄を取り巻く平均以上のグループに入ることもできず、それでもいつかは兄の瞳に写る自分をくすぐったくも誇らしく思えた幼い頃のように、この劣等感を克服して兄に微笑む日がくるはずだと信じていた。 しかしカラは特別優秀でないだけで、特別暗愚だった訳でもない。成人が近づくにつれ、そして成人しても往生際悪く目をそらし逃げ回っていた現実にいよいよ追い込まれ、逃げ場がなくなっていくのを感じていた。 誰よりも皇帝に相応しい、何を置いても絶対に守りたい兄の一番の障害が、自分だという現実に。 その日の朝は静かだった。雨期を迎え、連日やむことの無い雨が珍しく止み、晴れやかな空を見せ、羽根が水を吸って高く飛べない虫を狙って鳥達がカラの部屋から見える庭を低く飛んでいた。ぼんやりと外を眺めながらカラの身支度を整える女官達に身を任せ、金色の帯を緩く腰に巻いた足元まである白い衣装を着せられていたのだが、やがて部屋の外で騒々しい足音が微かに聞こえてきた。バタバタと駆け回る音ではない。武装した男達の足音だ。不穏な空気に怯える女官達を静かになだめ、カラは私室の最奥にある寝室から部屋の入り口を兼ねた応接室に足を向けた。そこにはいつも通りカラの執務を補佐し守る青年が立っていた。彼はそういえば兄が自分にとつけたのだったな、他人事のようにカラは思った。怯えていた女官達と違って青年はまるでいつもの事のように立っていた。カラが現れると恭しく一礼しそのタイミングがわかっていたかのように外から扉がノックされた。青年がカラを伺うように見るのが耐えがたく、カラは顔をそらしたがそれを了承ととったのか、元々許可など関係無かったのか、青年は静かに扉を開けて客人を迎え入れた。入ってきたのは案の定兄のホルとその腹心たる者達だ。ホルもカラと似たような金の帯に、袖が無く裾の長い白い衣装を身にまとい耳や首、手首に金の装飾を飾っていた。武装している者も数人いたが、あくまで軍人の礼装を逸脱しないものだった。 いくらなんでもこんな露骨な暗殺はしないか ちらりと兄たちに目を向けたあと、カラはうつむいた。暗殺では無いとなるとなんだろう。地位を剥奪されどこかの僻地に封じられるのだろうか。カラは兄こそが皇帝に相応しいと信じているが、カラを傀儡に国の実権を握りたい者もいる。単純に、どれだけ素晴らしい人間だろうとその生まれが認められず、カラこそが皇帝に相応しいと言う者もいる。カラなりに対処してはいるがおいそれと全てを退けられるものでもなく、カラの意思など関係なく、カラの知らぬところで勝手に組織だててホルと対抗しようとされた事もある。カラに罪状をつけようと思えばいくらでもつけられるだろう。 立ち尽くしたまま何を言うこともなくうつむくカラに、ホルが静かに歩み寄る気配がした。今ホルは自分をどう見ているのだろう。優しい兄だから、憐れな弟だと哀しい目をしているだろうか。そんな風に見られたく無かった。自分が兄を誇るように、兄にも誇らしい弟だと思われたかった。自分にとって自慢の兄であったように、自慢の弟になりたかった。 最後に兄をまともに見たのはいつだったか。覚えているのはまだ大人の思惑も、自分達の立場もよくわかっていなかった頃だ。同じように習いはじめて日も浅いはずの剣術で、それでも全くホルに勝てず、泣きながら強くなる強くなりたいホルの一番になりたいとわめくカラの手を取り、カラがそう言ってくれるから自分は負けられないのだと言って優しく笑ったホルを、ぐずぐずべそをかきながら見つめ返した事があった。あのとき、不意になんの意味もなく自分はホルの一番なのだと信じられて、あっさり機嫌が治った自分を今思うと現金なものだと失笑せずにはいられない。幼かった頃、ホルの瞳の中で自分はホルの一番だとのんきに信じていた、かつての自分がうらやましい。 今の自分ときたら。 カラに歩み寄ったホルが、うつむくカラの顔を覗き込むようにひざまずいた。 上から声をかけられるものとばかり思っていたカラは、驚いて後ずさろうとしたが、その手をホルがすかさず握る。 困惑と混乱で声が出ないカラをよそに、ホルが静かな落ち着いた低い声でカラの名を呼んだ。 「わかっています」 憐れまれながら自分の処分を言うホルの言葉を聞きたく無いカラは、咄嗟にみなまで言ってくれるなと訴えるように答えた。下から自分を見上げるホルの視線から逃げようと顔を背けるカラを、驚いてホルが見つめる気配がした。ホルの腹心達もホルがつけたカラの補佐も驚き、小さなどよめきが起きた。