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第2話

「……で? コレ?」 「そう、コレ。俺は、急須を死守したかったダケなのに」  ストローから口を離して、由里は溜め息をついた。  めでたく大切な愛用物は破損ないまま来ている。茶葉も無事──今のところ。 「ケッサク!」  ついに声を上げて大笑いし始めた幼馴染を横目に、顔を手で覆って呻く。仰いだ空は今日も変わらずギラギラしている。 「俺も他人事だったら、一緒に笑いたい」 「何で?」  小首を傾げても、自分よりも大きな男がやってもカケラも可愛くない。 「元凶は黙ってろ……」  頼むから。  「元気にコロリ」の会の面々の前で臆面もなく堂々とカミングアウトをかました人物は、ケロリとしてパンの袋を開ける。由里の前で。  普段から、どちらかといえば地味な分類に分けられる方のハズだ、自分は。成績も中、性格も顔もたぶん、中。やる気は下の下。面倒事はのらりくらりとかわして、それとなく避けてきたのに。なのに、学年イチの人気者がとんだ爆弾ぶら下げて、ナゼに自分の元に寄ってくるのだ。 「あー……笑った!」  ひとしきり笑った丹波(たんば)は目尻に涙を溜めて一息つく。 「オメデトウ」  呪いを込めながら、行儀悪く残りのジュースを音を立てて吸う。 「じゃあ、ユリちゃん付き合うんだ?」 「まさか」 「当然!」 「……ぁあ?」  再び腹を抱えた悪友を小突いて、胡乱に由里は希空(のあ)を見上げる。 「俺は、すとれぇと……」  第一、この学年イチのタラシと自分のドコに接点があったというのだ。聞いた限りは小学校中学校も違う上、まずこいつはこの地に越してきた人間だとのこと。 「あんたも、女の子が好きなんだろ」  ゼヒとも、そうしてくれ。 「ヒトメボレー」  誰もそんな事は聞いていないし、興味もない。第一、ナゼこの男が自分の名を知っているのだ。 「ノアはユリちゃんのどこがいいの? とんでもなく、やる気のないボンクラだけど」  ボンクラは余計だ。いつの間にか丹波も親しげに話している。頭痛は減るどころか増えるばかりだ。だがしかし、気になるところではある。 「うーん……ユリと二人っきりの時に言う」  いつの間にかあだ名呼び捨てで定着した男前は、満面の笑みをコチラに向ける。 「そりゃ、ゴチソーサマ。明日にでも赤飯炊いて持ってくるよ!」 「やめてくれ……」  (うめ)いた由里の味方はどこにも居なかった。  カコーン。  ……なぜ。  シャク。  日陰ではあるが滴る汗は止められず、由里は手にしたスイカを(かじ)った。  濃厚な甘さ。普段口にしているジュースとはまた違う透き通る甘さに、同時に水分も補給される。  今日も今日とて祖母の忘れ物を届けに来て見事に捕まった。実は物忘れがはじまったんじゃないかと思いかけ、もしかしたら自分を引きずり出すためにあえてなのかもしれないと打ち消す。大魔王なら充分考えうる。  チャプ。  桶を支給されナミナミと注いだ水に、足元からもキンと冷えた涼しさが立ち上る。ちなみにこちらの水、水道水ではなく近くを流れている川の水をえっちらおっちら汲んだもの。  まぶしい。  半目の由里の視線の先には、キラキラした物体。存在自体も、高齢者に混じってゲームをする異色の学生服も。上条希空(のあ)。なぜ彼がここにいるのかも、自分がここに留まっているのかも不明でならない。 「おや、お宅はどちらさんだえ?」 「え、あ。仁科スズの孫です。ごちそうになってます」 「おや、スズちゃんとこの孫かい。そうか、そうか。大きくなって」  いつの間にか近くに居た御仁は、目じりの皺を深くしてうなずく。