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恋しい人 第8話

 虎君の答えを待たず、俯いてしまうのは驚いてる顔がどう変化するか分からないから。  もし万が一少しでも嫌悪の色が見えてしまったら僕は虎君の愛を疑わなければならない……。  沈黙が怖い。そう思っていたら、突然頬っぺたを包む虎君の両手。そしてそのまま強引に上を向かされた。 「痛いっ! とりゃくん、いひゃい!」  無理矢理上を向かされたと思ったらそのまま思い切り頬っぺたを潰すように挟まれてしまった。  痛いと訴えるも虎君は笑顔のまま挟んだ頬っぺたをぐりぐり捏ね回してきて、喋り辛い。 「うーっ!!」 「唸らない。馬鹿な質問したお仕置きだ」  放してと訴えるも、虎君は笑顔のまま僕の頬っぺたを苛めた。 「ほら。俺に何か言うことは?」 「ごめんなさい……」  頬っぺたからパッと手を離され、促される謝罪。僕は虎君が望む通り謝った。ちょっぴり拗ねながら。  僕はどうしてこんなに甘えたなんだろう?  虎君に言って欲しい言葉をもらうために何度も何度も虎君の愛を試してしまう。こんなんじゃ、いつか虎君に愛想を尽かされてしまいそうだ。 「よし。いい子だ。いい子の葵にはご褒美をあげないとな」 「『ご褒美』って?」  何をくれるの?  そう見つめたら、虎君は僕の頬っぺたを今度は優しく包み込んで飛び切りの笑顔でこう言った。 「葵がこの先どんな容姿になろうとも、俺にとって葵が『飛び切り可愛い』ってことは永遠に変わらないよ」  だからなりたい自分になればいい。  そんな言葉と共に額に落ちてくるキス。チュッと音を響かせるそれに、僕は幸福感に口元がムズムズしちゃう。  必死に表情筋を緊張させてポーカーフェイスを試みるけど、まぁ無理だよね。 「何があろうと、愛してる。……葵が葵である限り、俺は永遠に葵を愛してるよ」 「本当に?」 「ああ。だから安心してどんどん俺に甘えて?」  額を小突き合わせ、瞳を合わせ、囁かれる愛の言葉。  僕の思考が虎君一色になるのは、仕方ない。  僕は頬を包み込む虎君の手に手を重ね、いっぱい甘える! と精一杯愛らしい笑みを返した。 「キスは我慢、な? みんなを待たせてるから」 「うん。分かった」  肩を抱かれ、僕は虎君にぴったりと寄り添って洗面所を後にする。  リビングに戻ればそこにはもう誰も居なくて、エントランスの方向から僅かに聞こえる高い声に随分待たせてしまっていたと漸く気が付いた。 「また茂斗、怒らせちゃいそうだね」 「かもな。俺は桔梗が怖いよ」  空笑いを浮かべる虎君に、僕がもたもたしていたからだと反省。  すると虎君は僕の髪にチュッとキスを落とすと、「でも最高に幸せな時間を過ごしたんだし、諦めて怒られよう」なんて朗らかな声を掛けてくれる。 「怒られるのは嫌だけど、うん。我慢する」  虎君の胸元に頭を摺り寄せて、二人一緒だったら我慢できるよと伝えた。  優しい虎君は変わらない愛情で僕を抱き締めてくれる。 (違う。『変わらない』愛情じゃなくて、大きくなる一方の愛情、だよね)  付き合い始めた2カ月前よりもずっとずっと虎君の愛情は深く大きくなっている。  僕のことが本当に愛しくて大切で堪らない。そんな顔をいつも見せてくれるから……。 「あ! ちゃいにぃととら! ママ、パパ、ちゃいにぃととら、きたよ!」  他愛ないことを喋りながら笑い合ってエントランスへと向かえば、いち早く僕達の姿を見つけためのうが良く通る声を玄関に響かせた。  めのうの声に玄関から顔を出すのは冷たい眼差しを向ける姉さんで、「遅いわよ」と抑揚のない声に虎君は乾いた笑いを零してしまう。 「ねぇ、何してたの? 『遅刻しそうだから』って葵を呼びに行ったくせに、随分ゆっくりしてたみたいだけど」 「入学式に遅刻したら困るからって気にしすぎてたみたいだ。写真を撮ってもまだちゃんと間に合う時間だろ?」 「わざとらしい。……いい? あんた、もう20歳なの。成人してるの。分かってるわよね?」 「わざわざ年齢を教えてくれなくても自分の歳ぐらい理解してる」  姉さんの前で足を止める僕と虎君。姉さんの前でピッタリとくっついていたら火に油だから、僕達は手を繋ぐだけで我慢。  姉さんの威圧に虎君は何が言いたいか分からないと溜め息を吐く。すると姉さんは虎君の胸倉を掴むとぐっと顔を近づけて、勢いが良すぎてそのままキスしちゃいそうだと僕は慌ててしまう。

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