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第1話
どいつもこいつもポンコツだ。
昼下がりの大学構内のベンチにどかっと座りコーヒーの缶を握りしめながら俺は怒りに震えていた。
というのも、研究に興味を持った製薬会社に提出するデータ採取の為に実験をしていたのだが、後輩の凡ミスで一からやり直しになってしまったのだ。
「毎日同じ事やってるだろ! なんで昨日だけ温度設定を間違えるんだ!」
新しい事や難しい事をやれと言ったわけではない。いつものように培養しておけと。
「これまでの実験が水の泡だ。俺のファージ……」
苛々が収まらないのでポケットに入れていたミントタブレットをガリガリと噛み砕く。
俺は大学院の博士課程でバクテリオファージの研究をしていた。
バクテリオファージというのは細菌に感染して増殖するウィルスの事で、感染し細菌内で増殖したあと溶菌して殺す作用のあるものと、感染しても宿主を殺すことなく一緒に増殖していくものがある。俺はファージが感染した細菌を溶菌する酵素の研究をしていた。
それにしてもこんな凡ミスで中断させられるとは思わなかった。
それなのにミスした後輩を叱ったら大泣きされ、叱り方が酷いなどまるで俺が悪いみたいな空気まで出される始末。
「なんで俺が文句言われなきゃなんねーんだ!」
収まらない怒りのまま空き缶をゴミ箱に向かって投げれば、妙に力んでしまいゴミ箱から逸れて垣根を超えた。
「痛っ!」
すると垣根の向こう側から声が聞こえたので慌てて駆け寄ると、そこには男が蹲っていた。
「……だ、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
でもその男が顔を上げるなり唖然とする。何故ならその男はスマートフォンを握りしめ涙を流していたからだ。
そして目が合うと、今度は涙を流したまま何故か俺の事をじっと見ている。
泣く程って当たり所でも悪かったのかと慌てていると、その男は涙を拭いながら俺のせいではないと言った。
「じゃあ、なんで泣いてたんだ?」
「……実家で飼ってた犬が死んだんです」
「は? 犬が死んだ?」
「はい。さっき弟から連絡が入って。老犬だったし、覚悟はしてたんですけど」
「ふーん。ま、俺が投げた空き缶が原因じゃないなら良かった。じゃ、俺はこれで」
少々、拍子抜けしながらも自分のせいでなかった事に安堵して立ち去ろうとすれば、腕を掴まれた。
何か用があるのかと振り返れば、さっきまで泣いていたそいつはにっこりと笑い、立ち上がるとベンチに置いていた荷物をとる。
「あの、俺。弁当の配達に来たんですけど。ウィルス学の赤城教授の研究室ってわかります?」
「弁当の配達?」
よく見るとそいつのエプロンにはうちの研究室がいつも利用している弁当屋のロゴが入っていた。
「来いよ、俺も研究室に戻る所だったし」
「え?」
「俺も赤城教授の研究室だから。帰るついでに案内してやる。新人か?」
「はい。今日からこちらの配達担当になったんです。柴本 裕太 って言います」
「ふーん」
すると柴本は後を着いてきて俺の顔を覗き込んだ。
柴本は背が高く、人懐っこそうな顔をしていた。年は俺より若そうだ。
「あの、あなたの名前は?」
「俺は弁当食わないから必要ないだろ」
「え! 食べないんですか? でも呼ぶ時に困ります。教えて欲しいです」
「お前が俺の事を呼ぶ必要はない」
「お前じゃないです。柴本です」
そんな会話をしながら歩いていると研究室に着いた。
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