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第1話

【 雛森-side 】 あの年、中学校の校庭に植えられていた桜は満開だった。 俺は、中学校最後の年、卒業式を終えた後、校舎裏に幼馴染を呼び出した。 好きだと告白するために。 相手の名前は、倉科遼(くらしなりょう)。 そして、男。 倉科とは家が近所で、物心付いた頃から一緒に遊んでいた仲だ。 俺達はいつも一緒にいて、俺の隣・・・・・・いや、少し斜め前にはいつも倉科がいた。 俺は倉科の後から、ずっとくっついてたんだ。 他の誰かが倉科と二人っきりになるなんて事はなかった。 俺がいたから。 いつも二人でワンセットみたいに数えられてて・・・・・・だから、これからも、ずっとそうだとばかり思ってたんだ。 高校受験が俺達を引き裂いたりしなければ。 倉科の事が好きなんだと自覚したのもこの頃。 これからは、近くにいられない。 倉科にはきっと高校で俺以外の友達が出来る。 そうしたら俺のことなんてすぐに忘れちゃうだろう。 俺は倉科の『特別』じゃないかもしれないけど、俺にとって倉科は『特別』だった。 別に男が好きってわけじゃない。 女の子見ても可愛いって思えるし、他の男を見たってキュンッてしたり、ドキッてしたり、えっと、つまり、ときめいたりしない。 倉科だから好きなんだ。 これって恋だよな? だから決心した。 俺のこの想いは受け入れてはもらえないと分かっていて・・・・・・全部覚悟の上で。 「ずっと好きだったんだ」 俺、どんな顔して言ったんだろう・・・・・・ 倉科の顔、まともに見れなかったから、俺はずっと俯いていた。 良い返事なんて期待してない。 期待なんかしちゃいけない。 俺の気持ちを知ってもらえるだけで・・・・・・ 「そんな性質の悪い冗談言うヤツだったなんて知らなかった」 冷めた声。 俺、今まで倉科のこんな声、一度も聞いたことない。 「冗談なんか・・・・・・」 顔を上げると、倉科は俺に背中を向けていた。 「じゃぁ、なんだよ・・・・・・ったく、気持ち悪ぃなぁ」 大きな溜息。 ほんと嫌そうに・・・・・・ 一度も振り返ることなく、倉科は俺から離れて行った。 あれから五年・・・・・・一度も倉科には会っていない。 まぁ、会えるわけもないけど。 今世紀最大、最悪な思い出。 言わなきゃ良かったと後悔した。 そうすれば、もう少しだけ一緒にいられる時間があったかもしれないなんて・・・・・・思ったりしてさ・・・・・・ もしも、自分に時間を巻き戻せる力があったら・・・・・・ 中学校の卒業式、あの日の校舎裏にあった、満開に咲いていた大きな桜の木の下での告白をなかったことにしたい。 俺は、この日の午前、郵便で届いた中学同窓会の案内を手に大きな溜息を吐き出した。 白色の蛍光灯が規則的に並ぶ天井から視線を移動して、壁掛け時計を見れば、只今の時刻午後二時を少し過ぎたところ。 外はどんより曇り空。 ったく・・・・・・行けるわけねぇだろ、同窓会なんて。 俺人見知りで、友達って呼べる奴、倉科ぐらいだったんだし・・・・・・その倉科にも嫌われちゃったんだから。 その白い封筒を、カラフルなファイルが山積みにされた一番上に乗せた。 「じゃぁ、雛森くん、行ってくるけど、あと何か買ってくるものあった?」 入口で振り返ったのは、バイトの鬼頭要(きとうかなめ)。 剣道有段者だと面接の時に語っていたが、今のところ剣の腕前を披露してもらえるような機会はなかった。 「今のところ思いつかねぇから、何かあったら携帯に連絡入れる・・・・・・電源入れておけよ?」 俺と要はガラケー仲間。 おっと、今さらだけど、俺の名前は雛森由貴(ひなもりよしたか)。 この雛森探偵事務所の所長、雛森恭介(ひなもりきょうすけ)の甥だ。甥と言っても血の繋がりはなく、両親も実の親子ではない。 