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選択肢
静かに白川さんの隣に座っている。外は寒かったはずなのに、この部屋はそこまで寒くは感じない。とても暖房の設備があるとは思えないが、なぜだろうか。
「佐倉さんは確か、千台市役所に務められてまだ一年目でしたよね。」
「え、はい。そうですね。でもなんで知っているんですか?」
「佐倉さんが、自分でおっしゃっていましたよ。今日の会議が終わって、お話しているときに。」
宗一は、そのときのことを思い出す。そういえば聞かれてもいないのに、話していた気がする。焦っていた自分を思い出し恥ずかしくなるのと同時に、白川さんが話を覚えてくれていたことに心が暖かくなる。
「大学を一年間休学されていたともおっしゃっていましたよね。もし良ければ、どうしてか伺ってもよろしいですか。」
「え、ええ。別に大したことではないので、構いませんが。」
「ありがとうございます。」
「生まれたときから千台市で、小中高と千台市、大学も千台の大学に進みました。大学三年生のときにですね、来年就職かと思ったら突然不安になってしまったんです。」
「不安に?」
「はい、なんだか今まで自分は自分の人生を、自分の意志で決定したことってあったのかなと、とても不安になってしまいました。」
「なるほど。」
「本当に今のままでいいのか、自分が本当にしたいことは何なのか。自問自答するうちに、とても疲れてしまったんです。」
「それで休学されたと。」
「両親に頼み込んで、一年間だけ猶予をもらいました。最初は少しだけ反対していましたが、私の真剣さが伝わったのか、許してくれました。一年伸びる分かかるお金は、バイトして自分で払うと言ったのですが、その時間を使って何かしてみたらと、お金の心配はするなと言ってくれました。」
「良いご両親ですね。」
「ええ、とても感謝しています。一年間何をするか考えたときに、いろんな場所に行ってみようと思ったんです。その資金を貯めるために結局、バイトはしてたんですけどね。」
「どこに行かれたんですか?」
「最初は東京に行きました。修学旅行以来でした。」
「どうでした?」
「何となく行く前は、すごいキラキラしたイメージを持っていたんですよ。何かはわからないけれど、楽しいことがたくさんあると思っていました。実際、千台にはない新しさや楽しさが溢れていました。」
「東京で就職しようとは、思わなかったんですか?」
「それも良いと思ってたんですが、試しに平日の朝の通勤ラッシュに駅に行ったことがあるんです。映像では見たことありましたが、実際行ってみたらどうなんだろうと思って。何というか、みなさんスーツ着こなして歩いているんですけど、何というか灰色っぽく見えてしまったんです。」
「灰色ですか。」
「はい、こんなにたくさんの人がいるのに、それぞれが完全に関わりが無くて、なんか怖さを感じてしまいました。」
宗一は続ける。
「他にも色々なところに行きました。南は沖縄から、北は北海道まで。それぞれ良いところで、トラブルも多少あったんですけど、今となっては全ていい思い出です。」
「それは素敵ですね。しかしなぜ結局は、千台に戻られたんですか?」
「旅先で出会う人々は親切で、とても良くしてくれました。けど旅を終えて、千台に戻ってくる度に、なぜか安心するんですよ。あー、ホームに帰ってきたーって感じに。」
「ああ、その感覚わかります。なんだかんだ住み慣れている安心感ってありますよね。」
「それを何度も経験していくうちに、千台で良いじゃないかと思うようになりまして。大学にも普通に復帰して、市役所の試験を受けて今に至るって感じです。」
「面接で聞かれませんでした?なぜ休学していたのかって。」
「聞かれました、聞かれました。自分でも笑っちゃうんですけど、答えましたよ。自分探しの旅に出ていましたって。」
そのときのことを思い出して笑ってしまう。
「良く聞く言葉ですけど、いざ自分で言うとなると、何か面白くって。けど、その一年間でしていたことを説明したら、逆に好印象をもってもらえたみたいです。」
「そうして今に至ったと。」
「はい、少しだけの寄り道でしたが、人生で最も忘れられない一年ですね。」
