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第4話

 君は靴を履いて、振り返りもせず玄関のドアの向こうに消えていく。  直接玄関と繋がる狭いワンルームの間取り。鈍色のドアがゆっくりと閉まっていくのを、僕はぼんやりと見つめた。  玄関のドアが閉まる寸前の最後の隙間から、振り返る君と目が合う。  最後の最後に気を抜いてしまった僕の顔。  ドアの隙間から驚きに変化する君の顔。  あと少しが我慢出来ずに溢れた僕の涙が、床に落ちるよりも前に。  君は閉まりかけたドアを勢いよく開けて、靴を脱ぐ時間も惜しいと言わんばかりに駆け寄り僕を抱きしめた。  その勢いで、背もたれのないスツールから転げ落ちる。  痛いと文句を言う前に、君に唇を塞がれて、いよいよ僕は本気で泣き出した。君の背中を叩き、髪を引っ張り、足をバタつかせる。  僕に乗り上げる筋肉質な君の体。  非力な僕の抵抗など何でも無いかのように、君は両手で僕の頬を固定して、執拗に口付けを繰り返す。  君の閉じた瞼からも、ぼたぼたと涙が溢れて僕の顔を濡らす。  眉間に深い皺を寄せ、肩を震わせながら静かに泣く君を見て。  僕は無駄な抵抗を止めて、君の口付けを受け入れた。  受け入れてしまえば、君の唇は何処までも優しくて、やっぱり泣けて泣けて仕方がなかった。  だって、ずっと、こんなにも、君が欲しかった。 「ずっと後悔してた」  側にあるベッドへ移動する事もなく、二人して床の上で隙間なく絡まって。 「何をしても、何を見ても、お前を思い出していた」  君は、慌ただしく僕のズボンと下着を一緒くたに引き抜いて。 「お前じゃなきゃ、ダメなんだって、思い知って」  僕は震える手で、君のズボンのチャックを下ろした。 「でも今更なんて言っていいのか、分からなくて」  夢中になって、君を口の中で可愛がる僕に。 「お前はいつも平気そうだったから、俺一人がこんなにも、いつまでもお前を好きなんだって」  君は僕に指を入れ解しながら。 「それでも努力はしたんだ。家庭を築こうと、努力した。でも元嫁はとっとと他の男の所へ行くし。まったく、俺は、馬鹿だ。ごめん」  君が中に入ってくる頃にはお互いに泣きながらぐちゃぐちゃになっていて、僕はもう息も絶え絶えだった。君は沈黙に怯えているかのように、ずっと一人で話し続けている。 「くっ。キツいな。……他ではしてなかったのか? ここを知ってるのは、何人いるんだ? いや、やっぱり言うなよ。自分勝手な嫉妬で頭がどうにかなりそうだ」  君は強引に根元まで入れたまま、動かずに僕を見下ろしてた。 「なぁ。嘘でもいいから、俺だけを好きだと言ってくれ」 「酷いな、君は」  僕はそう言ってはぐらかす。   「一度で良いから、好きだと言ってくれ」  重ねて懇願する君に、僕は腰を擦り付けて、揺らして、動かして、微笑み返した。  僕はずるくてどこまでも小心者だ。怖くて言えないこの気持ちを言葉に出来るものならば、どれほど簡単だっただろうか。  涙で揺らぐ視界いっぱいに、君がいる。全身で君を感じる。  君の瞳に映る僕はひどく情けない顔をしているけれど、君が僕を真っ直ぐに見つめて微笑んでくれるから。  それだけでひどく幸せで。 「くっそ」  余裕の無くなった君が、がむしゃらに腰を打ち付ける。僕は飛び出しそうな声を、唇を噛み締めて耐えた。  君はそんな僕の唇を舐めて、舌を絡めるキスをせがむ。 「なぁ。声、聞かせて。お前の声が、聞きたい」 「い、嫌だ、よ。んっ」 「なんでっ」 「男の、喘ぎ声なんて。………君に、嫌われたく、ない」 「くっ」  僕の中で君が弾ける。思いがけず暴発した君が、怒ったように僕を持ち上げ膝の上に乗せて、またがむしゃらに僕を穿ち始めた。  中で出された体液が滑り、雪降る夜の静かな部屋に、はしたない音が響く。  顔が近付いたのをいい事に、喉の奥まで君の舌に蹂躙されて、唇の端から涎が垂れた。  君の冷たく冷えた指先が僕の服の中を這い回り、胸の突起を悪戯に弾き、摘み、弄ぶ。身体中にはしる甘い震えに、たまらず僕の口から喘ぎ声が溢れた。  子供みたいに君が勝ち誇って笑うから、こんな声くらいいくらでも聞かせてやれという気持ちになってしまう。君は知らないんだろうな。女の人と比べられたくないと思う卑屈な僕の気持ちを。  それでも君が望むならと、我慢する事を止めて思うままに声を上げる。  君の動きに合わせて、ギリギリまで膨らんだ自分の性器を、君の腹筋に擦り付けて、君を喰い締めて。  目に見えない気持ちよりも男の体は正直で分かりやすいからいいと、何度も何度も、隙間を埋めるように体を重ねた。  まだしんと静まり返っている冬の朝。  昨夜の雪が積もったのだろう。  カーテンの隙間から、いつもより明るく感じる朝日が君の顔を照らしている。  君が眩しそうに眉間にシワを寄せるから、僕はそっと君の隣を抜け出して、カーテンを動かす。光の中の君は綺麗だったけれど、これで君の睡眠を邪魔する光は無くなった。  君の穏やかな寝息に満足をして、僕はまた君の隣に戻る。 「愛してる。何よりも、君の幸せを願っている」  そう。自分の幸せなど全て投げ出してもいいくらいに。この愛はひどく複雑で、なのに馬鹿みたいにまっすぐ盲信的に君に向かっていくのを止められないのだ。  僕は眠る君の瞼に、触れるか触れないかのキスを一つ送った。  君の安定した寝息を聞きながら、僕はまた君の隣に滑り込む。裸の肌を密着させて、このまま雪のように溶けて一つになれれば良いのにと目を閉じた。  また別れが来たらと考えてしまう僕には、その一つに溶け合う想像がひどく幸せな事のように思えた。  一つになれれば、もう誰の目も気にせず、後ろめたさを感じず、君とずっと一緒にいられるじゃないか。    寝返りを打つ君が寝ぼけながらも僕を抱きしめ、足を絡める。  ……やはり二人がいい。  僕は君の腕の中。たったそれだけのことで、僕はあっさりと幸せに染められてしまうのだ。不安になったり、幸せになったり、君のそばに居るとずいぶんと僕の気持ちは忙しくなってしまう。  大人というものは、ひどく重く難しい。それでももがきながら、愛を乞う。ただ一人。君の幸せを願いながら。  矛盾して、間違えて、遠回りしながらも、僕たちは生きていく。  雪はまだ溶けない。春は遠い。  しかしこの気持ちだけは確かな温もりとしてここにあるのだと、僕は君の背中に腕を回した。    外の雪が音を吸収して、世界をいつもより少しだけ静かにしてくれる。僕は君の鼓動に耳をすませながら、君が起きたら好きだと告げてみようかと幸せな夢を見た。  いつか胸を張って君と手をつないで歩きたいと、夢を見続けているのだ。

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