先日の杖の彼とはまた違う。 「確か男の子が二人だったか」 「下です」 「そうかそうか」  にこにこと笑顔の彼を見下ろして、由里はギョッと目をむいた。  左手の薬指と小指の先がない。よもや自分とは住む世界が違う人種なのだろうか。 「ああ、コレは奉公先から逃げて鋳型の工場に勤めた時に挟んでね。奉公先の蕎麦屋がひどいところで──」  突如はじまる身の上話に相槌を打ちながら、気づけば始まったばかりだったゲームは終わっていた。 「さて、昼にしようか」 「そうだな、若いのがいるからいいねぇ」  口々にする高齢者に、一瞬集団で認知症なのかと疑う。まだ昼食までは二時間以上ある。 「お前さんらナタくらい使ったことあるだろう?」  さも当然のように放られた刃物に由里は顔をひきつらせる。安易に投げるな。 「女竹は細いから向かない。男竹がいいな」  竹の見分け方講習会を強制受講させられながら、同時に刃物の使用方法を伝授される。 「力任せじゃあ、切れないぞ。こうして脇を絞めて」  なるほど。講師の枯れ枝のような腕でもスパッと割れる。  何をさせられるのだと訝しがれば、どうやら彼らは流しそうめん台を始めるらしい。そして、戦力として駆り出された。まんまと大魔王に乗せられた形だ。竹を組み合わせていれば、別の御仁がシルバーカーで近所の百貨店という名の何でも雑貨店でそうめんを購入してきた。古い店なので賞味期限は大丈夫なのだろうかと頭を過るが、乾物だし少しくらいならば問題ないだろうと気づかなかったことにする。  目の前では上条が、別の高齢者から指南を受けている。  ……なぜ?  疑問を浮かべる自分が悪いのか。知らず知らずのうちに彼らのペースにドップリと引き込まれているのは年の功の違いか。 「そうめんか。今日ちと、入れ歯の具合が」 「接着が少ないんじゃないか?」 「持ってるぞ。使うか?」 「お、悪いな」 「その会社いいか? 俺が使ってるところはどうも……」  まるでクラスの女子のハンドクリームやリップクリームと同じノリで、入れ歯接着剤で盛り上がる周囲。  年齢を重ねると、永久歯も脆くなってぐらつく。悪化することはあれど改善する見込みはないため、歯医者も抜歯を進めるため総入れ歯人口が多くなるのは必至。仁科家の大魔王もいつぞや嘆いていた。顎の形に合わせて作りはするが、痩せたりして合いにくくなることもある。そのため接着剤が必要となってくる。しかもオーダーメイドであるため、金額的にそこそこかかる。だから何度も作り直せない。 「あそこは、洗っても臭いが残ってなぁ」 「ミントいいぞ」  さらに加速する、入れ歯洗浄剤の話題にもはや口を挟む気力すら湧かない。 「ここはあと三センチ落とすか」  地面に描いた図面を見ながら、元大工の彼はノコギリで手早く切っていく。なぜに紙ではないかというと、どうやら嫁に「不要な物を置いておく場所はない」と事後承諾で処分されたらしい。散々喧嘩の果て、肩身の狭い高齢者は孫の成長を引き合いに出され渋々と残りの仕事道具を片したという。家族には捨てたと言ったが、実際は一人暮らしの友人宅に間借りさせてもらっているらしい。「学費がなんとかってぇ人の年金も食ってるクセに、いい御身分だぜ」とは彼の言い分である。 「そろそろ、あの二人に声をかけてくるかい?」 「そうだなぁ」 「二人?」  もう突っ込まないと心に決めた由里とは裏腹に、律儀に疑問を投げかける上条に周囲の高齢者はうなずく。 「離ればなれになるんだよ」 「あんなに想い合ってるのに、残酷なもんさ」  灼熱の中で湯を沸かしている、由里が耳にした要約はこうだ。互いに連れ添いを亡くし、早数十年。「元気にコロリ」の会を通し、少しずつ近づいた男女の距離。 