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my treasure 第16話
「『喋るな』って、なんでだ?」
「私の後ろに誰が居るか、見えない?」
桔梗がきょとんとしている海音に苦笑交じりで尋ねてみれば、彼は質問の意味が分からないと言いたげな顔をしながらも首を伸ばして彼女の背後へと視線を向けた。
すると先程までの嬉々とした表情が驚きに変化し、それを間近で見ていた桔梗はこれから鬼と化している兄の責め苦に謝りながら堪える幼馴染の姿を想像するのだった。
しかし、虎はともかく海音はやはり一筋縄ではいかない根っからのポジティブ思考の持ち主だったと直後に彼女は知ることになる。
「虎! お前、いたならさっさと声かけろよ!」
驚きの表情から輝くような笑顔を浮かべると海音は桔梗をぐいっと押し退けて親友に駆け寄った。いや、駆け寄るではなく突進と言った方が正しいだろう。
虎が反応するよりも早く、「おめでとう親友!」とハグをしたかと思えばバンバンと背中を叩いて喜びを表す海音。
それを見ていた桔梗は出鼻をくじかれた兄の表情に思わず笑ってしまった。
(すごい。海音君って本当に怖いもの知らずだったわけね)
耳元の大声を煩わしいとばかりに眉間に皺を刻む虎の反撃はそろそろだろう。
桔梗はくすくすと笑いながらも後ろへ一歩下がって見せた。そのすぐあと耳に聞こえるのは海音の悲鳴交じりの「いてぇ!」という声だった。
てっきり投げ飛ばされるだろうと思っていたから正直拍子抜けだったが、痛いと叫ぶ海音の姿に投げ飛ばさなくとも痛めつけることはできるということかと感心してしまった。
一目見ただけで鍛えているのだろうと分かる筋肉質な腕で力を込めて顔面を鷲掴まれ締め上げられ、海音は「マジで無理! これ以上はマジで!」とびくともしない親友の腕をバシバシと叩いて抵抗を見せる。
その様子を『じゃれ合い』と思い見ていた桔梗だったが、いつの間に隣にいたのかボディーガードの陽琥が「素人相手だぞ」と虎の拷問にストップをかけるよう割って入る。
陽琥の声に虎の腕からは分かり易く力が抜け、締め上げていた親友の顔面が解放される。
海音は頭を抱えその場にしゃがみこんで悶絶し、痛い痛いと乱暴に己の頭をこすっていた。
「気持ちは分かるが手加減ぐらいしてやれ」
「十分手加減したつもりです」
「いやいやいや! おま、今ので手加減してるとか絶対嘘だろ!? 過去一痛かったぞ!?」
見習いとはいえ目の前で傷害事件を起こされるわけにはいかないと虎を窘める陽琥。
しかし虎の反論に海音が喚いて、陽琥の警告を無視して新たに制裁が下されようとした。
呆れたとため息を吐きながら陽琥が今一度その名を呼べば、寸でのところで拳は止まって一安心だ。
「海音、怪我をしたくなければあまり揶揄ってやるな。握力だけでも100近いんだぞ、虎は」
陽琥は海音に親切にも忠告する。リンゴぐらいなら平気で潰せる力の持ち主を不用意に揶揄うと痛い目に合うぞ。と。
するとその言葉を聞いた海音は驚きに目を丸くして顔を上げた。
「まっ?! え? ゴリラじゃん!?」
「いや、ゴリラの握力はその4倍以上だ」
「! ゴリラってそんな力強いんだ? 確かに図体でかいもんな!」
海音の軽口にも真面目に返答する陽琥。
虎は二人の姿にボケとボケが揃うと話に収拾がつかなくなるとはよく言ったものだと思ってしまう。
だが親友の視線に気づいてしまって傍観者で居ることは叶わなかった。
「おい。なんで俺を見て納得するんだバ海音」
「だって虎イコールゴリラじゃん?」
「どうやら痛みが少々足りなかったようだな」
腕をまくりまだまだ余裕そうで安心したと不敵に笑う虎の手から逃げるように海音は桔梗の背に回り込む。
女の子を盾にして恥ずかしくないのかと桔梗が呆れれば、恥よりも命の方が大事だと言い切られてしまった。
「海音君、私ずっと思ってたんだけど、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「海音君って、痛いことが好きなの?」
自分を盾にしながらも親友の動向が気になる様子の海音に素朴な疑問をぶつけてみれば、海音が答えるよりも先に肯定の声が方々から聞こえてきた。
「痛いのが好きだから虎にちょっかいをかけてるんだ。確認するまでもないだろう」
「確かに虎に殴られる度嬉しそうな顔してるものね、海音は」
「海音、頼むからあまり虎の嗜虐心を育てる様な事はしないでくれよ? 葵はお前と違って痛みに弱いんだ」
どうやら桔梗の両親は海音を被虐性愛者だと認識しているようだ。
そしてその性的嗜好に理解を示したうえで、これからはプレイする相手を別に探すよう勧めてくる。
その理由は唯一つ、海音の被虐性を満たすプレイ相手が自分達の大切な息子の恋人だからだ。
もし葵も海音と同じく被虐性愛者であればこれからもプレイを楽しんでもらって何も問題はないのだが、残念ながら葵は被虐性愛どころかむしろその逆で痛いのも辛いのも苦しいのも大嫌いだった。
そんな息子の恋人がもし性的倒錯ともいえるプレイにのめり込んでしまったら泣くのは誰か、言わなくともわかるだろう。
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