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5章最後のレイスの夢

 長い悪夢を見ていた。  故郷から敵に連れさらわれて、ユイスとも生き別れ、人間としてすら扱われることなく、酷い苦痛を味わわされた。  この手で母をも殺し、絶望にのたうちまわった。そして気がつけば唯一安心できる存在だと思った相手も、行方知れず。  もはや嘆くことも愚かだと思うしかなかった。  希望を抱くなど以ての外。  何も感じず、何も考えず、ただ許されることのない死を夢想する。それが当たり前。  なんでこんなことになってしまったのかと考えることもやめ、日がな与えられる苦痛を忘れるために、快楽に没頭する。  悪夢。  終わることのない牢獄。  崩壊こそが解放だったなんて、なんという皮肉。  自分の片割れをまたこの手で失い、訳も分からなくなるまで壊れた。もう二度と元になんて戻らなくていいと、むしろ戻りたくなどないと、徹底的に自分を破壊し尽くしたはずだったのに。  気がつくと炎に何度も押し包まれていた。  それまでとは違う暖かな火。  久しぶりに思い出した人間らしい感情。厭っていたはずの期待がほんの僅か、蘇った。どうせすぐまた消え去るというのに。  でも、嬉しかったんだ。本当は。  直後に訪れたのはまた深い闇。飲み込まれ、身動きも取れず、虚しさだけが支配した。  やはりこうなるのだと、嘆く力もなく、今度こそ消え去るだけだと、いっそ清々しくすらあった。  闇の中で眠った。それまでになく全てを閉ざして、拒んで閉じこもった。  それでも、あの炎がもう一度、現れた。狼の姿で諦めるなと言い、迎え入れてくれた。何もかも失って、それでも微かに残っていた希望を、アイツはすくい取った。  いや、むしろ無理矢理暴き出し、強引に奪っていったのだ。  悪夢は終わった。痛みを伴って、ついに終わった。  悲しみ、苦しみ、痛み、熱、全部飲み込んで暴かれさらけ出して、アイツはこの身に幸せというものを与えてしまった。  終わった。  終わったはずだ。  でも本当に?  もう苦しまなくていいのか?  全部初めから夢として、なかったことにしてしまえるのか。  熱に浮かされ気絶するように眠りに落ちたけれど、それも全部夢で、本当はもしかしたら幼いあの日、何も起きていなかったのではないか。  でもそうだとしたら、あの炎も、狼も、消えてしまうのではないか。  目を覚ましたら、全て消え去っているのではないか。  身体が熱い。  意識が朦朧とする。  目覚めるのが怖い。  あの炎が消えてしまうのは嫌だ。やっと、やっと得られた僅かな希望だったのに。  怖い。でも目を覚まさなければ。目を覚まして確かめなければ。  もがき、あがき、手を伸ばし、ふとその手が柔らかな何かに触れた。ふわふわとした何かがその手を包み込む。はっと、レイスはようやく目を開いた。  視界に映った燃え盛る炎。けれど全く熱くもなく、むしろ優しく柔らかに包み込んでくる。  傍らから、大きな狼の顔が覗き込んできた。 「夢じゃ、なかった……」 「ああ、夢なものか」  手を取られ、大きな舌で頬を舐めあげられて、自分が泣いていたことに気づく。  夢ではなかった。現実だ。この狼との出会いは、つまり、自分が犯した罪はぬぐい去ることなど出来ない現実だったということ。  熱い。  目が、頭が、胸が、熱くて苦しい。  この手で他に替えようがない大切な人たちを失った。そのかわり、誰より欲する存在を得た。苦しかった。何も失いたくなどなかったのに。  嗚咽が溢れる。 「まだ眠っていろ」  宥めるように、ふさふさとした尻尾が包み込んでくる。途端に不思議と苦しさが引いていった。  眠気が訪れて意識が遠のいた。ぎゅっと、無意識に狼の毛を握りしめた。  眠りに落ちていく間際、ふと、子供の声が耳に響いた。オレンジ色の大きい子狼と桃色に近い赤の小さい子狼。獣の耳と尻尾をぴょこぴょこ忙しく動かして、賑やかに笑っている。  後ろに寝そべっている大きな狼は、さっきの狼だ。その懐で、小さな二匹の獣にのしかかられて、埋もれるようにしてもがいているのは、どこかで見たことがあるような気がする人間。 「マー、起きてー! ヴァイと遊んでー!」 「ママばっかりずるいずるい! リダもパパのおなかでねるう!」 「だあああ、おまえらうっとうしい!! ってか、二人同時で乗るな、重いだろうが!」  金色の髪が翻って激しく喚いて人間が起き上がる。しかしその直後に激しく二匹が飛び跳ねて、どこかで見たそれは一瞬でまた獣の腹に逆戻り。  さらに追い討ちのように大きな獣の尻尾が一人と二匹に覆いかぶさった。  獣の毛並みの合間から金色の頭が這い出そうともがくも、力つきる。 「マーだいすき!」 「リダはパパのほうが好きだから! でもママもちょっとは好きになってあげてもいいんだからねっ」  はしゃぐ子狼に、背後の大きな狼が笑った。 「だめだ。こいつは俺のだからな」 「お前らなぁ!」  呆れるようなため息が聞こえた。ぎゅっと大きな狼の毛並みに包み込まれて、その中から四人それぞれの笑い声が聞こえてくる。  絶え間ない笑い声に心安らぐ平和なひと時。  幸せで不思議な家族の姿。  なんでこんなものを見ているのか。なんでこんなに懐かしいような、親しみが湧くような気持ちになるのか。  わからないけれど、いつになく穏やかで、愛おしい。  温かな気持ちが穏やかな眠りを引き起こす。  すっと、緩やかに意識が遠のき、レイスはまた温もりの中で眠りに落ちた。

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