カラの女官達も、部屋の奥から出てきてこちらを伺っているようだ。 不意に、カラの手を掴んでいるホルの手が離れた。逃がすまいとしていた手があっさり引いたことで、どうしたのかとカラがホルを見下ろすと、ホルはその巨躯を妙に縮こませながら、花も恥じらう乙女のように顔を両手で覆っている。あとなんか妙に体が赤かった。 ちょっと見たことないホルの姿に、カラが最高に動揺していると、それまで静かだったホルの腹心達が拳を握ってホルに声をかけてきた。 「なにやってんすか!」 「自分に負けちゃダメっすよ!!」 「そうですホル様!!!」 「やっとここまで来たんでしょ!!!!」 ホルの腹心達どころか、なんかカラの女官達まで懸命にホルを励まし始めた。 「まさか......知られていたなんて......」 聞いたこともないような弱々しい声が、ホルの両手に隠れた顔から漏れ出てくる。 「だからいつも言ってたじゃないですか!露骨もいいところですって!」 「あれでどうしてバレてないつもりだったんですか!」 「嘘!ホル様隠しているつもりだったの!?」 「やだかわいい!」 外野が盛り上がれば盛り上がるほど、大きなホルが小さくなるようにカラには見えてきた。このままでは、ホルは消えてしまうかもしれない。 「あ、あの。あの、嘘、嘘。なにもわかってないから、全然わからないから」 妙な心配からカラが慌てて先程の言葉を撤回するが、外野はカラ様に気を遣わせてと、またホルを囃し立ててしまう。ホルから自分はいらぬと直接遠ざけられるのがつらいばかりに拒絶してしまったが、まさかこんなことになるとは夢にも思わず、あれだけ悲しく思っていたはずなのに、声をつまらせ震えるホルの肩に手をかけ(めちゃくちゃホルの体が熱いのでびっくりしたがそれどころではないと覚悟を決めた)ホルの言葉が欲しいと、カラも膝をついてまっすぐにホルをみつめた。 「ホル、ホル。私を見て」 カラの言葉に、外野が一瞬で静かになった。固唾を飲んで見守られている居心地の悪さを必死に無視して、カラはホルを呼んだ。 「ホル、昔のように私を呼んで」「ホル、昔のように私を見て」「もう小さな頃のようなわがままは言わないから」 こんなにホルは大きいのだな、ホルを見上げながらカラは自嘲するように思った。彼が大きい事くらいわかっていたのに、頭でわかっているだけだ。ホルの体で自分がこんなに簡単に隠れてしまうなんて知らなかった。彼の鍛えられた体が岩のようでも触れれば柔らかいだなんて知らなかった。彼の褐色の体がこんなに熱いだなんて(熱すぎる気もするが)知らなかった。昔はなんでも一緒でなんでも知っていたのに。差がつくのが辛くて逃げ回るようになっていたくせに、ホルの一番になりたいだなんて。 もう遅いだろうか。遠い僻地で、ホルからもう逃げないだなんて決意、遅すぎるだろうか。 「もうホルの一番になりたいなんて言わないから」 誰かが息を飲んだ気配がした。 「ああ」「でも」「ごめんなさい、やっぱり嘘。きっといつまでもホルの一番になりたい」 複数の人間が、声をあげるのをこらえる気配がした。外野がいると思うと集中できないが、今さら出ていけというのもなんだか間が悪い気がしてもう開き直ろうと、カラは自分に言い聞かせようとしたところでホルに思いきり抱え込まれ、出したことない声がでた気がした。 「すまない」「許してくれ」「どうしても今はカラの顔を見る勇気が出ない」 上からカラを抱える筋肉越しに、ホルの声が遠く聞こえた。やはりホルは優しい人だとカラは切なく思い、大丈夫だと伝える為に抱え込まれた手が届く辺り脇腹だろうか、そこを軽く叩いた。カラの了承と促しを察したのか、ホルが覚悟を決めたように深呼吸をする。外野のほとんどが握りこぶしで前のめりだ。 「カラ」「どうか」 私の伴侶となってくれ ことさらゆっくりと震える声で言われた言葉を聞いて、カラとホル以外の全員が飛びはね沸いた。ホルの腹心の何人かは、感極まったのか泣いている。 「ぬうぅ」 そこへ尋常じゃなく不穏な声でホルが唸りだし場を黙らせ、なんの猛獣の威嚇かとホルの腕の中を見れば、カラは見事につぶれていたから皆が叫んだ。 ホル様なにやってんのー!!?? こんなことになるとは思わなかったという言い訳を、誰も聞いてくれないホルの腕の中で気を失うカラは、先程までのホルのように真っ赤だが、それが酸欠のせいかホルの言葉のせいかはカラが起きるまでわからない。

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