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第3話
雪の降る冬の夜。
玄関のチャイムの音がする。
僕は確認もせずに、玄関のドアを開けた。
そこには、雪で白くなった君が立っていた。
「とりあえず入りなよ。寒いし。君、死にそうな顔をしてる」
「驚かないのか」
「まぁ、ね。………案外、来るのが遅かったなと、思ってはいるよ」
「そう、か。聞いていたか」
「そりゃあ、まぁ。聞きたくなくても、共通の友人がいるし。どうしても、ね」
君が三ヶ月前に離婚したと、風の噂で聞いていた。
それから毎日ずっと、携帯電話を肌身離さず持ち歩いていた僕を、君は笑うだろうか。
眠る直前までずっと、携帯画面を見つめていた僕を、君は笑うだろうか。
それでも僕からは連絡を取らないと、決めていた。
もうこれ以上は、どんな些細な痛みも味わいたくはなかった。傷付きたくない。
一人で過ごした月日が、僕を臆病にしていた。
「とりあえず座りなよ」
雪で白くなった君の肩に、タオルをかける。
「これ、毛布ね。飲み物はコーヒーでいい?」
僕はキッチンの戸棚の前で、隠してあった君のマグカップに手を伸ばしかけて、止めた。その手前に置いてある来客用のマグカップを取り出す。
君の物は何一つ、捨てられなかったんだ。それでも目にするのは辛いから、全て隠してあるだけなんだよ。
君は少し痩せたね。彼女との別れが、そんなに苦しかったのかな。
それでも今日は、僕に逢いたいと、そう思って来てくれたんだよね?
まだ僕のこと、少しは好きだと、思ってもいい?
何一つ言葉に出来ないまま、コーヒーの香りが鼻先をかすめて我に返った。機械にセットしたコーヒーの抽出が、いつの間にか終わっている。
僕は立ち上る湯気を見つめながら、ソファに座る君にマグカップを手渡した。
「ブラックで良かった?」
「ありがとう」
僕は少し躊躇して、君の座る二人掛けソファではなく、いつもは本の置き場所になっているフットスツールに腰掛けた。
昔は隣が当たり前だったのにな。
一つ一つを比べては、一人でダメージを受けている自分が滑稽だった。
どこで会うよりも、この思い出の詰まった部屋で君と会うのが一番苦しいだなんて、思いもしなかった。
君はコーヒーをしばらく見つめてから、おもむろに立ち上がった。
ゆっくりと、手にしていたマグカップをローテーブルに置いて、君は青白い顔を下げたまま、早口に喋り出す。
いつも僕の顔を見ながら穏やかに話をした君が、あの日々が、無性に恋しかった。
「ごめん。来るべきじゃないのは分かっていたんだ。どのツラ下げて、お前の前に顔を出せるのかと」
「君の顔なら結構見てたよ。フロアは違うけど、僕たち同僚でしょ」
「そうじゃなくて。いや、そうだけど」
「うん」
「ごめん」
「ううん」
「バチが当たったんだ」
「そんな事ないよ」
「………ごめん」
「謝らないで」
ごめん、だって。
何に対してのごめんなんだろう。
僕がずっと待っていたのは、そんな言葉なんかじゃない。
頭を下げる君を、僕は虚しい気持ちで座ったまま見つめた。
せめて泣き出してしまわないように、息を詰める。
ああ。君がこの部屋を出て行くまで、どうかちゃんと笑えていますように。
別れを切り出したあの遠い日の夜を、思い出す。
一度はちゃんと出来たんだ。もう一度。どうか笑ってさよならを。今度こそ、僕の恋にさよならを。
「うん。………帰るよ」
「………そう。風邪、引かないようにね」
君は僕の方を少し見て、それから俯いて背を向けた。
僕はスツールに腰掛けたまま、君の背中を目で追いかける。
本当にこれで最後になるだろう君の背中。
君は優しくて、とても酷い男だ。
愛してた。心から。僕の最初で最後の人。
追いかけたい。身も世もなく縋り付きたい。愛がなくてもいいから、側にいさせてと泣き叫びたい。寂しい。苦しい。
こんなにも酷い男を、それでも愛してる。
愛してるよ。
さようなら。
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