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恋しい人 第121話

「悠栖、どうしたの?」  呼んでも反応は返ってこない。その普段の悠栖らしからぬ様子に何が起ったのかと心配になる。  慶史達も異変に気付いたのか、訝し気に悠栖に何してるんだと声を掛ける。でも、やっぱり悠栖はこちらを見たまま立ち尽くしていて……。 「悠栖? ねぇ、悠栖、僕の声、聞こえてる?」  親友に一体何が起ったのか。僕は心配のあまり虎君に放して欲しいとお願いして悠栖に駆け寄った。  そして駆け寄って気づいた。友達の前で甘える僕の姿に驚いていたのかと思っていた悠栖が見ていたのは、僕ではなく虎君だったということを。  僕の後ろに向けられた眼差し。そして近くなった距離に分かる表情の変化。  悠栖は驚きから高揚を抑えきれないのかプレゼントを前にした子供のように目を輝かせている。 (え……。なんで……?)  それは今まで悠栖が虎君に向けたことのない熱視線で、僕の胸に黒い感情が生まれてしまう。 (なんで虎君にそんな顔向けるの? その顔、一昨年のクリスマスパーティーで見せた顔と一緒じゃない……)  一昨年の学校主催の合同クリスマスパーティーで彼女を作ると意気込んでいた際にマリアに通う可愛い女の子達に向けていた表情。それと全く同じ顔をしてるのはどうして?  まさか……。と過る可能性に血の気が引く思いだ。 (で、でも悠栖は『女の子が好き』って言ってたっ)  僕と虎君の関係や朋喜の恋愛対象については理解を示すものの、未だに男同士で恋愛する気持ちは分からないと言っていた悠栖。自分は可愛い女の子にしか興味を持てない。と。  僕は自分の思い違いだと自身に言い聞かせ、平静を装う。でも、自分の前で虎君に見惚れる悠栖の表情は僕の不安を煽るばかりで……。 「すげぇ……」  うわ言のように零された声は感嘆の色に染まり、表情は抑えきれないドキドキを滲ませている。  虎君が性別問わずモテるという話は昔から姉さんや海音君から聞いていた。付き合う前は『当然だよね』と鼻高々と聞いていた話は、恋人になってからは事実でも耳にしたくない話題になっていた。  それは余計な不安を抱きたくなかったから。虎君は僕だけを愛してくれてるって分かってるのに、その自信が揺らいでしまいそうになるから……。  それなのにまさか今目の前で親友が恋敵として名乗りを上げるなんて、神様は意地悪だと思わずにはいられない。  不安に呼吸が浅くなっているのが分かる。目の前が真っ暗になりそうな感覚に襲われながら、僕は必死に自分自身に言い聞かせた。大丈夫。と。たとえ相手が悠栖でも虎君は心変わりなんてしない。と。 (大丈夫だって分かってるけど、虎君を信じてるけど、でも、でも……)  キラキラと瞳を輝かせて虎君を見つめている悠栖は、やっぱり男の子だけど可愛くて、僕の『大丈夫』の力を奪ってしまう。  虎君をとらないで。と強く願う僕。  でも、心の中でどれほど強く願おうと、口に出さなければ誰にも伝わらない。  現に虎君に見惚れて立ち尽くしていた悠栖の時間は動き出し、芽生えた気持ちを抑えきれないと虎君の元へと駆けだしてしまっていた。 「! 悠栖っ!」  ヤダ! 待って! 虎君に近づかないで!!  自分の中にこんな醜い感情があるなんて知らなかった。けど、虎君を奪われるかもしれないと思うと綺麗事なんて言ってられなかった。  僕は急いで悠栖を追いかける。虎君に想いを伝えて欲しくなくて……。  十数メートルの距離がこんなに遠いと感じることはきっともうないだろう。  悠栖を引き留めるために追いかけ手を伸ばす僕。でも、悠栖を止めることはできなかった。身体を動かすことが大好きな悠栖に家でゆっくり過ごすことが大好きな僕が追いつけるわけがなかったのだ。 「先輩!!」  高鳴る胸のまま少し高い声で虎君を呼ぶ悠栖。僕は心の中で『ダメ! 言わないで!』と叫ぶ。  でも、僕が追いつくよりも先に悠栖は次の行動を起こしていた。 「! いってぇぇええええ!!!」  悠栖に向かって伸ばした手は、背中を掴むことはできなかった。  けど、虎君の前に立っていた悠栖は何故か突然その場にしゃがみ込んで大きな声を上げ、悶絶していた。 「あ、天野、大丈夫か……?」 「む、無理っ……なんすかっ、その腹……、何仕込んでるんすか……」  絶対指の骨折れてる……。  そう涙声をあげている悠栖に虎君が見せるのは困り顔。  参ったな……と頭を掻きながら「力は抜いたつもりけど、いきなり過ぎて中途半端に力が入ってたか」とその場にしゃがみ、痛いと騒いでる悠栖の手を掴んだ。 「! 痛い! 先輩、痛い!! 痛い痛い痛い!!」 「我慢しろ。……折れてはいないみたいだな」 「嘘だ! 絶対折れてるっすよ! めちゃくちゃ痛いっすもん!!」  ぎゃーぎゃーと声を上げて虎君に文句を言う悠栖に、僕は一体どういうことかと立ち尽くしてしまう。 (い、今悠栖、虎君のこと殴ったよね……?)  虎君に心を奪われて告白するつもりだと思った悠栖は、僕の想像とは全く違う行動をとっていた。悠栖は告白どころか言葉も碌に交わさず、虎君のおなか目掛けて思い切りパンチを繰り出したのだ。

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