俺はまだ泣くことしか知らない赤ん坊の頃、神社の境内に捨てられ、幼稚園に入るまで施設で育った。 中学を卒業し、学校から近いという理由でこの事務所に転がり込んだものの、高校は中退。 現在は、ここで所長代理として働いている。 「うん、じゃぁ、行ってきま・・・・・・」 ピンポーン、と来客を知らせるチャイムが鳴った。 「恭介、来たみたいだぜ、依頼人?」 俺は開けっ放しになっている所長室に向かって声を掛け、要を横に退けて入口を開けた。 そこには、ビシッと紺の縦縞スーツを着た若い男が立っていた。 「やぁ、久しぶり、由貴くん」 「え?今日の依頼人って、林原さんだったんですか?」 林原信行(はやしばらのぶゆき)、彼は恭介と中学校時代からの悪友だと聞いている。 「いらっしゃいませ・・・・・・じゃぁ行って来ます、雛森くん」 林原さんとは入れ違いに要が外へ出て行った。 「何年ぶりかなぁ・・・・・・相変わらず可愛い顔して」 林原さんから名刺を受け取り、そのまま恭介がいる応接室へと通す。 「からかわないで下さいよ・・・・・・恭介!ちゃんと起きろよ!林原さんは依頼人だぞ!」 大欠伸をしながら所長室から出てきた恭介の額に軽いでこピンを食らわせ、俺は二人のためにお茶を入れるべくキッチンへ向かった。 手馴れた手付きで三人分のお茶を用意し、応接室へ引き返す。 「由貴、今こいつ桐条胡桃(きりじょうくるみ)のマネージャやってんだけどぉ」 桐条胡桃と言えば、最近出演した化粧品のCMで人気急上昇中のモデルだった。 テーブルの上には、これまでに彼女が受けたとされるストーカー行為による品々が広げられていた。 隠し撮りされた写真、筆跡が判らないように加工された文字が躍る何通もの手紙、雑誌の切り抜き・・・・・・ 熱烈なファンの仕業ってことはないのだろうか? 「このリストは?」 ホッチキスで左上を閉じた三枚の紙には日付と、物の名前と部屋の名前が一覧表になっている。 「胡桃の部屋から無くなったもののリストだ」 毎朝彼女が愛用していたマグカップ、歯ブラシ、スリッパ。 そのストーカーは合鍵を持っているのかもしれない。 「監視カメラには怪しい人物も映っていないし・・・・・・部屋の鍵も取り替えたりしてるんだが・・・・・・」 被害は続いているのだと言う。 警察には被害届けを出しているのだが、ストーカーが現れるのも毎日と言うわけではないらしい。 有名税というやつさ、と最初は相手にしてくれなかった警察も重い腰を上げて巡回してくれている時は何も起こらないのだ。 警官が警戒を解くと、再びストーカー行為が開始される。 何処かから監視してるんだろうか? 「とりあえず、今日は顔合わせと言うことで、胡桃に会ってもらえるかな?」 俺がその他の資料に目を通している間、恭介が林原さんにこれからのことを説明していく。 仕事の内容は、彼女のボディーガード。身辺警護はもちろん、彼女の仕事への送り迎え。そして、出来ればストーカーの正体を暴き、その行為を止めさせること。 「林原さん、桐条さんの仕事現場にストーカーが現れたことはないんですか?」 「ん?そういやぁ・・・・・・そうだな・・・・・・一度も、ないな」 俺の問いに、林原さんは顎に手を当てて記憶を探る。 「由貴、啓太がそろそろ出てくる時間だから、現地で合流するように連絡してくれ」 「へいへい・・・・・・?そういえば、あいつ・・・・・・昨日俺の車乗って行ったきりじゃねぇか!!」 雛森探偵事務所では、基本的に二人、若しくは三人で行動する事を原則していて、単独行動を禁止している。 正社員である俺は、いつもバイトを連れて行動する事が多かった。 その内の一人、西尾啓太(にしおけいた)は大学一年生。派手な銀髪で、格闘技を一通りマスターしているらしく、がっちりとした体格をしている。 恭介はなぜか俺と啓太を組ませることが多かった。 俺は林原さんに一礼して退室すると、自分のデスクの上にある電話の受話器を持ち上げた。 