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炎狼の花嫁5
矢をつがえ、メイスが三矢同時に弓を引く。追い風が馬の脚と矢の勢いを増す。敵の馬が倒れ、騎手が投げ出される。しかし敵もそれほど馬鹿ではなかったらしい。すぐさまメイスの実力を見て戦法を変えた。数に頼んで二方面三方面から囲い込もうとする。
矢の雨がメイスを襲う。巧みな手綱さばきでメイスは矢を避け、払い落とすも、反撃の隙が乏しい。
二騎が網を広げてメイスの進路を遮ろうとした。レイスの脳裏に7年前の襲撃が蘇った。レイスは渾身の矢を放った。メイスの陰をすり抜けた矢は網の綱もろとも右手の騎手の腕を貫いた。
断ち切られた網を飛び越え、メイスが反転する。
血が上った野盗は、今度は一斉にレイスに向かってきていた。
「しゃしゃり出てくるんじゃねぇよ!」
レイスは馬首を翻した。矢を放ちながら駆け寄ってきたメイスと並走する。しかしまだ向こうの方が数は多い。
先程までヴァルディースに魔力を奪われていた影響で、あっという間に息が上がってくる。よりにもよってこんな時に、と思わずにはいられない。
ーーばれない程度に援護はしてやるさ。
その時脳裏にヴァルディースの声が響いた。その瞬間、敵の足元に炎が走った。
「なっ、魔術か!?」
野盗の馬が嘶き、棹立ちになった。
暴れる馬に振り回され、野盗は何もできずひとかたまりになっていた。メイスとレイスは同時にあられのように矢を降らせた。
次々と馬が倒れ、人は投げ出されてうずくまった。その上を暴れ馬が踏みつけ、駆け抜けていく。草原は混乱に陥った。おまけとばかり、レイスは野盗が放り出した網を投げつけた。男たちが網の下でもがき、呻く。
レイスは馬上から剣を突きつけた。首領らしき男が青ざめ、諸手を挙げた。
「斬るなよレイ。こいつらも思い知っただろう」
メイスが馬を寄せながら笑う。額に汗は流れていたが、怪我はなさそうだ。確かに、メイスは人間としても歴戦の戦士だ。何も知らなかった頃ならまだしも、今であればこの程度の人間から傷を受けるわけもないことは、考えなくてもわかる。ほっと安堵し、レイスは剣を下ろした。
「いいかお前ら。ここは魔の土地だ。さっきの炎を見ただろう? 近づくものは呪われるぞ」
わざとらしいメイスの言葉にも、男たちは震え上がった。
網をはねのけると、わずかに残った馬で怪我人を抱え、大慌てで逃げ去っていく。
「あんな魔女に関わってられるか!」
野盗の一人が叫んだ。思わずレイスは弓を引いた。矢は男の尻をかすめ、情けない悲鳴をあげて飛び上がった。
「誰が女だ」
思い切り低く毒づいてやったら、隣でメイスに笑われた。
「いや、あいつらが間違うのも仕方ないと思うぞ。似合いすぎて恐ろしいくらいだ。というか、なんだか縮んでないか?」
馬を寄せてきたメイスがレイスの頭に手をやって身長を比べ、きょとんとする。レイスは思わず馬を離した。今の格好を思い出すと、穴にでも入りたくて仕方なくなる。悪気ないメイスの言葉が、純粋なだけにぐさりと胸に突き刺さった。
「ヴァルディースのやつに縮められた……」
ぐっと手綱を握りしめたら、馬が抗議するように嘶いた。
事と次第はこうだ。姉が花嫁衣装を手直ししていたが、流石に肩周りが窮屈だった。なんとかしようにも布が足りない。レイスとしてはやっと諦めて貰えるかと安堵したのだったが、ヴァルディースがそこで余計なことを言い出した。
「だったら縮めればいい」
何を、と尋ねる間もなかった。次の瞬間には紐を解いたようにレイスの身体は縮んでいたのだ。
「ああ、レイの身体は今、ほとんどがヴァルディースの魔力で構成されているものな。あいつにとっては、自分の身体を変化させるのと大差ないのか」
話を聞いたメイスがぽんと手を打つ。その反応すら屈辱だ。理不尽すぎて納得なんかされたくない。
今はいつもより一回りほど小柄だ。さっき弓を引いた時だって力がまるで出なかったほど。身体が自分のものではないようにすら感じる。
鏡の前に立った時も、絶句するしかなかった。成長期前の子供にしか見えないどころか、真っ赤な花嫁衣装に色とりどりの宝飾品をつけられ、姉に無理矢理化粧までさせられてしまったおかげで、自分でも女にしか見えなかったのだから。
せめて横に広がるスカートは縫い合わせてズボン状にしてもらえたのが唯一の救いだろうか。今更遅いのはわかっているが、改めてレイスは深紅のヴェールを引き寄せ、深くかぶりなおした。
できることなら今すぐ逃げ出したい。メイスの危機と聞いてとっさに飛び出してきてしまったが、このまま皆の前になど戻りたいと思えるわけもない。
だというのにだ。
「父さん、レイ、大丈夫!?」
草原にユイスの声が響いた。
炎の毛並みを持った狼が、エミリアとユイスを背に乗せてゆったりと駆けてくる。狼姿のヴァルディースは、にやにやと笑っているようにしか見えなかった。
咄嗟にレイスは馬首を返して駆け出した。
