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scene.12 心に潜む影(男の娘編・最終章)

「ねえ、そこにいるのは……。」  遠くから聞こえてきたその声に、俺はゆっくりと顔を上げた。 そこに立っていたのは、以前1号店に行った時に会ったあの人の姿だった。 「…利苑さん……。」 「ああ、やっぱりそうだった。…亜咲君と言ったっけ。…この前は、僕の為にとても素敵なプレゼントをありがとう」 「…えっ、俺はそんなつもりじゃ…」 「ううん。僕にとっては嬉しいプレゼントだったよ」  そう答えてきた利苑さんは、サロンで会った時とは全く違う印象になっていた。 それが俺が施術した後の髪型のせいなのか、以前会った時にはかけていなかった眼鏡のせいなのかは分からなかったけれど…今、俺の目の前に立つ利苑さんの姿には、以前俺が見間違えたほどの『女性らしさ』というものを見つける事が出来なかった。  例えるなら、優しいイメージの綺麗な容姿の男性…というところだろうか?…あの時に結真さんが教えてくれた通り、その姿はいわゆる普通の『男性』そのものだった。 「…どうかした?…僕の顔に何かついてる?」 「……あ、ごめんなさい…。何か、前に会った時とイメージが違ってたので…。」 「…そうだね。…以前サロンで会った時と、今日の僕は少し違うかも知れない。……僕はね、ジェンダーレスなんだ」 「…ジェンダーレス?…それってどういう事なんですか?」 「…うん、この言葉だと君には少し難しいかな…ではこんな言葉はどうだろう。…君は【多重人格者】という言葉を聞いた事はある?」 「…え…あ…はい。それなら何とか…。」  とは答えてみたものの、俺は一瞬で自分が言った事を後悔した。 そんな他人の傷に平気で土足で踏み入るような事を、何故平然と聞いてしまったんだろう。  そう思って、俺の表情がみるみるうちに凍り付いていく事に気づいた利苑さんは、何もなかったようにとてもにこやかに微笑んで、優しく答えてくれた。 「僕はその当事者なんだ。今の『僕』と、この前君がサロンで会った『僕』は、中の人格そのものが全く違うんだ。…偶然に偶然が積み重なって、たまたま別れてしまったいくつかの人格のうちの一人が、この前君がサロンで会ったもう一人の『僕』なんだよ」 「……?」 「……これでも難しいかなぁ。…じゃあ、例えば今、君の前に一枚の鏡があったとしようか。…きっかけは何でもいいけど、君自身がとても気に入らない事があって、その鏡を思いきり割ったとする。……その割れた鏡に、自分の姿を映したらどういう風に見えると思う?」 「…割れた鏡の破片のそれぞれに自分の姿が映る…んですよね…?」 「…うん、そうだね。【多重人格者】というのは、その鏡の破片ごとに映った自分の姿がそれぞれに自我を持ってしまって、一人の人間として成立してしまう人の事なんだよ」 「…ああ…。それは大変ですよね…。」 「…確かに、他の人たちから見たら大変だなぁって思うかも知れないけど…実はそれぞれの人格の特性や性格を『元人格』の自分自身が知る事で、僕の中に居る交代人格同士がお互いに主張しあわずに共存していく事もできるんだ。……まあ、そこまで人格を統合させていく段階の方が、はるかに大変なんだけどね」 「じゃあ今の利苑さんは、人格同士の共存ができてるって事なんですね。…けど、俺はやっぱり大変だと思いますよ。…そういう人に言えない影のようなものを、ずっと背負って生きていかなくちゃいけない、なんて……」 「…もしかして、亜咲君にも何か思い当たる事がある…?」 「…え?」 「今の君の言葉の中にも、そんな影みたいなものがあるように聞こえたけど…?」 「…まあ、そう言われてしまえば…確かに否定は出来ませんけど…」 「へえ、そうなんだ。それはどうして?」 「この前会った時に話しましたよね、俺の相方の話。…それって実は俺の恋人の事なんですよ。それもかなり深い所までの関係になってて。…でもね、その恋人は『男』なんです。同性愛者って言うのかな、何かそんな事だったと思います」 「なるほどね。…それが君の持っているという、人には言えない『影』なんだ?…だけど、同性愛者である相手の事を、君自身は認めたくないってこと?」 「…いや、そういう訳ではなくて…。俺は自分の気持ちに対して嘘はつきたくないと思ってるんで。…でも家族には…。」 「家族…?」 「俺の実家って旧家なんですよ。それもかなり古い時代からの。…それこそ今は初代から数えて何代目の当主だとか、次の跡取りが…とか、そういう話が普通に家族同士の会話で出てくるくらいの家です。