「まるで乙女みたいに可愛くてねえ」 「見てるこっちが、恥ずかしくなるくらいさ」  しかし、そんな二人を阻むものが。一世紀近く休みなく動いている身体は機能の限界を迎え、低下した認知力は出会うたびに初恋を覚えさせ。介護に限界を覚えた家族は、女性高齢者の施設入所に踏み切ったという、現代版ロミオとジュリエット。 「いくら施設が市内とはいえ、あたしらには足がないからねぇ」  彼らの移動手段はシルバーカーや路線バスが主だ。だが田舎のバスだなんて三十分に一本あればいい方だし、足腰弱る高齢者の足と判断力で車の運転だなんてもってのほかだ。家族の送り迎えにも限りがある。現実的に考えて、今までよりも顔を合わせる回数は格段に減る。 「蔵に眠っていた白無垢も活躍できるし!」  そうして開催されるは、お別れ会もとい結婚式。  滝のように流れる汗を拭いながら大量のそうめんを茹で、口々になれ初めを聞かされる。改めて見回せば祖母をはじめとする三ババのみならず、女性たちは紅をさしてめかし込んでいる。ネイルをしている人も、ネクタイを締めている人も様々だ。 「綺麗だね」 「……上条! 手伝え!」  褒められて頬を染める高齢者に、極上の笑みを浮かべるサボり魔に声を荒げる。本当に守備範囲の広いヤツだ。実は自分へ向けられたあの言葉も、あいさつの一環ではなかろうかと由里の頭をよぎる。  舌打ちしたい荒んだ感情に気づかないふりして、水流と共に麺を流す。竹の角度や水の速さと量諸々は綿密に計算され、経験値によって二段構えに組まれた豪華版だ。まるで子供のように笑顔でそうめんを頬張り、花嫁衣装の二人を取り囲む「元気にコロリ」の人々。 「人生、楽しんだモン勝ちさ」  いつぞやベンチで言葉を交わした杖の御仁が、由里の視線の先を捉えて目尻のシワを深くする。 「……そうですね」  ひと段落ついて由里が腰を下ろした途端、はしゃぎすぎてダウンした上条の子守を言い渡された。額にそうめんを締めた氷の残りを乗せ、そよそよとウチワで風を送ってやる。 「俺は、」  言葉を切って、規則正しく上下する胸元を視界の隅に置く。 「俺は、変化は好きではありません」  望むのは、必要最低限で波風のない凡庸(ぼんよう)な日常。 「それも、ひとつの選択だ」  静かな声音が由里の今までの姿勢を肯定してくれる。向上心を持てと、言われた口はたくさん出会ってきたのに珍しい人だ。渦巻く言葉を引き出される。 「でも。残念ながら、振り回されています」  この、ろくに知りもしない、派手な金髪に。  異性と恋愛して、結婚して、子を育てて、安泰老後。  そんなぼんやりした将来像を持っていたし、実際自分もそうなるものだと漠然と思っていた。けれども、この「元気にコロリ」の会に触れていると、そればかりではない事を知らされる。連れ添いを亡くすことも、老後が必ずしも安泰でもないことも、身体の衰えがあることも、その向こうに己がこの世界から旅立つことも。世間一般的とされているレールの上でも、個々によってイベントがそれぞれある。  そこから考えれば、自分の『今』という時間はなんてちっぽけなのだろう。  やる気のなさで、世間一般に埋没することに徹していた。それが間違っているとは思っていないし、正しい答えも出ないだろう。もし子孫を残すのが使命というならば、兄と丹波が付き合っているので彼らに託せばいい。どちらにしろ、今、この時に考えるべきものではない。  聞き耳を立てているだろう、金髪に声をかけてやる。元氷だった水の袋が滑り落ちる。 「――いいよ。まずは友達から」

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