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第1話

「……死ぬ。」  隣で呻いた友人は、そのまま芝生に突っ伏して動かなくなった。本番ではないはずの猛暑の中、シカバネを横目に仁科由里(にしなよしさと)はストローをパックに刺す。 「いい所だろ、ここ」  若干ぬるくなったイチゴ・オレの広がる甘さを堪能しつつ、風になびく青々とした木を仰ぐ。教室の喧騒も遠い。冷暖房完備などという私立学校でもない、極一般的な公立高校では窓を開け放すも、それでも熱気は逃げてくれない。早々に白旗を揚げた由里と悪友は、休み時間になった途端コレ幸いと避暑に繰り出した。 「丹波(たんば)芝生の跡、顔に残るぞ」 「いーよ……可愛い女の子じゃないし」 「いや、お前一応女子だろ」  キッパリと言い切った由里を、まるで死んだ魚のように胡乱な目で見上げた悪友は口を尖らす。 「素足はダメ、スカート短くしちゃダメ、スカート捲っちゃダメ……死ねっての!? この地球温暖化に! 猛暑にっ!!」 「最後のはオトコを喜ばすだけだな」  残った力を振り絞り教師を呪った丹波に素っ気無く返しつつ、由里は頬を撫でるそよ風に目を細める。 「ユリは嬉しくないでしょ」 「タイプじゃないから」  いくら直しても、幼い頃からの刷り込みは改善されない。丹波の兄が間違えて読んだ己の名はそのまま妹にも受け継がれ定着している。今では丹波、ユリとまるで性別逆に互いを呼び合う仲。 「ありがとー。あたしも、あんたタイプじゃない」 「そいつはどうも」  交わされる幼馴染との会話には、愛もなければ容赦もない。狭い地区一軒向こうのご近所さんと来れば、少子化が謳われる昨今、幼馴染として括られること間違いなし。もともと相性はいいのか、互いのサッパリとした性格のためか未だに続く友好関係に、はじめは囃し立てていた学校の友人達も呆れ返って興味をなくしたらしい。  義務教育が終われば後は好きな所に進めるが、基本的に面倒くさがりな由里は学力云々ではなく、どこが一番朝寝坊できるかと通学時間を吟味しての選択で近所の学校に決めた。対する丹波は、頭は悪くないが如何せん教科によってかなりバラツキが見られ、結局彼女もココに。そんなこんなで幼稚園から続く腐れ縁の領域に、もはや友人というよりもキョウダイといった方がシックリと来る。 「えー、そんなぁー」 「……ぁあ?」  木陰で自然の涼しさを堪能していれば、響く間延びした甘い黄色い声。ちなみに、柄の悪い地を這うような低い呻きを上げたのは由里ではなく、丹波だ。身近に飾らない彼女がいるため、自分は女の子に特別夢を持てずに生活している。幸か不幸か。 「ノアくんと一緒にショッピングしたかったのにぃー!」 「ハッ、ウッソくせぇ」  隣から上がる掛け合いに、ホトホト呆れてしまう。まぁ、相手には聞こえない音量だが。 「……丹波、もうちょっとさ」  オブラートに。 「ごめんねー。今日デートなんだ」 「えー、ノアくん前彼女居ないって、ゆってたじゃん! あたしより可愛いのー?」 「お盛んなこって。ってか、どンだけ自信過剰だ」 「コラ丹波」  そんな言葉はありません。正しい、美しい日本語を使いましょう。  腐っている幼馴染の頭を小突きながら、由里は聞こえてきた声に首を傾げた。 「ノアなんて居たっけ?」  箱舟?  知る限り、留学生やハーフなどは覚えがない。 「二組の上条希空(かみじょうのあ)」 「──あぁ。」  学年イチのチャラ男。誰々とデキているとか、そんなウワサはアンテナが低いはずの由里の耳にも届くほどに。それだけ、派手に遊んでいるということだろう。  デバカメを承知にヒョッコリと樹の陰から覗けば、なるほど背の高い男に女生徒がぶら下がっている。着崩された制服に、鮮やかに染め上げられた髪の色。すべてを面倒くさいで片づける不精の由里にはとても真似出来ない芸当。  首を引っ込めて、残りのイチゴ・オレを啜る。  セミの活動は、これから本番。ギラつく木漏れ日に目を眇めて由里は呟いた。 「……熱い、な」 「あんた、じいさんみたいね」  愛用の急須と湯のみを並べ、至福の時を噛み締めていれば掛けられる母の呆れ。 「じいさんって、結構前に死んだっていうじいちゃん?」  息子をとっ捕まえて、何を言い出すのか。  