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恋しい人 第117話

「うわ。姫神がデレた」  ポカンとしていた僕の代わりに反応を返すのは慶史で、「流石葵。天然の猛獣使い」なんて意地悪なことを言ってくる。  僕は視線だけで慶史に『黙ってて!』と訴えると、姫神君の誤解を解くために口を開いた。 「大丈夫だよ。姫神君と友達になりたいのは僕なんだし、虎君は絶対に『ダメ』なんて言う人じゃないから」 「でも……」 「もしも虎君が『ダメ』って言っても、僕は姫神君と友達になりたいからちゃんと説得するよ!」  だから、少しだけでいいから会ってくれないかな?  そう懇願すると、姫神君は渋りながらも分かったと頷いてくれた。 「ありがとう、姫神君!」  嬉しい! と思わず手を握ってしまう僕。姫神君はそれに驚き、苦笑を漏らし、「『虎君』って人は苦労してそうだな」なんて言ってくる。  姫神君の思考が読めないから、僕はどうして虎君が『苦労する』のか分からない。  どういう意味? と首を傾げると、姫神君は苦笑を濃くしながらも何でもないと歩き出してしまった。 「姫神君?」 「『虎君』、待たせてるんだろ?」  行こうぜ。そう振り向いて笑ってくれる姫神君の笑顔はやっぱり綺麗。でも、カッコいいとも思った。  僕は頷き、姫神君を追いかけるように駆ける。するとその後ろを何故か慶史達も付いてきていて……。 「慶史は虎君に逢いたくないんじゃないの?」 「逢いたくないよ? でも、千景君いるし、久しぶりにアレが見れるかもしれないじゃん?」  茶化すためなら怒るよ? そう警戒する僕に慶史は笑って「それもちょっとあるけど」なんて言う。  相変わらずな慶史に呆れる僕。すると悠栖は「『アレ』って?」と慶史の言葉に興味を示して、僕と慶史の間に割って入ってきた。 「それは―――」 「葵、ストップ」 「え? なんで?」 「百聞は一見に如かず。どうせすぐ分かるんだし、楽しみにしとけよ」  慶史の説明に悠栖は訳が分からないと言いたげな表情を見せる。でも、旅行前の小さな子どものようにワクワクしてる慶史の様子に意地悪じゃなさそうだと判断したのか、素直に分かったと聞き分けた。  僕は楽し気な慶史の横顔に小さく息を吐き、僕達の後ろをついて歩くちーちゃんが右手を握っては開いてを繰り返している姿を見て大きなため息を吐いてしまった。 (ちーちゃん、今日も『アレ』、やる気なのかな……)  昂る感情が抑えきれていないちーちゃんを見ればやる気満々だと言うことは分かっているけど、ほんの僅かな可能性に縋りたいと思ってしまう僕。  ちょっぴり憂鬱な気持ちのまま靴を履き替え外に出れば、春とはいえまだちょっぴり肌寒い。  僕は冷たい風に身体を震わせながら正門へと足を進める。その歩調がさっきよりも早いのは寒さのせいだろうか? それとも、虎君に逢いたいと逸る気持ちのせいだろうか? 「! 虎君!」  見つけた姿に僕はホッと胸を撫で下ろす。この心の底から感じる安心感は、僕の頭から虎君以外のことを忘れさせてしまう。  僕は早足から駆け足になって、こちらを見て微笑み、両手を広げてくれる大好きな人の胸に飛び込んだ。 「おかえり、葵」 「ただいま、虎君」  ぎゅっと抱きしめてくれる虎君。僕はギューッと抱きつき返して額をぐりぐりとその胸に擦り付けてしまう。  まるで飼い主にじゃれつく子犬のような仕草だと分かっているけど、大好きなんだから仕方ないと僕は虎君に思い切り甘えた。  でも、胸いっぱいに息を吸い込んで虎君の匂いに満たされた僕は漸くみんなすぐ傍にいたんだったと思い出す。そして、ちーちゃんがいたことも。 (ちーちゃんのこと虎君に言わなくちゃ!)  虎君に逢えたことが嬉しすぎて大事なことを忘れてた。  僕がちーちゃんがクライストに編入してきたことを伝えようと顔を上げたその時、虎君が僕を抱きしめていた腕を解いてそのまま自分の背に追いやってきた。 「虎く――――」 「千景!?」  僕が虎君を呼ぶ声に被るのは虎君の驚いた声。  そして虎君は驚きながらも上体を捻り、次の瞬間、僕の視界には誰かの拳が通り過ぎた。 「葵、下がってろ!」 「! 虎君っ!」  虎君は自分を襲ってきた腕を掴むとそのまま反動を活かして相手を、ちーちゃんを投げ飛ばす。  荒げられた声に従って正門に隠れる僕。目の前では上着を脱ぎ捨てたちーちゃんが物凄く楽しそうに虎君に殴りかかっている光景が繰り広げられていて、やっぱりこうなった……と僕は肩を落としてしまった。  相手の急所を狙って拳を振るうちーちゃん。でもそんなちーちゃんの攻撃を虎君は事も無げに受け流し、自分の身体の動きに相手の勢いを乗せて反撃して、危うさを感じさせない。  ちーちゃんはいなされても手数で勝負とばかりに何度も攻撃を繰り返し、虎君はそれでもそれら全てを躱し、いなし、反撃で応戦する。  虎君の反撃を受けながらも、本当に楽しそうなちーちゃんは高揚する気持ちが抑えられないのか目の色が変わっていく。  『挨拶代わり』のお遊びに本気が混じり出したのか、虎君も次第に躱す動作が少なくなって反撃する回数が増えてきた。  僕は虎君が怪我をしないか心配になる。今までちーちゃんから攻撃をうけたことなんてないからこれは要らぬ心配だと分かっているけど、それでも心配してしまうのは僕にとって虎君が誰よりも大事な人だからだ。  そんな僕の心配が通じたのか、ちーちゃんが虎君の顔めがけて足を振り上げた次の瞬間、勝負がついた。  何が起こったのか僕にはわからなかったけど、ちーちゃんは地面に寝転がり、「いってぇ……」と呻き声をあげていた。

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