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第20話

 ** 20 **  リツはずっと寝台の上にいた。  ゲルニアとリシェが仲睦まじい様子で出て行った姿が頭から離れず、ともすれば、泣いてしまいそうになる。そうすると、今度は、ゲルニアの不機嫌そうな、眉間に濃く皺を寄せた顔が思い浮かび、涙が引っ込む。けれど、今、彼はここにはおらず、立派なナゴ族であるリシェと出かけているんだと思うと、更に悲しくなる。  それを繰り返しながら、時間を過ごした。  どれくらい経ったかわからない。階下で扉の開く音に、リツは勢いよく上半身を起こした。空は既に赤かった。 (帰ってきたんだ)  嬉しい、よかった。長い尾がパタパタと揺れシーツを打つ。階段を登ってくる音がする。それとともに、話し声が聞こえてきた。リシェとゲルニアのものだ。 「お菓子ばっかり食べるなよ。もうそろそろ、夕食だぞ」 「わかってますよ。子ども扱いはやめて下さい」  足音とともに、紙袋の擦れ合う音がする。何かを大量に抱えているらしく、リシェの足音は不規則でゆっくりとしたものだった。  次いで、ドアの開く音がした。 「今日は、その、あ、ありがとうございました」  リシェにしては小さくか細いものだった。  それに、ゲルニアは「は?」と聞き返したようだが、返事はなく、ドアは勢いよく閉められた。  低く笑う声がリツの元に届く。 (楽しそう)  リツは、ゲルニアが声を上げて笑う姿など見たことがない。いつも、困らせているような気さえする。  リツの尾の動きがぱたりと止む。シーツをぎゅうと掴んだ。もう中に入ってくるかもしれないのに泣いてしまいそうだった。  足音が近づいてくる。扉の前で、大きく息が吐かれた。 (あ)  ドアの前のゲルニアはきっとしかめ面をしているに違いない。せっかく楽しそうにしていたのにと、自分が情けなくなった。   (面倒くさい、って、思われてる)  リツは再び、寝台に身体を預けた。目を閉じる。   (話をしたい。一緒に、いてほしい。傍にいたい。僕の前でも、笑ってほしい)  けれど、勇気が出ない。リシェのように、自分は振る舞えない。それなのに、そんなことを言えない。願えない。  結局は、また寝たふりをしてしまう。後から、後悔するのはわかっているのに、それ以外にどうすればいいのかわからない。   「リツ」  ドアが開いた。リツは、目を必死に閉じた。 (寝てた。言われた通りにちゃんと寝てた。だから)  せめて、これ以上、面倒だと思われたくない。  動かないように努めながら、段々と、これが最良の選択だったんだと思えてきた。ちゃんと『良い子』にしていれば、ゲルニアは休みの残った時間もリシェと過ごせる。それが一番いいんだ。 「寝てるのか」  小さな独り言とともに聞こえてきたのは、残念そうな、やはり溜息だった。途端にリツは焦り始める。  何か、用事があったのかもしれない。何より、話ができたのかもしれない。  けれど、寝たふりをしていたことを知られるわけにはいかない。  逡巡している間に、ゲルニアが中に入ってきた。寝台横のテーブルに何かを置いたようだ。甘い香りがする。背を向けているのでそれが何かまではリツにはわからない。  寝台が重みで少し傾く。端の方に座ったようだ。また溜息が聞こえてくる。それから、すぐに立ち上がった。 (行ってしまう)    目頭が熱くなる。せっかくの機会を逃してしまう。  閉められたばかりのドアがまた開く。リツはぎゅうと、更に強く目をつむった。心の中でだけ、強く「行かないで」と叫んだ。  届くわけもないのに。 「リツ」  ギシと、再び寝台が揺れた。  尾に振れられ、肩が跳ねる。思わず、目を見開いた。 「起きてるな?」  確信を持った言い方だった。