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第47話・翌年の春・3
「お二人さーん、そろそろ戸締まりするよー」
入り口から声をかけてきたのは、英吉さんだった。俺たちは慌てて顔を離す。
この屋敷は広い。高齢な毒島さんだけでは、戸締まりをして見回るのは大仕事だ。英吉さんも手伝っている。
俺の後ろから長い腕が伸びてきて、ふわりと抱きしめられた。
馬場くんが眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。寸止めだったからな、かなり苛立ってるぞ…。
「離れてください、英吉さん」
「僕も晃くんが好きだからね。君と同じ、お香はただのきっかけ。晃くんの素直で可愛いところが好きなんだ」
「俺と晃は付き合っているんですから」
その言葉に対抗するかのように、抱きしめる腕がギュッと力を入れる。
「そういうお付き合いって、一生モンじゃないんだよ? 君もいろいろ経験すればわかるよ」
声は優しいけど、目は笑ってないかもしれない。
俺がいくら、馬場くんと付き合うことになったと話しても、英吉さんは引いてくれない。それは大介も同じだけど…。
後ろから、白い指で顎を撫でられた。このなまめかしい動き、英吉さんはかなり経験豊富と見た。
一見、色白で儚そうに見える英吉さんは、オバサマ客に人気だ。離れの作業場は予約制で人数制限もあるが、英吉さんが修復作業をしている様子を見学できる。古書マニアな人より、英吉さん目当てのオバサマだらけだ。とても愛想がよく女性の扱いも紳士的で、“修復王子”とオバサマたちから呼ばれている。
「僕だけでなく源さんもまた、晃くんと料理ができるのが楽しいって喜んでたからね」
源さんは、俺のためにお揃いの前掛けを用意してくれた。それを俺に渡した源さんは、嬉しそうに刀傷のある頬を赤らめていた。
ここでの生活は楽しい。けど、この謎のモテ期だけは何とかならないものか――
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毒島は、カフェでの様子をちらりと見ると、穏やかな笑みを浮かべて、声もかけずにその場を去った。
自分の部屋に戻ると文机の引き出しを開け、便箋と万年筆を出した。姿勢を正し、万年筆を持つ。便箋の一枚目には、こう記されている。
『弥勒院代々より伝わるお香に惑わされた者たちの記録』
《“――以上が、『弥勒院古書博物館』が開館するまでの出来事である。
お香の効果は切れたものの、カフェ『ミルクホール』の店長、野崎晃は、相変わらず男性陣から愛されている。
弥勒院家最後の主、弥勒院定嗣 の愛弟子、妹尾栄吉。
弥勒院家で賄いをしている牧田源司。
目下のところ、恋人である『弥勒院古書博物館』の館長補佐、馬場勇次。
博物館の送迎バスの運転手、巽大介。
彼らは、お香の匂いが混じった野崎晃の体臭に惑わされた。野崎晃は現在、蔵にも展示室にも近づいていない。なのに彼らは、今でも野崎晃を愛している。彼の人柄が好きなのだ。
ここでもう一人、お香に惑わされなかった米澤千晶だが、彼は今、駅前のコンビニで働く合間に、『弥勒院古書博物館』の売店なども手伝ってくれている。
その彼も、今後どうなるのかはわからない。友情以上のものが芽生えないとも限らない。
この先どのような展開になるのか、彼らを見守り続け記録を残したい。》
毒島は、晃たちの恋愛模様の実録を、未来の『弥勒院古書博物館』の新たな目玉にしようと考えた。小野小町が男であり、弥勒院兼光との情事が女性に人気なのをヒントにした。弥勒院家での恋愛沙汰を生々しく記録したものが、後の世の女性たちの話題になるのでは、と。
B5サイズの封筒まで用意されている。開封する日付は、毒島の死後七十年と記されている。
今日はここまでにするか、と片付けをした毒島は仏壇に手を合わせた。
(旦那様、素晴らしい巡り合わせをありがとうございます)
――完――
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