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第2話
それから一頻り泣いた僕は、すっきりとした気持ちでいっぱいになった。
――なんて事はなく。
「ごっ、ごめんなさい!」
僕はただひたすら直海くんに謝り倒していた。
「だーから、もういいって!別に謝られることなんかされてねえし。突然すぎてビビったけど」
「……ごめんなさい」
軍手を外した手で顔を覆い、申し訳なさと情けなさと羞恥と後悔と、色んな感情が渦巻いて小さく呻く。
ああ、僕の印象最悪だ…っ!すぐ家に帰ってまた泣きたい……。
直海くんは生徒会の仕事で忙しいのにこんな事で時間取らせちゃったし、ましてや知り合いでも何でもない男の泣きべそに付き合わせるとか…。迷惑以外の何ものでもない。
でもそう思う反面、こうして話せていることが……すごく、嬉しかったりもする。
直海くんは――僕の憧れの人。
生徒会書記に選ばれて壇上で挨拶した直海くんを見た時、
堂々と話しているその姿に。
真剣なその眼差しに。
優しく何でも許してくれそうなその笑顔に。
僕の意識は全部直海くんに持っていかれて、素直にこんな人になりたいと憧れたのだ。それから直海くんが視界に入れば目で追ったし、周りが話してる直海くんの話には聞き耳を立てて情報を得たりと、彼の事だったら些細な事でも何でも知りたかった。ひとつ知るたびに直海永助(えいすけ)という人物が僕の中で膨らみ、新たな一面を知る度に憧れが募っていく。
そんな人を、僕は今――独占している。
叫び出したい程の喜びが全身を駆け巡って、それを抑えるように強く手を握りしめる。その手には直海くんが僕の目に当ててくれていたハンカチがあって、慌てて力を抜いてしわを伸ばす。
「ハ、ハンカチっ、ありがとうございました!洗って返します!」
「え?……あー、いいよいいよ。洗濯機にぶち込むだけだし」
「で、でもっ!迷惑、掛けたし……」
「迷惑なんて掛けられてねーって。俺の方がプリントばらまいてお前に迷惑掛けたし」
「それはっ、全然迷惑なんかじゃないです!」
「……て、お前も思うんだろ?俺もそれと同じ気持ちなわけ。だから、もう気にすんなよ?」
そう言って目を細めて笑った直海くん。その笑顔が僕だけに向けられてる事が信じられなくて、ふわふわな夢見心地のままコクリと頷いてしまった。
「よし!……ん?……げ、会長からだ」
何か連絡が来たらしい携帯をポケットから出して画面を確認した直海くんは、そう呟いて嫌そうに顔を歪めた。もう行かねえと、と立ち上がった直海くんに、この時間が終わってしまう事を察して焦燥感に駆られる。
ど、どうしよう、もう終わっちゃう…っ。
もう少し直海くんと話したい。
もう少し直海くんのそばに居たい。
何か言わなきゃと口は動くのに何も言葉が出てこない。
何かっ、なにか……っ!
「あ、そのハンカチやるよ」
「……へ?」
焦って頭真っ白になってる僕の耳に届いた思いがけない言葉に、掠れた間抜けな声が出た。
「それと同じの家にあと4枚もあんだよ。入学祝いにばあちゃんから貰ったんだけど、そんなあっても使わねえし。ただ、英語の”A”って刺繍入ってっけど」
「A…?」
「永助のA。完全にばあちゃんがイニシャル勘違いして買ってきたみたいで。まあ、それに……」
ぽかんと口を開けて直海くんを見上げている僕を見て、直海くんは目元にしわを寄せて楽しそうに笑うと、僕の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「お前、泣き虫っぽいし?すぐ拭けるようにそれ持ってろ」
「えっ!?なっ、泣き虫なんかじゃっ」
「ぶはっ、冗談だよ。全然捨てていいから。程々にして帰れよー」
じゃあな、と携帯を耳に当てながら去って行ってしまった直海くんの背中を、見えなくなるまで茫然と見つめ続けた。
夢見心地から抜け出せないまま、恐る恐る撫でられた頭に震える手で触れる。直海くんがやったみたいにぐしゃぐしゃと撫でてみるけど、手の大きさや温かさ、力加減も全然違ってなんだか虚しくなった。しかも別段手触りのいい訳では無い、むしろ固めでよく鳥の巣みたいと言われるこの髪を触られたのかと思うと、羞恥心に似た何とも言えない感情に顔が熱くなる。
触り心地悪いって絶対思われたっ!なんで僕の髪はこんなくせっ毛で手触りのいい髪じゃないの…っ。
……触り心地良かったら、もっと触ってくれたかな…?なんて考えて、そんな事を考えた自分が恥ずかしくて自己嫌悪に陥る。
触ってもらいたいだなんて今まで一度も考えたことも、ましてや思ったことすらなかったのにどうしちゃったんだろ…と、立てた膝に顔を埋めた。
――――――――――
その日は浮ついた気分のまま、それでもきっちり隣の木まで草むしりをしてから片付けを済ませて帰った。でもいつもより身体も心も軽くて、夜もぐっすり眠る事が出来た。朝もスッキリと目が覚めて、もしかしたら枕元に置いた直海くんのハンカチのお陰かもしれないと考えたら、嬉しいような恥ずかしいようなむず痒い気持ちになって朝から余計に汗をかいてしまった。
いつものように一日を過ごしたけれど、直海くんの名前を聞くだけで体がびくりと過剰に反応してしまい、話の内容なんかよりも昨日の出来事が思い出されて一人赤面するの繰り返し。やっぱり返そうと鞄に忍ばせたハンカチだけど、本音を言うと……返したくない。
これが唯一の直海くんと僕とを繋ぐもので、返してしまったら僕には思い出しか残らない。
直海くんは忙しいし、みんなに頼りにされてて毎日楽しい事がたくさんあるはずだ。僕との出来事なんてその楽しい思い出に潰されて、すぐ忘れちゃうに決まってる。
だから、直海くんと過ごしたあの時間、直海くんが話した言葉、直海くんが向けてくれた笑顔、直海くんの感触。それら全てを僕があの時独占出来たという、確固たる証明として手元に残しておきたい。
でも逆に、ハンカチを返すという名目で直海くんとまた話せる口実になるのも事実。独占した時のあの高揚感を味わってしまったから、また僕を見て欲しい、笑顔を向けて欲しいと図々しくも思ってしまう。だからといってあの直海くんと友達になんてなれるわけじゃないのに、もしかしたら…と期待してしまう自分がいる。
結局はどっちも自分の欲望でしかなく、そんな自分本位な感情に悩まされる日が来るなんて夢にも思わなかったと、重くため息をついた。
とりあえず……もう少し考えよ…。
そんな憂鬱な気持ちを抱えて今日も美化委員の草むしり活動に参加したのだけど、そこには何故か先輩ではなく、美化委員担当の先生がいた。
点呼をとった後は自身も草むしりに参加し、だらけてる生徒には喝を入れながら結局最後まで精力的に動いていた。僕は先生の気まぐれだろうといつもより疲れていない軽い足取りでその日は帰った。けれど次の日も、その次の日も先生は活動に参加していて、いつもさっさと帰っているみんなも先生が居るから帰ることが出来ず、気付けば裏門周辺の草むしりは終わっていた。
僕としてはすごく助かったけど先生が参加するくらいだから、よっぽど進行具合が遅かったんだろうなと迷惑を掛けてしまった事に少し心が痛んだ。
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