混乱しているリツを余所に、ゲルニアは、尾を掴みなで続ける。その優しい手つきに、ぞくぞくと鳥肌が立った。変な声が上がってしまいそうだ。   「尾が震えていた。眠れなかったか? ずっと起きていたわけじゃないよな?」  リツは慌てて首を振った。 「ち、ちゃんと、寝てました。ちゃんと」  恐る恐る身体を捻りゲルニアの方を振り返る。怒ってはないようだった。何がおもしろいのか、しきりに尾を上下に擦ったり、先の毛を指先で撫でたりを繰り返している。 「っ、ゲ、ゲルニア様、しっぽ」 「ん?」 「ゲルニア様、ぁ」  まただ。発情期はまだのはずだ。それなのに、最近ずっと身体がおかしい。覚えのある熱さがじわじわと登ってくる。  怖い。 「ゲルニア様」 「やめてほしい?」  夢中で何度も頷くが、ゲルニアはやめてはくれなかった。それどころか、両の口角を上げ、衣服の中、尾の付け根にまで手が伸びてきた。 「ひ、っ」  支えていた腕の力が抜け、リツの頭は寝台に戻る。もうどうしたらやめてくれるのかわからず、身体を丸くし、ひたすら刺激に耐えた。  熱い、熱い、熱い。  怖い。   「――ごめん」  尾が解放された。 「もうしないから、泣くな」  大きな掌に頬を撫でられ、初めてそこが濡れていることに気がついた。また、困らせてしまっている。 (せっかく楽しく過ごして帰ってきたのに)  止めようと思っても涙が次から次へとあふれ出てくる。せめてと嗚咽を噛みしめた。喉が唸るように鳴る。きっとこれもうるさい。 (ちゃんとできない)  こんなことでは、もう呆れて出ていってしまうかもしれない。せっかく声をかけてくれたのに。   「リツ、」  両脇の下に掌を差し入れられ、肩が跳ね上がる。そのまま、身体を起こされた。すぐ目の前にゲルニアがいると思うと、顔があげられない。きっと酷い顔をしている。  「悪かった」と聞こえてきて、悪いのはこっちなのにと、申し訳なくなる。 「ご、ごめ、ごめんなさい……ひぅ、っく」  どうにか言えた一言にも、ゲルニアの反応は薄かった。「いや」と曖昧に首を振ったようだった。無様な泣き声だけが部屋に響き続ける。  ゲルニアの手が離れる。リツはようやく目線を上げた。しかし、ゲルニアはもうこちらを見ていなかった。   「もう触らないから、安心していい。眠る邪魔をしたな」  視界が暗くなる。またひとつ、諦められた。ゲルニアの腰が浮く。リツは咄嗟にそのシャツの裾を握っていた。   (違う、違う、ゲルニア様、触らないなんて言わないで)  もう頭を撫でてくれることも、手を繋いでくれることも、抱き上げてくれることも、全部、してくれないくなるのだろうか。   (我慢する、ちゃんと、我慢するから)  ゲルニアが訝しげな面持ちでリツの方を見ている。リツは固く閉じていた口をようやく開いた。  何を言うつもりなのか、自分でもよくわかっていなかった。 「い、行かないで、下さい」  しかし、一度穴が開いてしまえば、後は、ぼろぼろ言葉が落ちてきた。 「もう少し、だけ、一緒に、いて下さ、い。さ、触らないなんて、い、嫌。もっと、触ってほし」  途中で、ゲルニアの身体が降ってきた。抱きしめられ、口が胸元に埋もれる。苦しい。背中の方で、少し荒いゲルニアの息づかいが聞こえてきた。  また触ってくれたことにホッとした。まだ構ってもらえそうなことが嬉しく、リツは勇気を出して、恐る恐る、ゲルニアの背側のシャツの裾を両手で摘んだ。  尾が、知らぬ間に、また左右にシーツの上を揺れ始める。 「ご、ご主人様」  調子に乗ってそう呼べば、否定はされなかった。それがますます嬉しい。尾の動きは大きくなる。  ゲルニアの鼓動が聞こえてくる。それにそっと耳を傾けていると、いきなり、身体を引きはがされた。  

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