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第21話
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「そうそう、菓子を買ってきたんだ」
目も合わせてもらえない。ゲルニアが、置かれてあった紙袋の方へ手を伸ばす。その拍子に、元より強くなど掴めていなかった手は解けてしまった。もう一度縋る勇気はなく、リツは黙って俯いた。
その視界の中で紙袋がひっくり返される。リツとゲルニアの間に、色とりどりの菓子が散らばった。部屋中に甘ったるい香りが広がる。
(リシェ様と、出かけてきたときの?)
ゲルニアは珍しく饒舌だった。リツにとって見慣れないそれら一つ一つを指さし、「これは果物の味で」、「これは新しい商品で」、「これは飴らしくて」と興奮した様子で説明をしてくれる。リツはそれにただただ頷き続けた。ふと、声が止む。
「甘いものは苦手か? リシェはえらく喜んでいたが」
そう言って、ゲルニアは思い出したように笑った。
頭が真っ白になった。無意識の内に「あ」と喉から漏れる。
「あまり、食べたことがなくて」
自分でも驚く程、飛び出た声は弱々しく震えていた。
(泣いたら、驚かれる。ちゃんと、リシェ様、リシェ様みたいに反応しないと)
わかっていたことなのに、リシェと楽しい時間を過ごしてきたんだということがショックだった。
「じゃあ、食べてみるか。俺もあまり口にしたことがないんだ。ほら、」
ゲルニアが、焼き菓子の一つを手に取り包装を向いてくれた。リツはわずかに顔を上げ、危なげな手つきでそれを受け取った。心臓が痛いくらいに打っている。ゲルニアが何を期待しているのかはわかっていた。
(リシェ様みたいに、ちゃんと)
リツは、恐る恐るといった様子で、ゲルニアの方をもう一度窺い、そして、小さな口で菓子をかじった。二口、三口、続ける。けれど、そこで動きは止まってしまった。
味がよくわからなかった。
「口に合わないか?」
「ち、ちが、美味しい。美味しい、です」
慌ててそう取り繕うも、ダメだった。ゲルニアは黙って、なおも菓子をかじろうとするリツの手からそれ取り上げた。
「無理してまで食べるものじゃない」
間違えた。できなかった。サァと血の気が引いていく。ゲルニアは、眉間に皺を寄せたまま、首を傾げながら、リツの食べかけの菓子を包み直し、シーツの上の大量の菓子を紙袋の中に戻し始めた。
「ご、ごめんなさい、僕、ちゃんと、せっかく」
「気にしなくていい。俺が勝手にしたことだから。その代わり、夕飯はしっかり食べような」
段々と菓子が少なくなっていく。全部片付いたら、もう出ていってしまうだろう。つくづくゲルニアの期待に応えられない自分が不甲斐なく、消えてしまいたくなる。
ふと、ゲルニアの手が止まった。丸く平たい菓子を握っている。
長い沈黙の後、ゲルニアは言った。
「――一緒に風呂に入るか?」
***
(線引きが難しい)
ゲルニアは、じっとリツの白い項を見つめながら考える。
ナゴ族としては大きいらしいが、ゲルニアからして見れば、壊れてしまいそうな程、小さく細く頼りない身体をしている。
(向かい合ってはまずいと思ったが、背中を預けてもらうのもまずかったか)
触れあうことは嫌いではないらしい。買い物に出た時も、その後、不安定な状態になってしまった時も、手を繋いだり、キスの真似をしたり、抱きしめることですぐに落ち着いていた。むしろ好きなのだろう。
(しかし、まさか実現するとは)
断じて、下心があったわけではない。断じてだ。ただの冗談のつもりだった。お腹が空いていなかったのか、あまり好みの味ではなかったのか、菓子を食べれなかったことにあまりにもリツが落ち込んでいるようだから、そう、本当に軽い冗談のつもりだった。
そもそも、入浴自体嫌いなのに、一緒になど頷くはずがないじゃないか、そう思っていた。それなのに、リツは『はい』と返してきた。むしろ尾や耳の様子から察するに、喜んでいるようだった。
予想外の返事に呆然とするゲルニアに、何か勘違いをさせてしまったらしい。リツはまた表情を暗くした。
『あ、ゲルニア様が、お嫌で、なけれ、ば』
嫌なわけがない。ゲルニアは真顔で首を横に振り、すぐさま、ミエラを呼びつけ、風呂の準備をさせた。
長い髪を結い上げてもらい頭頂でまとめる。普段は隠れている鎖骨や細い肩、浮いた背骨が無防備に晒され、それだけで目眩がした。
(可愛い)
もう何度となくそう思っているが、やはり可愛い。
リツは、時折、後ろを振り向いては、笑みを浮かべる。それに、ゲルニアも努力して微笑み返せば、尾が胸板あたりでゆらゆら揺れ始める。くすぐったい。勘弁してくれ。
(我慢だ、我慢)
『触れてほしい』など言っても、それは、そういうことをしてほしいという意味ではない。勘違いするな、勘違いするな、勘違いするな。ゲルニアは自分にそう言い聞かせた。
「気に入ったか?」
そう尋ねれば、頬を上気させ、何度も頷いてくれた。菓子のときとは比べものにならないくらいの好感触だ。
両手でつくった杯の中に湯を掬い、顔を寄せるなどして香りを楽しんでいる。
(よかった、よかった)
ゲルニアは、両腕を湯船の外にかけ、必要以上にリツに触れないよう努めた。天井を仰ぐ。触りたい。首筋に吸いつきたい。強く抱き寄せて、キスをして、前に触れて。たくさん気持ちよくなってもらいたい。けれど、その全てを堪えた。
これ以上、怯えられたくないし、また途中で萎えられてしまっては、それなりにゲルニアも傷つく。
「ゲルニア様」
「……ああ」
「僕、もっと、ちゃんとできるように頑張ります」
危うく、むせこむところだった。心を読まれていたのかと思った。そんなに我慢や欲が顔に出ていたのだろうか、ゲルニアは誤魔化すように空咳を繰り返した。
リツを見下ろせば、湯の方へ視線を落とし、ぎゅうと両手を組んでいた。
「ちゃんと」
ゲルニアは苦笑いし、リツの手の上に自分の掌を乗せた。「ゆっくりでいい」、そうリツと、特に自分自身に強く言い聞かせた。
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