「レイ、どこに行くんだ!?」
メイスが叫ぶ。本気で追いかけられたら、さすがにメイスには負ける気がする。それでもレイスはその場に留まるなんて考えたくもなかった。
だが、何かがレイスの馬を猛然と追いかけ、追い越した。馬が嘶き棹立ちにになる。目の前を炎が狼の姿をかたどって遮っていた。ニヤリと緋色の瞳がレイスを見据え、歪んだ。赤い揺らめきが視界の隅に入ったと思った途端。レイスの身体は宙に浮いた。
「ヴァルディース!」
レイスはもがいた。放すまいとするのに、また体から力は抜けて、手綱はするりと手からこぼれ落ちていく。獣姿のヴァルディースにばくりと咥えられ、空を駆けていた。眼下で乗り手を失った馬が、首を巡らせて立ち止まった。
「ふざけんな、クソ狼!」
「おい、メイス。婚礼の儀式というやつはどういう手順でやるんだ?」
抗議するのに、ヴァルディースはまるで取り合わず、レイスを自分の背中に放り投げた。メイスもその様にあっけにとられている。代わりにエミリアが声を張り上げた。
「二人で風の女神に誓いを立てて祈るのよ。私たちは嵐が起きようともお互い離れることは決してないから、穏やかな風の恵みを与え給え、って」
「なるほど。ファラムーアが嫉妬したところで無駄だから、おとなしく見守っていろ、ということか。あいつの性格をよくわかってるな、フォルマンの民は」
「確かに、言われてみればそんなところなのかしら」
極端な言いように、さすがのエミリアもあきれ返る。本人は当の風の女神ファラムーアとは昔馴染みだったのだから、遠慮も何もないのだろうが。
「で、俺たちはメイスにそれを誓えばいいんだな」
名指しされた、現在の風を司るメイスはなんと反応したものか困るように、仮設えの祭壇に立って、苦笑いを浮かべた。
ヴァルディースがメイスの前に降り立ち、再び人の姿に変化する。地に足が着いたとき、レイスはここで逃げなければどこで逃げるのだと駆けだそうとした。しかしそれもただの悪あがき。そのままヴァルディースの両腕に抱きかかえられてしまった。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
これ以上ないほどに最低最悪だ。ユイスの憐みのような温かく見守るような、何とも言えない視線が突き刺さる。エミリアはあからさまに冷やかし始めた。その腕の中で、赤ん坊が何もわからず母親につられるままはしゃいでいる。レイスはせめて身を縮めてヴァルディースの胸に顔をうずめて、早く終われと祈るばかり。
「しかし、何もかも今更だな。俺は何が起きようとレイスを手放す気などない。お前もそうだろう?」
今更も今更だった。そもそもヴァルディースの眷属になった時点で、レイスに選択の余地はない。何があっても、ヴァルディースから離れることなど、できはしない。もはやそんなことは誰もがわかりきっている。
わかりきっているのに、言葉を紡がないことにはこの恥辱は終わらない。皆固唾を飲んで一言を待ちわびている。それがレイスにとってはこの上なく恥ずかしく、苦痛極まりないものだというのにだ。
「レイ、お前は違うのか?」
追い打ちのをかけるように、ヴァルディースの低音が耳元でささやいた。違うわけはないのだが、なんでこんなこっぱずかしいことを、こんなこっぱずかしい姿で、わざわざ家族の前で誓わなければいけないのか。
「レイ、がんばってっ」
ユイスの応援が苦々しい。
「諦めろ、レイ。おれも正直、ファラムーアの真似事は早く終わらせたいよ」
メイスが嘆いた。その心境はよくわかる。よくわかるのだが、この一言だけはどうしてもひねり出せない。
「レイ、女は度胸よ、度胸!」
「オレは男だっつってんだろ、クソエミー!」
思わず顔をあげて、改めて自分に集まる視線を目の当たりにして、めまいがした。母の墓まで楽し気に笑っているように見える。
もうこうなればやけだ。
「ああもう、オレは一生こいつから離れねぇよ。それでいいだろ!」
叫ぶと同時に、よくわからない拍手が一斉に巻き起こった。家族の分だけにとどまらず、どこから響いてくるのかもわからない万雷の拍手。そして響き渡る獣の遠吠え。
見ると、森の奥に二頭の狼を先にして、数十頭の群れが集っていた。
「イオスとイルムだ!」
ユイスが歓喜した。昔拾った二匹の仔狼。それが成長し、群れを率い、祝福に現れた。その傍らで、渦巻き乱舞する幾筋もの風。踊るようなその一筋一筋が、レイスの目にははっきりと、数多の小さな精霊に映って見えた。
「みんなもお前のこと、祝ってくれてるみたいだよ」
メイスは笑って、風を見送る。ユイスとエミリアは気づいていない。見えているのは、精霊側になった自分たちだけだ。
「ああ、賑やかで、まるで昔みたいだ」
そのメイスの、懐かしむような何気ない言葉にはっとした。何とも言えない気まずさだった。レイスはもう一度ヴァルディースの胸に顔をうずめた。
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