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【参】
神の領域には時間の概念がない。
だから自分がどれだけ眠っていたのかも分からないほど、俺は深い眠りについていた。
背中に触れる柔らかな感触を心地よく感じながら、小さく身じろいで睫毛を瞬かせる。
「ん――」
俺の声に気付いたのか、筋肉質な腕に腰を抱き寄せられ、肩口にキスをされる。
冷たい唇に浅瀬で揺らめいていた意識がゆっくりと岸に打ち上げられていく。
「――き、昊貴…」
鼓膜をくすぐる柔らかい声に、自然と口元が綻ぶ。
俺の名をこれほど大切に呼んでくれるものはこの世界にたった一人しか存在しない。
「幻狗……」
そのお返しと言わんばかりにその人の名を目一杯の愛情を込めて呟くと、熱っぽい吐息が耳元に吹きかかる。
ポッコリと膨らんだ下腹を大きな手が優しく撫でて、舌先が耳殻に沿ってチロチロと動く。
「ん~、くすぐったい」
「湯を浴びるぞ……」
「お腹……重い。どんだけ出した……」
彼の腕に縋るように怠い体を起こした俺は、自分の腹を見下ろしてため息を吐いた。
これでは本当の妊婦のようで、少しどころか、かなり恥ずかしい光景だ。
たっぷりとした腹を撫でながら恨めし気に幻狗を睨みつけると、彼はまるで気にも留めることなく俺に唇を重ねてきた。
「誤魔化すな……」
「何を誤魔化す必要がある?この様子だと本当に孕んだかもしれんな。良い子が生まれるといいな?」
「ばっ…!冗談よせよ!まだ輿入れもしてないのに……っ」
「既成事実だ…。これでお前は絶対に逃げられない」
「逃げるわけないだろ!どんだけ信用ないんだよ、俺!」
チュッ、チュッと唇を啄まれながらも反撃する俺など意にも介さず、舌を絡めてくる幻狗に呆気なく流されていく。
綺麗に整えられた布団と敷布が気持ちがいい。
互いの舌を貪るように、何度も口づけを交わす間にも幻狗の手が俺の下腹を撫でる。
時々チクりと痛むのは、長く伸びた爪のせいだろう。
互いの唇が離れ銀色の糸だけが俺たちを繋いでいる。
「――本当にそうなれば嬉しいな」
少し照れたように俯き加減に呟いた幻狗が、今日はやけに愛しく感じる。
普段は威厳ばかりを振りかざして、言葉でも体でも力で俺を捻じ伏せることが多い彼が、こんなにも無邪気な笑みを漏らすのを初めて見たような気がして、そうさせた俺の方も自然と笑みが浮かんでくる。
「――そうなるようにするんだろ?」
「え?」
「だからぁ~!輿入れしたら、その……この中、精子じゃなくてさぁ、ここに俺とお前の子……宿るように……さぁ」
「うん?」
「全部言わせんなよっ!俺の事……目一杯愛せって言ってんの!神様ならちょっとは悟れよ!」
そう言い切ってから、俺は真っ赤になっているであろう顔を背けて唇を噛んだ。
(は…恥ずかしい!)
自分から言ったこととはいえ、あまりにも強引すぎる出会いから今までこういったことは、彼に対して一言も言ったことがなかったせいもあって、余計に恥ずかしい…。
二年もの間、言えなかった想いが自分の中でこれほど大きなものになっているとは気づかずにいた。
それと同時に、幻狗の存在が俺にとってなくてはならないものになってるということも……。
「――残念ながら我には先読みの力はない。だから、お前が言いたいことは神である我にも分からない」
「なんだよ、その都合のいい神様ヅラ」
「その方がいい時もある。現に――お前の本心を聞けた」
長い黒髪を揺らしてわずかに首を傾けて俺を覗き込んだ幻狗を上目遣いで睨んでみるが、その威力は全く皆無と言ってよかった。。
なぜって――。
その目は愛しい愛しい神様に、もっともっと愛してもらいたいと強請る、俺のワガママを前面に押し出していたから……。
さっきのことは悟れなかった幻狗だが、今度はすべてを悟ってくれたらしい。
そっと頬に手を添えて満面の笑みで俺を見つめると、唇を触れ合わせたまま熱い息を吐いて言った。
「堪らないな……その目。我をどれだけ煽れば気が済むんだ?もう、あちらの世界に戻したくなくなる……」
「それは、困る……」
「嫌ならもう一戦、我に付き合え…」
「はぁぁ?風呂、行くんじゃなかったのか?」
「そんなものはいつでも行ける…。だがお前を愛でるのは今がいい」
「お、おい!どんだけ絶倫なんだよっ。も……無理だって!腹…パンパンだし!」
「安心しろ。入らない分は掻き出して注いでやる……」
さらりとした敷布の上に押し倒されて、動きを完全に封じられる。
青かった瞳が金色に光り、その妖しい輝きから目が離せない。
「――想いは願えば叶うものなんだな……。十八年待った甲斐があった」
「んあ?何か…言ったか?」
「何も……。やっと手に入れた大切な姫を手放すまいと自身に言い聞かせただけだ」
本当は聞こえていた。耳を疑った。
十八年って……俺が生まれてからずっと想っていたってことか。
そんなこと聞いたこともなったし、彼の性格からして言うわけはないと思った。
彼の弱みと言っても過言じゃないその事実を耳にした今、正直「ずるい…」と言いたかった。
もっと早くその気持ちを耳にしていれば、もっと早く自分の気持ちに気付いていれば、こんなにもどかしい思いをせずに済んだのに。
そんな恨めしい思いを込めて、彼の唇にそっと短い牙を立てた。
わずかに滲んだ血を流すまいと、すぐさま唇を押し当てる。
これが今の俺に出来る精一杯の反抗――。
数分後には呆気なく突き崩される理性と共に、粉々に砕け散る脆く儚いものだと分かっていても、今というこの時に彼に伝えたかった。
『俺もずっとずっと前から愛していた』――と。
神に魅入られた巫女の宿命は、生贄などという酷い扱いでは決してなく、ただ純粋に清らかな想いを貫いて築かれる愛情に満ちた新しい世界への船出だ。
それが“今”なのだとしたら――。
輿入れする前に、俺はもっと愛される巫女になろうと思う。
八百万神 が幻狗に色目を使ったとしても、絶対に見向きをさせない程に俺に夢中にさせてやる。
そのうえで、俺も彼を永遠に愛してやろう。
俺なしじゃ生きられないほどに骨抜きのメロメロにさせてやる。
そうじゃなきゃ、俺たちが出会った意味がない。
この狗賀神社が日本で最も御利益のあるものにするために……。
“恋愛成就”に”子宝祈願“。
そして――何より、俺たちを巡り会わせてくれたこの土地を守るために……。
それが神様になるってことなんだろうなっ!
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