短縮ボタンで啓太の携帯を呼び出す。 けれどコール音が長く続いて留守電に切り替わった。 (んにゃろう・・・・・・) 留守電にメッセージを入れることなく受話器を下ろす。 だが、すぐに電話が掛かってきた。ディスプレイにはカタカナで『ケイタ』と表示されている。 「てめぇ・・・・・・今俺からの電話ムシしやがったろう?」 「ちっ、違うよ!!雛森くん!!まだ俺大学にいんの!!これでも慌てて掛け直したんだよ!!」 「んなことはどうでもいい!!仕事だ!」 理不尽だって言った啓太の言葉はスルー、用件を手短に伝えて、少々乱暴に受話器を下ろす。 そこへ。 「ただいま戻りましたぁ」 のんびりとした雰囲気を漂わせて、要が帰ってきた。近所の百円均一店に事務所の備品を買いに行ってくると言って出掛けたのはずだが、帰ってきた要の手には何も無かった。 「要・・・・・・お前何しに行ったんだ・・・・・・・」 「あ、忘れた」 「待て」 引き返そうとした要の肩を掴んで振り向かせた。 「なに、雛森くん?」 「俺ら出掛けるから、留守番しとけ」 イスに掛けたままの上着を取って、応接室に引き返す。 「恭介、車用意してくるから」 開けっ放しの扉の隙間からそう声を掛けて、再び要に近寄る。 「現地で啓太と合流することになってっから・・・・・・お前時間来たら戸締りして先帰っていいぞ」 恭介に買ってもらった腕時計を嵌めて、引き出しから車の鍵を取り出した。 「分かったぁ・・・・・・あ、今度一緒に飲みに行こ。雛森くんの奢りで」 「お前酒癖悪ぃからなぁって、なんで俺の奢りなんだよ・・・・・・まぁ、考えとくよ」 俺は苦笑しながら要に背を向け、事務所を出た。 エレベーターを使って地下の駐車場に下りると、一台のスポーツカーに向かって鍵を翳した。 ピピッと電子音の後、施錠が解除され、ランプが点滅する。 この車の前には林原さんが乗ってきた銀色のベンツが停まっていた。 俺が車に乗り込むと同時にエレベーターのドアが開き、恭介と林原さんが出てきた。 そのまま林原さんはベンツに、恭介は俺の車の助手席に乗り込んで、桐条胡桃の仕事場へ向かって車を発進。 カーラジオからは台風接近に伴う情報が流れ、恭介は訝しげな表情で空を見上げた。 「嵐になるかぁ?」 独り言のように呟いた恭介に向かって、俺はただ、そうだな、とだけ返した。 暫く車を走らせていくと、突然先を行くベンツが、恭介から聞いていた場所へ向かう道から外れた。 「いい。お前はこのまま向かえ。あいつは前の現場に桐条胡桃を迎えに行ったんだ。俺達はこのまま・・・・・・」 「そういうことは前もって言ってくれる?焦ったじゃんか」 「あぁ、悪い悪い」 全く悪いと思ってねぇだろ?ジロッと睨みつけてやると、素知らぬ顔で恭介はタバコを取り出して火を点けた。 「恭介、俺にも一本」 あーんと口を開けると、しょうがねぇなぁ、と一本取り出してくれた。赤信号で停まると同時にライターの火にタバコの先を近づけた。 「そういやぁ、お前、禁煙してたんじゃなかったのか?」 「そんな俺の隣でタバコ吸いだしたの誰?」 禁煙生活三日目にして挫折。 「俺だってのか?」 白い煙を吐き出して、俺はアクセルを踏み込んだ。 「それで・・・・・・桐条胡桃はストーカーする人物に心当たりは?」 俺が退席した後どんな打ち合わせをしていたのか説明を受け、恭介の話が一旦区切りが付いたところで俺は思っていた事を口にしてみた。 「今のところは無いようだ・・・・・・まぁ、あぁいう仕事をしてれば、勘違いするヤローはいくらでもいるだろう」 雑誌だけでなく、テレビにも露出度が高い彼女の知名度は、今時の幼稚園児でもフルネームで名前が言えるほどだ。 まぁ、俺は知らなかったんだけど。 恭介に指示されたビルの地下駐車場で車を降りる頃、とうとう雨が降り出したようだった。 