沸かした熱湯で湯のみを温め破棄する。新たに注いだ湯を適温にまで冷まして、急須に移す。広がる緑茶の香りに、和む心。これぞ、日本の良き習慣。ゆっくりと開いていく葉を眺めつつ、時々立つ茶柱に頬を緩める。じっくりと時間を掛けて抽出される、その時を待つ。 「あの人ってよりも、世間一般的にみての高齢者」  婿取りの彼女は、己の実の父をあの人。夫の父をお義父さんと呼ぶ。憐れな祖父の顔を思い出そうとして浮かぶは、仏壇に飾られた遺影。仕事一辺倒、早くに他界した救われない彼に心の中で手を合わせる。 「どんな認識だ。そして息子に言うのか」 「ドコからどう見ても」  言い切った母に、もはや理由を質すことを諦める。この人と会話していると、とても疲れるのは気のせいか。脱力した由里は急須の中を覗く。  暴れ終わった葉っぱ達は落ち着き、沈殿して旨味を放出する事に専念している。 「……ナニコレ」 「私の分も淹れてよ。ついででしょ」  差し出された彼女の湯のみに、顔を片手で覆って天を仰いだ由里は唸る。一杯分しか作ってないのに。 「あんたが淹れるお茶って、中々どうしてか美味しいのよね」 「熱湯入れるよりは、茶葉にはやさしいからだろ」  そう。母はヤカンの熱湯をそのまま急須へ注ぐ事も出来るほどのアバウトな人種。とてもこの人の腹から生れ落ちたとは思えない。そうか、自分は橋の下から拾われ仁科家の次男として育てられてきたのか。  そして、なぜ自分の周囲にはか弱い女の子というのが居ないのだろう。母しかり、幼馴染しかり。今さらながらに己を取り巻く環境を呪う。 「緑茶オタクね」 「文句あるなら、飲むな」 「あら、それとコレは別よ」  違いが解らず、半ば無視して仕方なく一杯分を二つに分ける。底の見えない深い色に、やさしく息を吹きかけて口に含む。 「あら。やっぱり、美味しいわね」 「どうも」  当初よりも半分以下に減ってしまった茶を嘆く。しかも、彼女の差し出した湯のみは由里が用意した物よりも倍近い。背を丸めて、わずかになってしまった深い味を堪能する。 「そんなに好きなら、水筒にでも入れて持っていけば?」 「学校に? 時間が経つと、おいしくないからヤダ」  清涼飲料水として市販されている物も、どうも口には合わない。そのため、自宅オンリーでのお楽しみとなる。実家に寄り付きにくくなるらしい思春期の男子であるが、もはや生きがいに近い趣味のために由里には家出という発想は端から存在しない。(しま)いには盆栽でもはじめるのではないかというのが、口の悪い幼馴染の見解である。 「──ああ、忘れていたわ。ちょっとひとっ走りして、公民館へ行ってちょうだい」 「ヤダ」  間髪いれず拒否すれば、ピクリとも表情を変えずに母は言い切った。 「あら、残念ね。茶箪笥(ちゃだんす)から、あんたの大切にしていた急須を落とす痛ましい事故が起きるわね。仕方ないわね、手を滑らせてしまったもの」  茶に口を付けつつ飄々(ひょうひょう)と息子を脅す魔王に言葉もない。現在含め、散々由里の急須にあやかって美味い茶を啜っているというのに。  人質を盾に、身代金を要求する極悪犯の情景がまざまざと思い浮かぶ。  帰宅部とはいえ、一応でも学業に励んでいる学生の身。専業主婦として家事を担う母とどちらが自宅に長く居るかと考えるでもなく。敗者は決まったも同然。 「……お、おかーさま。ヨロコンデ、行かせていただきます……」  己の湯飲みにすがり付いて弱々しく呻いた高校生男子を尻目に、勝者は口角を上げて極上の笑みを浮かべた。 「あら、それは良かったわ。よろしく」  母が指定した、歩いて数分近所の公民館を覗けば、中はもぬけの殻だった。 「……居ない」  手にした宅配物と、人っ子ひとり見当たらない建物を見比べて回れ右をする。一応は彼女の言いつけを守って訪ねたのだ。魔王も粉砕はしないだろう。 「……茶葉隠されたら、どうしよう」  僅かなアルバイト代で、自分のお小遣いとお菓子代と、ちょっと贅沢な茶葉代を捻り出しているのに。あの人は、さも悪い事をしていないかのような顔してやらかすのだ。しかも、たぶん兄と結託して。何て鬼畜なオトナ達だろう。 「あら、もしかしてスズちゃんの所のユリちゃんではないかしら?」  さめざめとアスファルトに泣きついた不審な高校生に、おっとりとした声が掛かる。 「おつかい?」  