「けどその寄り道のおかげで、佐倉さんが千台で就職して、さらにこうやって寄り道してくれたおかげで、私達が今こうして話すことができているんですね。」
白川さんが近づきながら言う。宗一は、動くことができない。
「え、ええ、そうですね。」
「何か運命みたいなものを感じませんか。」
白川さんが見つめながら、近づいてくる。
「ど、どうでしょうね。」
白川さんから目を逸らす。本当に白川さんなのだろうか。
「白川さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫って何がですか。」
そう言うと白川さんは、私のすぐ隣に座った。
「あ、あの、……。」
「私にも、何でか分からないのですが、なぜか、とても、佐倉さんに、近づきたくなって、しまって、……。」
「何を言って、……。」
白川さんの顔がすぐ横にある。
「お待たせ、宗一」
白川さんの低い声で、耳元で囁かれた。
宗一は驚いて、すぐに逃げ出したかった。しかし身体が動かない。
「宗一なら残ってくれると、思っていたよ。」
「あんたはさっきの、……。」
「そう、神様さ。」
「何で、さっきまでは、普通の白川さんだったのに、突然変になって。」
「僕も予想外だったよ。てっきり白川家の者だったら、すぐに憑依できるものだと思っていたのにね。利嗣君が僕のことを勘違いしているせいなのか、結びつきが弱くなっていたみたいだね。」
「さっきまでは、本当に白川さんだったのか。」
「そうだね、宗一に帰られると寂しいから、見回り中だった利嗣君が気づくように本殿から物音を立てたのさ。」
そう言われると、白川さんは物音が聞こえたので来たと言っていたが、私はそのような物音は立てていない、息を潜めていたぐらいだ。
「さすがに利嗣君も、本殿に入ったら憑依できるようになった。僕の御神体をさっき見ただろう。あのときに利嗣君に入ったんだけど、彼よっぽど精神力が強いのかな、身体の支配権を奪うのに少し時間がかかってしまった。」
「あんたはもう完全に、白川さんをコントロールできるようになってしまったってことか。」
「そのとおり。あとそうだ宗一、僕のことは、アズナイと呼んでくれ。誰がいつそう呼んだのかしらないけれど、それが僕の名を指しているらしい。宗一にも、そう呼ぶことを許そう。」
「アズナイ?」
「まあニックネームみたいなものだと思ってくれていいよ。そして宗一、さっきから逃げ出そうとしているようだけれど無駄だよ。」
図星だった。さっきから逃げ出そうとしているのだが、話す以外、身体が全く動かない。
「さっき夢の中で言っただろう?僕が現れたときに、宗一が本殿に残っていたら、君を襲うって。」
「そんな、ことは、言ってない。どうするか、決めておけと、言っただけだ。」
話すのも辛くなってきた。
「あれ?そうだったけ。まあ細かいことは良いじゃないか。けど無理やり犯すってのも、それはそれで唆られるけど、僕の趣味じゃあない。」
そう言うと、アズナイは私の身体を押し倒し、お腹の上に跨ってきた。
「わかった、今から動けるようにしてあげよう。僕も利嗣君の身体は、動かさないと約束しよう。本当に嫌なら、利嗣君の身体をどかして、そこの出口から出ていけばいい。」
アズナイは、出口を指し示す。それと同時に宗一は、身体が自由に動かせるようになっていることに気づいた。同時に、今自分の上に跨っている白川さんの身体から目が離せない。
「ほら、どうしたんだい?もう動けるように、なっているはずだよ。」
そうだ、こんなことは良くない。良くないに決まっている。宗一は、跨っている白川さんをどかそうと、その足に手を伸ばす。触れた瞬間にわかった。その足は、白川さんの着ているジャージの上からでもわかるほど、たくましい足をしていて、そして自分が求めていたものだと。身体は自由になったはずなのに、その足をどかして、白川さんを自分の上からどかすことができない。
「私は、……。」
「もういいかな。」
そう言うと白川さんの身体は、再び宗一を押し倒し、跨った姿勢から上体を宗一の方に倒し近づいた。
「良いんだよ、宗一。自分に素直になって、良いんだよ。」
白川さん、いや、アズナイはそう耳元で囁いた。
宗一は、静かに白川さんの背中に手を回した。
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