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本殿の中
少し肌寒い。まだどこか意識が、はっきりとしていない。夢を見ていた。それも鮮明な夢。とてもではないが、あれを無かったこととは考えられない。現に私は今、見慣れない建物の中にいる。ただそこがどこであるかは、明白だった。辺りには明らかに神具だと分かるものや、何かの御神体があったからだ。
(あの夢は現実?それともただの夢?)
宗一の混乱は、続いていた。慌ててポケットからスマホを取り出し、今の時刻を確認する。時刻は午後九時五十分。康太たちと別れたのが九時前だったから、賽銭を投げた直後に寝てしまったとして移動時間を考えると、三十分ぐらい寝ていたことになる。酔いは覚めていた。酔いが覚めているという事実、そして窓から外を覗くと白川神社であることがわかった。
(ここが本殿ってところか。おそらく普段は、入れないような場所なんだろう。)
あいつの言っていたことが確かなら、十時になったらあいつが憑依した白川さんが現れる。出口と思しき方を見ると、鍵が開いていることが分かった。
(全てあいつの言っていたとおりだ。いくら私が酔っ払いだろうが、本殿の中に勝手に入って寝るなんてことしないよな。)
時刻は九時五十五分。あと五分で白川さんが、ここに来てしまう。ここで待っていれば、憑依されているとはいえ、白川さんに会うことができる。そして、触れることができる。そう思うと、宗一の足は真っ直ぐには出口には向かえずに、決断を下せないでいた。
(どうしよう。早くしないと、あいつが現れてしまう。確かに私が無意識に、白川さんに触れたい、触れられたいと思ってしまっていることは理解できた。ただ、これからここに現れるのは白川さんの身体ではあるものの、中身は白川さんじゃないんだよな。)
宗一は、自分の欲望と理性の間で迷い続け、その場を動けずにいた。そしてある結論に至る。
(そうだ。これから現れるのは、見た目は白川さんでも、中身はあの神様だ。じゃあそこで、本当に憑依なんてされているのか、確認してから立ち去っても問題ないだろう。)
そう結論づけた宗一は、待つ覚悟を決めた。間もなく時刻は、十時になる。
誰かの足音が近づいてくる。スマホを確認して時計をみる。時刻は丁度、十時を指していた。宗一は、固唾をのんで出入口を見つめる。座って待つことにした。
扉がガラっと開く。そしてその人物が入ってくる。
「誰だ!」
その人物は、懐中電灯をこちらに向けている。眩しい。眩しくて、誰だかわからない。そして、ゆっくりと近づいてきた。
「さ、佐倉さん?」
白川さんだった。宮司の格好ではなく、普通のジャージのようなものを着ていた。
「え?」
宗一は、そう言って固まってしまった。白川さんは明らかに、意外だと驚いている用に見える。
「白川さんでいいんですよね?」
「はい、そうです。佐倉さん一体なぜこんなところに?ここは本殿と言いまして、一般の方は立入り禁止の場所になっています。夜の見回りをしていて、ここから物音がしたので来たのですが。」
「え、ええ。申し訳ありません。実は先程まで職場の人とお酒を飲んでいまして、解散した後にここに寄らせていただきました。賽銭をしたらすぐに帰るつもりだったのですが、かなり酔っていて寝てしまったみたいです。記憶にはありませんが、寒くて建物の中に勝手に入ってしまったのだと思います。本当にすいませんでした。」
「いえ気にしないでください。鍵は閉めていたつもりですが、こちらの落ち度でもあります。そういう事情であれば、しょうがないです。この時期の野外で寝てしまうことは、とても危険ですからね。結果として、佐倉さんが無事だったみたいで何よりです。」
白川さんは、こちらが完全に悪いにもかかわらず、優しく受け止めてくれた。ああ、この感じ、この感覚をまた味わいたくて、私はここについ寄ってしまったのかも知れない。今思えば、無理やり白川神社に寄る理由を探していた気がする。言葉にしていなかったから、気づいていなかっただけで、私の心は既に白川さんに囚われてしまっていたようだ。
「すいません、このような状況で突拍子のないこと伺ってもよろしいでしょうか。」
「突拍子もないことですか。どういったお話でしょう。」
「白川さんは、この神社の神様に会ったことがありますか?」
「この神社に祀られている神様にですか?」
白川さんは動揺したのか、少し間を置いて答えた。
「いえ、ありません。あくまで信仰の対象であって、これまでも、そしてこれからもお会いすることはないでしょう。」
「そうですか。ところでこんな質問を、宮司である白川さんにするのも失礼だとは思うんですが、……。」