俺達が駐車した近くに赤のスポーツカーは停まってないから、まだ啓太は来てないみたいだ。 林原さんの銀色のベンツもない。 「由貴はここで啓太を待ってろ。俺は先に上へ行ってるから」 俺を車内に残して、恭介は助手席から降りた。 上へ向かうエレベータは地下で待機していたらしく、恭介がボタンを押したと同時に扉は開いた。ヒラヒラとこちらに手を振って、恭介の姿が消えた頃、一台の車がヘッドライトをつけて近づいてきた。 銀色のベンツだ。 俺は車から降りて、その銀色のベンツから降りてくる人物を待った。 運転席からは林原さんが、そして後部座席からは小柄な女性が降り、彼女が桐条胡桃だと知った。 先程事務所で見せてもらった雑誌の彼女とは随分印象が違うように思う。 身に付けているもの、化粧の仕方で随分女性は変身すると言うけど・・・・・・? それだけだろうか? 「あれ?恭介は?」 桐条胡桃を伴って林原さんが近づいてきた。 彼女は俺に向かってペコリと頭を下げ、俺も彼女に向かって軽く一礼すると、恭介は既に上へ向かった事を告げた。 「俺、もう一人を待ってないといけないんで、先に行ってください」 二人を見送った五分後に、啓太が運転する真っ赤なスポーツカーが到着した。 「雛森くーん、待ったぁ?」 ヘラッと笑いながら近づいてきた啓太のケツを、少々力を込めて蹴り上げる。 バシッと、いい音と共に啓太が飛び上がる。 「ぎゃいん!!」 「遅ぇんだよ!」 「いったーい!!これでも急いで来たんだよぉ!!外はもう大雨だし、ワイパー意味ないくらい酷いんだから!!」 来る時にラジオで聞いた台風の影響による大雨かぁ・・・・・・ 「おら、行くぞ!」 まだ抗議を続ける啓太をおいて、さっさとエレベーターに向かった。 「ちょっ・・・・・・待ってよ、雛森くん」 慌てて俺の腕を掴んで、そのままエレベーターに乗り込む。 2階のボタンを押して、欠伸を噛み殺しながら壁に凭れた。 「じー!」 そんな俺の顔を、でかい体を折り曲げて啓太が下から覗き込んできた。 「・・・・・・んだよ?」 「雛森くん、顔色悪い・・・・・・昨日ちゃんと寝た?」 「寝た寝た・・・・・・ふぁあふっ」 欠伸をして目尻に涙が浮かんだ。 なんだよ、その疑いの眼差しは・・・・・・しょうがねぇだろ、人手が足りないんだよ・・・・・・お前らはバイトで時間が決まってるし。 浮気調査に家出娘探し、警察からの捜査協力とか? 所員少ないんだから仕事も減らせばいいって、よく啓太には言われるんだけど。 休みがあってもなぁ・・・・・・休日の過ごし方って分かんねぇもんなぁ・・・・・・ 彼女なんていねぇし、友達って呼ぶようなヤツもいねぇし・・・・・・ エレベーターを降りて、待ち合わせのカフェに向かう。 漸く店に入って来た俺達に気付いて恭介が手を上げてくれた。 「えっと、こっちが甥の雛森由貴で、こっちがバイトの西尾啓太」 恭介に名前を呼ばれ、桐条胡桃に向かって挨拶を交わす。 桐条胡桃の前に恭介、俺、啓太と座った。 事務所で林原さんから説明を受けていた俺達も、桐条胡桃の口から改めて現在の被害状況を聞いた。 「もう・・・・・・どうしたらいいのか分からなくて・・・・・・マネージャーに相談したんです」 それまで啓太は黙ったまま、隣で事務所で林原さんから受け取っていたファイルをパラパラ捲っていたんだけど。 「ねぇ、雛森くん・・・・・・この手紙・・・・・・」 啓太の手を止めたのは、桐条胡桃のマンションのポストに入れられていくというファンレター? 「なんだよ、どうした?」 「書体が変だよ・・・・・・こんな癖のある字、調べればすぐに分かるじゃない?」 お前はバカか? 癖がある字、じゃなくて、癖がバレないように細工されてんだよ、ソレ。 もっとまともな事言えよ、って睨みつけると、啓太は怯えた表情で再び視線を落とした。 「・・・・・・で?」 顔を上げた啓太は、まともに俺と目を合わせて硬直しやがった。 新発見はねぇのか? 