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第1話

「おわーーっ!」 「っ!?」 突如頭上から聞こえた声に大袈裟に肩が飛び跳ねた。何事かと見上げた先には、ひらひらと舞っている白い紙と、二階の窓から身を乗り出してその紙に手を伸ばしている人がいた。 あ…、と知らぬ間に声が漏れたけど相手には届かなかったみたいで、僕の存在に気付いて目を大きくさせた後、悪いっ、すぐ行く!と通る声で焦ったように言うや否やあっという間に窓から姿が消えてしまった。 一瞬の出来事すぎて幻だったかなと視線を下げれば、周りに散らばっているプリントが幻じゃないと伝えてきた。すぐに彼がここに来るんだと思ったら心臓が勝手にドキドキしだす。とりあえず落ちてきたプリントを拾おうと草むしりをしていた手を止めて、土に塗れた軍手を外した。 ―――――――――― タッタッタッと軽快な足音が近付いて来たことに、緊張で拾ったプリントを持つ手に力が入る。ガチガチに固まった首を必死に動かして振り返ると、さっき見た彼が息を乱して駆け寄ってきた。 「あっ、悪い!あとは俺がやるからいいよ」 ありがとう、と差し出された手に拾ったプリントを渡す。それだけの事なのにすごく緊張して微かに手が震えてしまった。ドキドキからバクバクに変わった心臓の音に急かされるようにして立ち上がり、無言で頭を下げて放棄していた草むしりを再開すべく木の下へと戻る。 土塗れな軍手を着けて、余計な事は考えないようにブチブチ雑草を引っこ抜いてはゴミ袋へ入れる作業に集中する。今日は隣の木までで終わりにしようと決めて、垂れてきた汗を体操着の袖で拭った。 「草むしりしてんの?」 「――っ!!」 口から心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりして思わず縮こまる。そろそろと声がした方を見て、今度は意識が飛びかけた。 ち、近っ、直海(なおみ)くんが、近…っ! そこには彼――直海くんが、僕と同じようにしゃがみ込んでいつの間にか隣に居たのだ。 廊下ですれ違った時に緊張してちらりくらいしか近くで見た事なくて、こんな肩が触れそうな距離に直海くんがいるだなんて緊張というよりも信じられない気持ちが強くてまじまじと見てしまう。 綺麗な鼻筋に少し厚めの唇。キリッとした眉の下には二重の一見冷たく見える切れ長な瞳があって、それを囲うまつ毛は意外と長い。濡烏のように綺麗な黒髪は短く、襟足だけを刈り上げて後ろに軽く流すようにセットされているそこからは、同い年の筈なのに滲み出る男らしさがあってクラクラする。 ……本当に、本物の直海くんだ…っ。 直海くんは不思議そうに辺りを見たり僕の手元を見たりと視線を彷徨わせた後、驚きと感動に目をいっぱいに開いてる僕を見た。 「一人でやってんの?自主的に?」 「あっ、えっ?」 「草むしり。あちこちゴミ袋置いてあるからそこも多少はやったんだろうけど……お前がやった所と比べるとどう見ても手抜き作業だよなあ。もしかしてさ?始めは他にも人がいて草むしりをやってたけど、飽きたかなんかで全員片付けをお前に押し付けて帰った。そんな感じか?」 「……」 ――直海くんの、言う通りだった。 僕は美化委員会に入っている。 期首集会で一年生は裏門周辺の草むしりをする事になったんだけど、みんな点呼をとる先輩がいる間だけ意気込んでやっていて、いなくなった途端に態度を翻し、やってらんないとパラパラ帰って行く。僕にはそんなみんなを止める度胸も勇気もなくて、ただ黙々と残暑が厳しい中草むしりをしていた。 いつも投げ出して帰ることなく草むしりをしている僕に気付いた一人から片付けよろしくと声を掛けられたせいで、いつの間にか片付けも僕がやる事になってしまっていて…。 正直なところ、嫌だった。 ここからゴミ置き場までは距離があるのに、いつも一人で三往復はしなくちゃいけない。それは力も体力もない僕にとっては辛いことで、ここ最近ずっと筋肉痛と腰痛が治らなくて、痛さのせいで夜もぐっすり眠れないし体育なんてまさに地獄だ。 僕だって別に好き好んで草むしりをしている訳じゃないのに…。 ただ、これが美化委員の仕事だから、任された事だからやっているだけなんだ。それはみんなも同じ事なのに、なんで僕だけが毎日汗まみれ泥まみれで、痛みに眠れない夜を過ごさなくちゃいけないの……? ――ぼろっと涙がこぼれた。 「えっ!?ちょ、どした!?」 「う…っ、ごめっ、……っ…」 「ああっ、軍手で拭くな!目ん中土入るだろが!」 嵌めていた土塗れな軍手で涙を拭こうとしたら、その腕を強く直海くんに掴まれて止められた。 「ごめ、なさっ、…っふ、うぇっ」 自分でもなんでこんなに涙が出るのかわからなくてパニック状態だ。兎に角こんな情けない姿をこれ以上直海くんに見られたくないとぎゅっと目を瞑って、早く止まれと必死に念じる。 「えぇーっと……あ。あった!」 ほれ、の声の後にべちっと何かを僕の目元にあてた直海くん。柔らかいそれになんだろうと目を開くが、それが目を覆っているせいで何かはわからない。……ただ、すごく優しい香りがする。 「落ち着くまでこうしててやっから」 優しい声音で言われ、余計に涙があふれて止まらなかった。

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