顔を上げれば、丹波の祖母がのほほんと立っていた。皺くちゃ丸顔の(よわい)八十五に手が届くであろう彼女であるが、見かけに騙されて侮ってはいけない。韓流スターに黄色い声を上げているのはいい。どんな年でもミーハー好きにしてくれ。何がマズイって、まずはアノ幼馴染の祖母であること。そして、由里の祖母のババ友である。由里の祖母とは、アノ母を育てたこれまた手に負えない大魔王。芋ズル式に連なる凶悪な面々に溜め息は尽きない。由里が思うに、早くに他界した祖父は仕事ではなく、心労で倒れたのではないかと勝手に推測する。まぁ、とても口が裂けても言えないが。そんなこんなで、肩身の狭い由里は「元気にコロリ」を掲げている会、もとい老人会が行なわれている地区の公民館に足を運びたくはなかった。 「……これ持って──」 「あら、スズちゃんのね。それならコッチよ」  仲の良いババ友が持って行ってくれないかと祖母秘蔵・韓流スターお宝写真満載のアルバムを差し出せば、淡い期待は簡単に(つい)える。眩しい後光を背負って菩薩のように微笑みながら手招きする、彼女を無下に出来るはずもない。絶対に女難の相が出ているだろうと、頭を抱えた由里は己の名前の訂正すら忘れて重い足で後を追った。  カコーン。  実は、高校生の自分よりも「元気にコロリ」の会の人たちの方が確実に元気なのではないかと、由里は本気で思案した。  カコーン……ゴッ! 「ヨシッ!」  T字のスティックを持ってガッツポーズをして祖母と同年代だろう男性は声を上げる。五人一組でチームを作り、三つのゲートに自分のボールを通しながら最後にポールに当てる、この国で考案されたゲーム。意外と体力と集中力を使うことは、何も知らない無垢だった幼き頃身を持って体験させられているので知っている。それをこの灼熱の中で、汗垂らしながら励んでいるのだ。日本の未来は明るいのかもしれない。  カコーン。  おかしい。  配達物を届けたら、それで終わりのハズなのに。  駄賃とばかりに渡されたスイカを片手に項垂れる。 「つまらなそうな顔しているな、若人(わこうど)よ」 「……っど、どうも」  まさか横に人が居たとは気付かず、激しく拍動する胸を押さえる。 「折角の短い人生、楽しみなさい」  目皺を深くして細められる瞳に、すべてを見透かされているかのような。若干居心地悪くなって、スイカを手の内で弄ぶ。背を曲げて杖に身体を預ける御仁に、由里は溜め息をついた。 「つまらなくは、ないですよ。ただ──」 「おお、アゲちゃん。今日は遅かったなぁ」 「ほほほ。でぇとしていたのよ」  歓声と共に賑やかな方を眺めれば、品の良さそうなご婦人。と、着崩された制服、派手な髪の色──昼間、遠目に見た上条希空(のあ)の姿。  どンだけ守備範囲が広いのだと、由里は舌を巻く。たしか、性格はちょっとアレであるが、見た目では引く手数多な学年のアイドルを振ってのデートであったハズ。  取り巻くギャラリーをモノともしないで、ナイトは(うやうや)しく手を引いてヒメと共に「元気にコロリ」の会の人たちが集っている場へ降りてくる。 「ウチの孫もコレくらいやってくれればねぇ」  大魔王の鋭い視線と呟きは届かなかったことにして、由里は再び男性に向き合う。 「……あれ?」  いつの間に。確かに先ほどまで隣で話していたはずの彼の姿はなく。どこかに行ってしまったのか。離れた所に目を向ければ、片手を挙げて小さくなっていく背中を捕らえる。いつの間に。この短時間に移動できるのならば、杖は要らないのではないだろうか。 「アゲちゃん、こちらの男前はどちら?」 「男前だなんて。ほほほ、孫よ」 「あらあら。スズちゃんの所のユリちゃんといい、今日は若い子が居て目の保養になるわねぇ」  ゲームを放置してコロコロと笑って話しに花を咲かせる三ババに、もはや突っ込む元気はない。 「……仁科、由里?」 「……どぉも。」  あんぐりと口を開けて、失礼にも指で示された由里は不承不承(ふしょうぶしょう)、気のない返事をした。  次いで、引かれる手に眉を潜める。落ちるスイカを目で追いながら、放たれた言葉を理解できなかった。 「お付き合いを前提に、お友達になってください!」 「はぁ…………ん?」

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