…そんな家に俺みたいな王道から外れたような跡取りが居るんじゃ、旧家の面目は丸つぶれですよね…。」 「…それはどうかな?…僕の実家も昔ながらの造り酒屋で、僕はその家の長男だけど…今はこうして自分の好きな仕事に就いてるしね。…『旧家だから』『長男だから』って理由だけで、実家を必ず継がなくちゃいけないって事はないと思うよ?」 「…でも俺、唯一の男系の跡取りなんですよ。だから周りは俺が家を継ぐべきだと思ってるし、そうじゃなくちゃ世間体が保てないって…」 「…そうかぁ…。君は家族をとても大切にしているんだね。でも、そんなの全然気にすることなんてないよ?…だけど君がどうしてもって言うのなら、自分の現状はきちんと家族の方に報告はした方がいいね。自分はこういう考え方の人間で、こういう存在の人がいるんです、って。…確かに、親の敷いたレールに素直に従うのも悪くはないけど、それで君が今後も辛い思いをしながら生きていかなくちゃならないのなら、それは本当の幸せとは言えないな。…君自身の人生は君にしか歩めないんだから、自分を信じて生きていかなくちゃ。…ね?」 「そうですよね…。心配してくださってありがとうございます」 「僕で良かったら、これからも相談には乗るよ?…これは僕の名刺。何か困った事や悩み事があったら、いつでも連絡してきていいからね」  そう言って利苑さんが渡してくれた名刺を、俺は確認してみる。 そこには利苑さんの勤務先の名前とと電話番号が書かれていた。その名前を見て俺は驚いた。 「ユニセックス専属モデル派遣業…?」 「ああ、それはね。僕が立ち上げたコンセプトの事で、僕のような男性にも女性にも見える容姿を持つジェンダーレスのモデルを、専属的にクライアントに派遣する仕事のことだよ。…まだ立ち上げたばかりで、登録者は少ないけどね。…何なら、亜咲君もやってみる?君のその容姿なら十分成り立つと思うけど」 「…お言葉はありがたいですけど、俺は今の仕事が全てなので…。」 「まあ、祖父の事もそうだけど…実は僕自身のそんな都合もあって、この前久しぶりに芝崎さんのサロンに顔を出しに行ったんだよね。…それにしても、あれから5年か。…時の流れはあっという間だよね。僕も芝崎さんにはすごく世話になったけど」 「…え?それって…」 「僕はね、元美容師なんだ。5年前まであのサロンで働いてたんだよ。ちょうど君があの店に来た頃と入れ替わるようにして僕は独立して、今の仕事を始めたんだ」 「あ、そうだったんですね。それであの時…」 「そういうこと。ようやく分かった感じかな?」 「……すみません、あまり覚えてなくて……。」 「いいんだよ、そんな事は。…それはそうとさっき言った事、少し考えてみてくれないかな?…返事はすぐにじゃなくていいから」 「…ユニセックスモデルか…俺はともかくとして、相方には少し話をしておこうかな」 「その人も君みたいな感じ?」 「いや、あいつの場合はガチですね。自分じゃ『男の娘』なんて言ってますけど…女装とか好きなんですよ。しかもその為の衣装を自分で製作するくらいには」 「コスプレとかじゃなくて?…へえ、それはとても面白そうな感じの人材かも」 「けっこう癖は強いですけど、人は良いですよ」 「うん、それは参考になる。素敵な情報をありがとう」 「こちらこそありがとうございました。…俺、そろそろ帰ります。あいつらが心配してるかもしれないんで…」 「分かった。気をつけて帰るんだよ」 「利苑さんも。今日はありがとうございました」  そう言って、俺は利苑さんに軽く会釈をしてから、来た道を戻り、そのまま店舗の方へ戻っ ていったのだった。   「…藤原亜咲…か。ちょっと興味のある人間だな。…オレの中にある雄の本能がビンビン刺激されてるぜ。…あれをオレの性テクでガン啼きさせたら、どんな顔をするんだろうな…あいつの恋人って奴がさ…。……ああ?……もちろん、悪さはしねぇよ。…ただ、あの亜咲って男の人形みてぇに綺麗な顔とその声が、オレにどれほどの悦楽を与えてくれるのか、楽しみなだけさ……。」  利苑さんのそんな不思議な言葉が聞こえたかどうかは分からなかったけど、俺はこの出会いの後からしばらくして、自分の存在すら疑いたくなるほどの体験をさせられる事になる。  だがその事で、俺や航太が本気で自分たちの関係を改めて考え直すいい機会にもなったと、 この時の俺はそう考えた。  ――俺と航太の間にある、誰にも引き裂かれない絆を本物にするために――。 『ヘヴンリー・ガーデン~男の娘編~』 ―fin―  ――『ヘヴンリー・ガーデン~硝子の蛹編~』に続く――    

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