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初めての人 第38話
「はーちゃんはちーちゃんに傷ついて欲しくないだけでちーちゃんの世界が広がって欲しくないって思ってるわけじゃないよ」
「でもこの先千景君が傷つかない保証なんて何処にもないし、俺はやっぱり千早君はめちゃくちゃ怒ると思うけどな」
「『怒る』じゃなくて『心配』、ね。本当、慶史は意地悪な言い方ばかりするよね」
ちーちゃんとはーちゃんの間には普通の兄弟とは違う絆があることは確かだけど、それを面白おかしく吹聴するのは止めて欲しい。
苦笑交じりにそう伝えれば、僕の気持ちがちゃんと通じたのか慶史は肩を竦ませながらも茶化すように話したことを素直に謝ってくれた。
「『はーちゃん』って人が怒ってる怒ってないはともかく、ちー先輩が愛されキャラってことは理解した。……あってる?」
「そこは聞かなくても分かるだろうが」
話題が話題だったから場の雰囲気は微妙な空気になってしまっていた。そんな時に響く悠栖の声はやっぱり癒しだ。
苦笑交じりにちーちゃんを『愛されキャラ』だと言い切った那鳥君は僕の前に立つと「悠真先輩はちー先輩を裏切ったりしないから安心しとけって『はーちゃん』って人に伝えてくれ」と真面目な面持ちで言ってくる。
その言葉に僕が感じるのは、那鳥君が久遠先輩に寄せる絶対的な信頼。警戒心の強い那鳥君やちーちゃんをここまで魅せる久遠先輩に僕が興味を持つのは当然のことだ。
(久遠先輩ってどんな人なんだろう? 怖そうな人だろうなって思ってたけど、全然違うよね?)
むしろ穏やかで優しい性格な気がする。いや、きっとそうに違いない。だってそうじゃなきゃあのちーちゃんがたった数ヶ月で考えを変えるわけがないんだから。
僕は真面目な面持ちの那鳥君に「分かった」と頷き、笑う。
「……久遠先輩に興味湧いたでしょ?」
「! そりゃ、ちょっとはね。って、何その顔」
「んーん。何でもない。これからもっと沢山『良い人』に出会えると思うと嬉しくて!」
明日は明るい気がする!
そう言って満面の笑みを見せる慶史に、僕はそうだねと笑った。那鳥君やちーちゃんに取っ手の久遠先輩的存在に慶史も早く出会えると良いなと思いながら。
未来に対して悲観的だった慶史の口から出た前向きな言葉が嬉しくてついつい表情が緩んでしまう。すると、よっぽど緩んだ顔をしてしまっていたのか、慶史の綺麗な笑顔は「なんで笑うの」と苦笑に変わってしまった。
理由を言わずにやけた顔で笑っていたから馬鹿にしていると勘違いされたかもしれない。
僕は自分の緩んだ頬を引き締めるように両手で押し上げ、「嬉しくて」と弁解する。これから沢山の出会いがあるって考えたらワクワクするね。と。
慶史が『幸せだ』と笑える未来を想い、伝える僕。でも慶史から返ってきたのは「えぇ……」という困惑の声だった。
「え? 僕、変なこと言った?」
「『変なこと』っていうか、素直過ぎてびっくりしたって言うか……」
「? え? えぇ? 何が?」
脱力して椅子の背もたれに身を任せて天井を仰ぐ慶史の姿に僕は意味が分からずオロオロするしかできない。
するとそんな僕を憐れに思ったのか朋喜が「さっきの言葉はお兄さんに対する嫌味だよ」と慶史が言った言葉の真意を教えてくれた。まぁ、教えてもらっても全然理解できなかったんだけど……。
「この先出会う『良い人』に葵が乗り換えるって思ってるんだよ。こいつは」
「! 違うし! 乗り換えて欲しいなって思ってるだけだし!」
「一緒だろうが」
毛嫌いしてることは分かってるけど今のは流石にダメだろ。
そう呆れたように溜め息を吐く那鳥君に慶史が訂正を入れる。ただの願望だし! と。
でも、一刀両断した那鳥君が言ったように、言葉のニュアンスは違えど願っていることは結局同じ。僕と虎君が別れることを望んでるってことに変わりはない。
僕は自分でも人相が悪くなっていると自覚できるほどの怒りを覚え、慶史を睨みつけてしまう。
「ご、ごめんってば。冗談だよ。冗談」
「僕、言ったよね? 虎君のことを悪く言わないでって。僕に虎君の悪口を聞かさないでって」
それなのにそうやって虎君の悪口を言うってことは、慶史は僕と口も聞きたくないって思ってるってことでいいんだよね?
人は怒りがピークに達すると感情的になるよりも理性的になる生き物なのかもしれない。
僕は怒鳴ったり喚いたりせず、淡々とした口調で慶史に友達をやめたいってことでいいのかと尋ねた。
その冷静過ぎる声色が逆に怒りの度合いを強調したのか、慶史は慌てて「違う!」と身を乗り出して謝ってきた。今までと同じ軽口のつもりだった。と。
「慶史」
「な、何?」
「虎君のことを悪く言うために僕の気持ちをないがしろにしたって分かってる?」
「分かってる……。本当にごめん」
僕が何に対して怒っているか理解していないのなら、きっと同じことがこの先起こるだろう。
慶史とはずっと友達でいたい気持ちは変わらないけれど、僕はそれが耐えられないと伝えた。すると慶史はもう一度頭を下げ、謝ってきた。冗談が過ぎた。と。
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