「何でしょう?」
白川さんも緊張が解けてきたのか、ニコリと返事をしてくれた。眩しい。
「ここの神様が、何の神様かご存知ですか?」
「ええ、もちろん。先代の父からですが、恋愛成就の神様だと教わりました。おかげさまで今では、この神社も恋愛成就のご利益を目的に、多くの方に参拝していただけるようになりました。」
嬉しそうに白川さんは、そう話した。まさか宮司の白川さんでさえ、間違った認識をしていたとは。神様の力も弱まる訳だ。
「その恋愛成就の神様に、会ってしまったかもしれません。」
嘘をついた。白川さんが驚いたのか、目を大きくする。そんな顔も素敵だ。
「会ったというと、どういうことでしょう?」
強い興味を抱いたのか、少しこちらに近づきつつ言ってきた。近い、近い。
「と、とりあえず説明しますが、少し長くなるので、白川さんも座ってください。」
「そうですね、失礼します。」
失礼をしているのは、こっちの方なんだけどな、そう思っていると白川さんは、宗一の隣に胡座をかいて座った。何だか距離感が近くないだろうか。思わず宗一は、体育座りをしてしまう。
「先程も言いましたが、賽銭を投げてすぐに帰るつもりでした。」
「ええ。」
「鈴を鳴らして、二礼二拍手をしてお願い事をしました。」
白川さんが、相づちを打ちながらこちらを見ている、気がする。私は前を向いて、白川さんに目を合わせないようにして話している。目を見て長く話すことなど、できそうにない。
「お願い事をして目を開けた瞬間、真っ白い空間にいました。」
「それは夢の中ってことですか。」
「おそらくそうだと思います。酔っていた私はおそらく眠気に襲われて、寒さから逃れるために、誤ってこの建物内に入ってしまった。そしてそこで夢を見たのだと思います。」
「なるほど。」
「すごい綺麗な方でした。本殿に迷い込んだ私の夢に干渉して、私に話しかけてきたと言っていました。」
「夢に干渉ですか。」
「はい、自分でも何を言っているんだと、おかしくなってしまったのかと思いますが。」
「いえ、続けてください。」
白川さんが真剣な眼差しでこちらを見てくる。格好いい。
「そして自分が、この神社の神様で、恋愛を司っていると説明されました。最近参拝者が増えてくれたことが、嬉しいとのことでした。」
「なるほど。」
「他にもいろいろ話したと思うのですが、夢だからでしょうか。あまり思い出すことができません。」
下手に話して嘘がバレるのもまずいと思った。できれば白川さんともっと話していたいけれど、ぼろが出る前にさっさと帰った方が良いのかもしれない。
「それはとても不思議ですね。たまたまそういう夢を見ただけだと思えば、そうなんですけれど。場所も場所ですしね。」
白川さんは御神体に目を向ける。私もつられて目を向ける。
そのときだった。胡座をかいて座っていた白川さんが、カクンと急に眠ってしまった。
「白川さん?」
顔を覗き込むが、反応がない。
「大丈夫ですか、白川さん!」
思わず大きな声を出してしまう。五秒ほどして、白川さんは首を起こした。
「あ、ああすいません。何だか急に意識が遠くなってしまって。寝不足ではなかったと思うのですが。」
「本当に大丈夫ですか。」
「はい、すいません。ご心配おかけしました。」
「あの、ご迷惑でしょうし、私そろそろ帰りたいと思います。立入り禁止の場所に入ってしまって、さらにそこで寝てしまうなんて、本当に申し訳ないです。本当にすいませんでした。」
頭を下げる。
「いえ、そんなに謝らないでください。こうやって不思議な話も聞けたことですし。」
「本当にすいません。それでは、失礼します。」
宗一は、その場を立ち去ろうとした。なんというか、どことなく違和感のある空気に、これ以上耐えることができなかった。
立ち上がろうとする宗一の左手が、突然掴まれた。優しく掴まれた。
「え?」
「もう少し、話していきませんか?」
「いや、そうは言ってもご迷惑でしょうし。」
白川さんが掴んだ左手が熱い。
「迷惑なんてことはありません。なぜだか今、誰かと話したい気分なんですよ。」
白川さんの瞳に包まれる。もう抗うことは、許されない。
「わかりました。」
そう言うと宗一は、先程よりは少しだけ白川さんと距離を置いて、またなぜか体育座りで座った。
「佐倉さんは明日、土曜日ですけどお仕事ですか?」
「いえ、明日はいつもどおりお休みです。」
「そうですか、それは良かった。」
そう言うと、白川さんはニコリと笑ったように見えた。
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