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第1話

 八谷 亨(はちや とおる)は大きな音を立てて閉まる扉を目で追った。  先ほどトイレの場所を聞いてきた相手は、先月から亨の高校に隔週で英語を教えに来ている教師らしからぬ特別講師だ。店に入ってきた時からすぐに三品紘一(みしな こういち)だと分かったのに、相手は全く気付いていない様子だった。  ライトブラウンの短い髪に優し気な面立ち。スーツの肩や腰のラインを綺麗に出すために必要な筋肉が全身にバランスよくついていて、大人の色気を醸し出している。髪色に合わせたペールピンク地にピンストライプのシャツ、ネイビーブルーのネクタイ、教壇に立っている時とは別人のようだった。  初めてその姿を見た時、非の打ち所のない外見とはこういうものだと知った。    人を蕩けさせる笑顔はクラス中の女子の語尾にハートマークを付けさせていた。深夜、冷蔵庫開けたら目の前にあったプリンみたい、見ちゃダメなのに目が離せないんだよね、と形容していたのを聞きながら、つまり目の前に置かれた骨付き肉をお預けさせられているようなものだと考えた。  そんな感情が恋なのか単なる劣情なのか分からないまま亨の心を支配していった。隔週の特別授業は本当の意味で特別なものになったのだ。しかし先生と生徒、社会人と高校生、それ以前に男同士だ。  誰にも明かさないまま亨の気持ちは募っていき、目の前に迫る卒業を目標にこの気持ちを伝えようと心に決めていた。  そんな矢先の来店だった。  時刻は午後八時、飲み始めてから小一時間も経ってないのに三品は既にかなり酔っているようだ。トイレに行く時の足取りだって、テーブルや椅子にぶつからないもののふわふわと危なっかしかった。一緒に来店したスーツの男性とカウンター席で料理をつまみながら楽しげに会話を弾ませ、結構なペースで飲んでいる。  聞くとはなしに聞こえてきた「仕事は何してるの?」という会話から知り合い同士ではないことがすぐに分かった。どういう関係だろう?  空いたテーブルを片づけながら主の帰りを待つカウンター席に目をやると、連れの男がグラスの縁を撫で、その指を唇に当ててうっそりと微笑んでいた。  変なのにひっかかってる。大丈夫かな?  常連客と話しをしながら横目で様子をうかがっていると、男が片手をあげた。 「焼酎お湯割り、濃い目で。」 「はいよ、先にこっち、薄目ね。」  カウンター越しにグラスを受け取った男は当然のようにそれを自分のコースターの上に置き、その後に来たグラスを隣席に置いた。  トイレから戻ってきた三品は無邪気な笑顔で椅子に腰かけ、目の前のお湯割りのグラスに手を伸ばした。透明の水面からは薄く湯気が立ち上っている。  ガラスの表面を撫でる長い指の形が綺麗だ。  そう思っているのは、亨だけではなかった。 「それ、癖?」  問いかけられた三品が首を傾げて隣の男の視線の先を辿り、グラスを弄る自分の手のことかと理解した。 「そう、子どものころから注意されてるんだけど、何かに触れてないと落ち着かないんだよね。」

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