「啓太、他に気付いたことはないか?」 客の前だったということを忘れて、絶対零度の凍気を身に纏う俺の肩に恭介が手を乗せた。 「・・・・・・ごめんなさい・・・・・・今のところは・・・・・・」 シュンと肩を落として、ファイルを抱き締める。 「そうか。それじゃあ、林原、桐条さん。この後はここの仕事が終わり次第、桐条さんのお部屋の調査と・・・・・・」 恭介が話をまとめ始める。 彼女の仕事の間に、恭介を現場に残して、俺と啓太は再び地下駐車場へ向かった。 車のトランクに常備積んである道具を確認する。 盗聴器や隠しカメラを探す探知機や、監視用カメラ、ノートパソコン、その周辺機器一式、懐中電灯他、前回確認した時同様故障しているものは無い。 バッテリーも十分・・・・・・・・・ん? 「啓太・・・・・・このケース傷がついてる」 「あぁ、このちっちゃいのでしょ?でも中身には何の支障もないからオッケーでしょ?」 って、そういう問題じゃねぇんだよ・・・・・・ったく、手荒に扱いやがって。 俺と一緒に腰を屈めてトランクを覗き込んでいた啓太の額をぺシッと叩く。 俺に突っ込んでくれと言わんばかりに前分けされた髪・・・・・・ほんと叩きやすいぜ。 「そう言えば、お前、この間の浮気調査・・・・・・報告書が出てない」 「うわっ!忘れてた!!」 「今日書いてから帰れよ・・・・・・あれ、そろそろ先方に調査報告出さなきゃいけねぇから・・・・・・」 そう言うと、啓太はあからさまに嫌そうな顔をした。 「えぇ!!台風くるのに!!俺文章とか書くの苦手なんだよなぁ・・・・・・写真いっぱい撮ったから、それ貼るだけじゃダメ?」 現役の大学生が何言ってやがる・・・・・・ 「俺が良いと思うまで何回も書き直させる」 「えぇぇぇ!!雛森くん一回でオッケーくれたことないじゃん!!鬼ぃ!!」 うるさい!うるさい! もう一度啓太の額をぺシッと叩いて、トランクを閉めた。 「ねぇ、この後、俺達はどうすんの?」 車体に持たれてタバコを取り出した俺の手から箱ごとタバコを奪って、啓太が目の前に腰を落とした。 ったく、お前はさっきの打ち合わせの席で何を聞いてたんだ? 「桐条胡桃が仕事終わるのを待って、彼女のマンションへ行って、盗聴器とかないか探して、所長を残して俺らは一旦事務所に戻る。お前は事務所で報告書を書いたら今日は終わりだな・・・・・・」 啓太が持つタバコに手を伸ばすが、ひょいっと交わされた。 ムッとして啓太を睨みつけるが、こういうときの俺の睨みは恐くないらしい。 「禁煙中なんでしょ?」 そう言って、タバコを自分のズボンのポケットに押し込んじまった。 車の中でもう一本吸ってきたなんて・・・・・・ちょっと言えなくて、俺はしょうがなく啓太が代わりにと差し出した桃の飴を口の中に放り込んだ。素直に飴を頬張る俺に、満足げな笑みを浮かべた啓太は下から俺の顔を暫く見てた。 で、突然啓太の眉間に皺が寄った。 「雛森くん、今の内に車の中でちょっと寝たら?俺起きてるからさ・・・・・・所長来たら起こしてあげるよ?」 そんな気遣いはいらん、と思ったけど、なんか有無を言わさぬって感じで啓太に腕を取られて、赤いスポーツカーの助手席に押し込められた。 「なんなら俺が子守唄歌ってあげようか?」 「いらん!」 本当に歌い出しそうな雰囲気の啓太に背中を向けて、俺は目を閉じた。 バタン、と音がして運転席に啓太が乗り込んだらしく、車が一度大きく揺れたけど、俺はそのまま目を閉じたままでいた。 子守唄はいらないと言った俺の隣で、啓太が遠慮がちに鼻歌を歌う。 小さい頃、一度は聞いたことのある子守唄。 俺の口元には笑みが浮かんでいた。 啓太がそれに気付いたかどうかは分からないけれど、俺はそのまま眠りに落ちていったんだ・・・・・・

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