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第1話

 高田はぼんやりとテレビを眺めていた。休日に何も予定がない。そんな事はずっと以前からだが、ため息をつきたくなるのを我慢してただ無為に時間を浪費していた。  テレビの画面を見ていると視界に入る窓にさっと何かが陰る。どきりとしてそちらを見ると、銀髪碧眼の少年が立っていた。  え? ここ三階。  彼はどんどんと窓を叩いて何かを言っている。微かに声は聞こえるが何を言っているのかわからない。ただ、窓を叩く力が段々と強くなって、しまいにはベランダに置いてあった物干し竿を引っ張って大きく振りかぶった。 「わー! ちょっと待て! ちょっと待て!」  大声を出しながら手を前に出して彼の行動を止めようとする。高田が立ち上がったのを見て、彼は物干し竿を下ろした。  からからと窓を開けると何も言わずに部屋に飛び込んでくる。背後を振り返り何もいない事を確認すると、小さく息を吐き出して勝手に窓を閉めて鍵をかけた。  とりあえず。 「誰?」  少年は先程の必死さを微塵も残さずにぼんやりと高田を見上げた。わずかに口の端が震える。小さく息を吸って細い吐息のような声で言葉を吐いた。 「何でもするから、僕を守って」 「え、嫌だけど」  少年は微かに目を見開いた。よく見ていないとわからない程の些細な動き。きらきらと光りに反射する銀髪と澄んだ碧い瞳。細い顎は掴みやすそうで、小さな唇はまたわずかにふるりと震えた。綺麗な顔だ。 「何でもするから」 「だから嫌だって」  わずかに腕を持ち上げて高田に伸ばそうとするが、すぐに下ろして棒立ちになる。あまり表情は変わらないが、断られるとは思っていなかったようだ。 「じゃあ、警察呼ぶから」  机の上のスマホを取ろうと腰をかがめると、少年は想像もつかない素早さでそれを奪った。小さく体を震わせてスマホを後ろ手に隠す。ふるふると首を振ると、今度は見てすぐにわかるほどに目を見開いた。高田の後ろを指さす。振り返ると、人が立っていた。  だから何で?  台所は薄暗くて相手の表情がよく見えない。とにかくさっきまで誰もいなかった。鍵はかけてある。たとえ鍵を壊して入ってきたとしても、気づかないわけがない。窓から招き入れた少年よりもこちらの方が怖い。気がする。  高田はホラーが大の苦手だった。 「こ、今度は誰だよ!」 「幽霊」  ぼそりとこぼされた少年の言葉に高田は震えあがった。じりと後ずさると、その影がじりと距離を詰めてくる。ひっと息を飲んでもう一歩下がると、もう一歩詰めてきた。明るい所に出てきたせいで陰になっていた姿が見えるようになる。特に何ということもない、ただの青年だった。少し痩せている。 「幽霊じゃない」  人でも怖いんだけどね。  少年が高田の背中に隠れるようにしてシャツをぎゅっと握る。盾にされても困る。自分もどこかに隠れたい。とりあえず手を前に出してなだめるように手のひらを広げた。 「いったん落ち着こう」 「落ち着いてるよ」  落ち着きたいのは高田だ。しかし青年はどこか焦った様子で身を乗り出そうとする。こちらに手を伸ばしてきたので、ひっと高田は再び後ろに下がった。少年も一緒に後ずさる。 「幽霊。倒して」 「無茶言うな!」 「だから俺は幽霊じゃない!」 「じゃあ何だよ!」 「生霊だ」 「どっちでも一緒だよ!」  開き直ったように青年がつかつかと歩いてきたので、とりあえず高田は目を閉じながら少年の体を無理やり前に押し出した。極悪非道と言われても仕方のないような、そうでもないような。少年の肩がびくりと震えて、その様子を見た青年がわずかに顔を歪めた。 「おっさん守ってやれよ」 「いや、お前が言うなよ!」 「理由を話すから聞け」  何の理由だろうと知ったことではないけれど、少年ができる限り高田に体を寄せて後ろに下がろうとしてくるので少し罪悪感が芽生えた。手を離すとまた後ろにさっと隠れる。青年は少し焦りを見せつつも、高田をじっと見据えた。 「そいつの体が欲しいんだ」 「理由になってない」  少し落ち着きを取り戻しつつある高田の言葉に彼はむっとする。下を向いて大きくため息をつくと顔を上げて眉をしかめた。 「俺は昏睡状態で病院にいる。生き返りたい。それだけだ」  それだけ、と言えるのかどうかわからないが、とりあえず言葉を返す。 「こいつ嫌がってるだろ」 「俺にはそうは思えない」 「いや、俺にはそう見えるけど」 「そいつは死のうとしてたんだ。じゃあ体貰ったっていいだろ」  高田が少年を振り返ると、彼はシャツを握ったまま俯いていた。  どうやら本当らしい。  じゃあいいじゃん、と高田も思った。  そう言おうとして口を開きかけたところで青年が叫んだ。 「あー、もう! 時間なくなったじゃねえか!」  びくっとして高田が再び青年を振り返ると、少し体が透けていた。ひっと息を飲む。  だからこういうのは苦手なんだ。 「あ、えと、帰る?」  高田のホッとした声にイラっと顔を歪める青年。何かしてくるかと身構えたがどうやら特に何もできないらしい。少し気になる事があるので聞いてみる。 「この現象って幽体離脱的な?」 「俺にもわかんねえよ」 「でも、お前には意志があるように見えるけど」 「体が動かないからって何も考えてないわけじゃない」 「え……」 「想像してみろよ。目も開けられねえ、口もきけねえ、指先すら動かせない。俺は生きてるのに誰にもそれを伝えられない。ただ意識だけがあって耳から入る言葉だけは聞こえてくる。みんなもうぎりぎりだ。下手に延命しちゃったから機械も外せねえ。早く死ねって聞こえてくるんだよ。言ってなくてもな。だいたいどれだけ地獄かわかるだろ。俺は一歩も動けねえんだ。なのに考える事が出来て痛みも感じる。俺だって死にてえよ」 「…………」  それはあまりにも壮絶で、高田には返す言葉が見つからなかった。少年の手がふるふると震えている。 「あ! もう、また来るからな!」  日常の別れの挨拶のような何でもない言葉を残して青年は消えてしまった。時間切れというやつらしい。幽霊と言うにはあまりにも生々しくて吐き気がした。

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