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特別な人 第100話
「あ、あのぉ……、俺、居るんだけど……? しかも、目の前に……」
虎君にしがみついて甘えてたら、耳に届いた瑛大の声。すごく言い辛そうな喋り方で居た堪れなさが伝わってきた。
僕はと言うと、羨ましいって思ってるのかな……? って穏やかな思考で考えられてて、安心。さっきまでのもやもやした感情は本当に跡形もなく無くなったみたいだ。
(これって虎君のおかげだよね?)
虎君の胸に顔に埋めたままの僕は、虎君の顔が見たくなって顔を上げようとする。でも、それは抱きしめてくる虎君の身体に止められてしまって……。
「瑛大、回れ右」
「え? なんで?」
「いいから後ろ向け」
頭上で交わされる短い会話。
その直後に人が動いたような空気の流れを感じたから、有無を言わさぬ虎君の口調に瑛大が素直に後ろを向いたって分かった。
まぁ何やらブツブツ言ってるし、納得はしてないみたいだけど、それでも虎君の言葉に逆らわないのが瑛大らしかった。
「大丈夫か?」
トクトクって聞こえる虎君の心臓の音を聞きながらちょっぴり笑ってた僕。すると、瑛大に掛けた声と違うトーンの虎君の声が聞こえて、反射的に僕は顔を上げた。
今度は上を向くのを止められなかったし、やっぱり今のは僕に向けられた声だったみたい。
「何が?」
「よかった。いつもの葵だ」
キョトンとする僕に向けられる虎君の笑顔に、赤くなるほどじゃないけど頬っぺたがちょっと熱くなる。
「い、『いつもの』って何?」
「さっき泣きそうな顔してたから。……瑛大に見られたくないだろ?」
意味が分からなくて尋ねたら、虎君は身を屈めて耳打ちしてくる。
きっと瑛大に聞こえないように気遣ってくれてるんだろうけど、でも、耳に息がかかってこそばゆくて身体がびっくりして跳ねてしまった。
「葵?」
「い、息っ、くすぐったいよ……!」
僕の反応に気づいて訝し気に名前を呼んでくる虎君。でもその声も耳にかかって、ぞくぞくしちゃう。
これ以上耳元で喋られたらダメな気がして、僕は『離れて』って意思表示とばかりに虎君を押し離そうとする。でも、虎君に力で勝てるわけもなく、背中が反るだけでビクともしない。
「くすぐったい事なんてしてないだろ?」
「! と、ら君っ……!」
クスッて笑う虎君は、ただ喋ってるだけだよ? って言ってくる。
でも、絶対分かってやってるよね? だって虎君の笑い顔、凄く楽しそうなんだもん!
「ダメだってばっ、お願いだから、離れてっ……!」
「えぇ? どうしようかなぁ?」
楽しそうに笑う虎君の声は僕の耳のすぐそばで聞こえるし、息もかかるし、本当にこれ以上は無理!
虎君には悪いけど本気で放してもらわないと! って本気で抵抗しようとしたんだけど―――。
「俺の声、好きって言ってくれないのか?」
耳朶をくすぐるのは初めて聞く低い声。
それはいつもの優しい『お兄ちゃん』な虎君の声じゃなくて、『男の人』な虎君の声……。
「っ、いじわるぅ……」
身体の奥底にまで響きそうなその声に、僕は足に力が入らなくなってしゃがみ込みそうになった。
僕を抱きしめてた虎君は突然腕に僕の全体重がかかって驚いたと思う。
支える様に抱きしめてくれる虎君に迷惑をかけられないし、なんとか踏ん張ろうって下半身に力を入れるんだけど、うまくいかなくて……。
「ま、葵、大丈夫か?」
「力、入らないぃ……」
僕は立ってられないし、虎君の腕には負担がかかってるし、もうこのまま座らせてって泣きそうな声が出てしまう。恥ずかしすぎて堪えられないって。
でも、虎君はお願いしてるのに放してくれない。それどころか僕をぎゅっと抱きしめてきて……。
「ごめん、悪ふざけしすぎた」
胸に僕を抱くのは、泣いてるって思ったから?
力いっぱい抱きしめてくれる虎君のおかげで何とか立っていられるけど、自力で立つのはまだ無理で困った。
「反省してるから泣かないで……」
「な、いてないっ……、びっくりしただけだもん……」
虎君の服をぎゅっと握り締めてしがみついて、涙目になってるかもしれないけど泣いてるわけじゃないって訴える。
「……でも、気持ち悪いことしてごめんな?」
「! 気持ち悪くなんてないよ?」
辛そうな虎君の声に、僕は顔を埋めたままそういう意味の『ごめん』は言わないでって訴えた。
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