415 / 551

恋しい人 第130話

 さっきまでの和やかな雰囲気とは打って変わってピリッと張り詰めた空気に静まり返るリビング。  楽しそうなめのうの声もいつの間にか聞こえなくなっていて、折角の誕生日を台無しにしてしまったようだ。  兄としてはそれに罪悪感を抱き、申し訳ないと思わなければならない。でも、僕はめのうの兄としてよりも虎君の恋人としての自分を優先してしまっていた。  虎君の拒絶に心が張り裂けんばかりに痛み、涙を堪えるだけで精一杯だった……。 「……で、どうするんだ? めのうは寝たみたいだからパーティーはもうお開きだ」  静かな空間に響く父さんの声。僕は指一本動かせず、硬直して時間が過ぎるのを耐えるしかない。  虎君の返事が怖くて堪らない僕にはこの数秒すら永遠に続く長い時間に感じてしまう。  早く時間が動けと願う僕。すると、僕の強い願いが届いたのか、次の瞬間空気が動いた。  血の気が引いた僕の手首を掴むのは、虎君の大きな手。そして……。 「明日の夜までには帰ってきます」  虎君はそう言い残すと僕の手を引いて早足でリビングを後にした。  背後から父さんの声が聞こえたけど、なんて言ったかまでは分からなかった。自分の心臓の音が煩すぎて本当、何も聞こえなかった。  虎君に手を引かれるがまま後ろをついて歩く僕はいつの間にかガレージに居て、自分の愛車の助手席の前で立ち止まった虎君はそこで漸く僕を振り返ってくれた。 「ごめん」 「どうして謝るの……?」 「葵の気持ち、聞かずに連れて来た」  僕の気持ちはもう伝えてる。それなのにどうしてそんな申し訳なさそうな顔をするのか。  僕は僕の腕を掴む虎君の手に手を添えて「そんな風に謝らないで……」と呟いた。僕はこんなにも喜んでいるんだから。と。 「車に乗ってくれるか?」 「当たり前でしょ」  僕の頬を撫でる虎君の掌が恋しくて顔を摺り寄せれば、虎君は身を屈め、チュッとキスを落としてくる。  促されるまま助手席に乗ると、言葉を交わすことなく走り出す車。虎君の家に向かうその道中も、車中はとても静か。いつもならBGMとして洋楽が流れているはずなのに、今日はそれもなくて……。 (虎君も緊張してるのかな……)  全力疾走した時のように心臓がドキドキしていて全然落ち着かない僕だけど、ハンドルを握る虎君もきっと同じだと思った。  運転する虎君の横顔にはいつもの優しい表情は無く、むしろその表情は硬く強張っていた。  いつになく真剣なその横顔に心臓は更にドキドキするし、甘えたくなるし、堪らない気持ちになってしまう。  心地良い車の揺れを感じながら、虎君の家に着いた後のことを考え、心臓は一層高鳴る。  僕はずっと虎君の横顔を見つめてしまっていて、きっと運転している虎君からすれば気が散って仕方ないだろう。  でも、虎君は視線に気づきながらも何も言ってこない。ただ黙って車を走らせ、時折焦っているようにも見えた。  そうやってどれぐらい虎君の横顔に見惚れていたのだろう。  気が付けば車はマンションの駐車場に入り、停車する。エンジンを切る虎君は深く息を吐き、ハンドルに頭を預け項垂れる。 「……見過ぎだぞ?」  困ったように笑う虎君が零す声に我に返った僕は慌てて虎君から目を逸らし、ごめんと謝る。  何十分も見つめてしまっていたら、そりゃそう思うよね……。  恥ずかしいと俯く僕。すると、そんな僕の手を握る大きな手。虎君の手だ。 「部屋、行こうか?」 「う、うん……」  車を降りてと促され、言われるがまま助手席のドアを開き、車を降りる。  差し出される手を取りエレベーターへと歩き出せば、虎君は「参った」と自嘲気味に笑った。 「何が?」 「部屋までのこんな僅かな時間すら耐えるのも必死だなと思って」  運転中も何度車を止めてしまおうかと思ったことか。なんて笑う虎君は上階に止まるエレベーターのボタンを押し、僕の肩を抱き寄せてくる。  僕は虎君の腕に身を任せ寄り添い、その逞しい身体に抱き着くと早く虎君に求められたいと願い頬を摺り寄せた。 「虎君と一緒なら、僕は何処でもいいよ……」 「そんな可愛いこと言わない。……初めてがカーセックスとか流石に嫌だろ?」 「言ったでしょ? 僕は『虎君と一緒なら何処でもいい』って」  自分で言っておいて物凄く恥ずかしくなってぎゅっと抱き着いてしまう僕。  虎君はそんな僕に盛大な溜め息を零し、そうかと思えば開いたエレベーターのドアに乗り込むとそのまま僕を壁に押しやり、激しいまでに口付けてきた。  いつもの優しく甘いキスとは全然違う呼吸すら奪ってしまいそうなほど激しく荒々しいキスに、僕は応えるどころかされるがまま。でもそれを怖いとか嫌だとか全然思わず、むしろ喜びと期待に胸が高鳴なっていた。

ともだちにシェアしよう!