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scene.11 時の過ぎ行くままに
――そして時は流れ、ある夏の日のこと。
俺たちの職場である「ヘアサロンSHIBASAKI」も、毎年恒例の夏休み期間に入った。
店舗オーナーのみわ子さんをはじめ、1号店の社長と結真さんもそれぞれの夏休みを楽しんでいる中、俺だけが月末に行われる理美容師認定試験を控え、実家に戻ることすら出来ずに、ただ黙々と最終調整を続けていた。
店舗営業はしていないけれども、試験を控える俺の為にと、みわ子さんは昼間だけでも店舗にやってきては俺の様子を見に来てくれていた。
そしてその時には、こちらも夏休み期間中の航太が必ず一緒に来て、みわ子さんと一緒に俺の練習をずっと見守ってくれていた。
「へえ…亜咲っていつもこんな事してるんだな」
「航太は俺のこういう仕事を見るの、初めて?」
「いや、初めてって事はないけど…大体いつも忙しそうにしてるから、なるべく邪魔にならないように遠目から見てるくらいだったな」
「そうなんだ。…これで試験が通ったら、俺も本格的な仕事が出来るようになるんだよ」
「そしたらオレを亜咲専属のお客様第1号にしてくれるの…?」
「えー…それはどうだろう?…お前けっこう我儘そうだからなぁ。…ああじゃないこうじゃないって言いながら無茶ぶりしそうで怖い」
「…オレ、亜咲相手にそんな事言わないぞ」
「さあ、それはどうかしらね?」
「お袋…オレのことどんなひでぇ奴だと思ってんの?」
「んー、そうねぇ…。亜咲くんの都合も考えずに、猪突猛進に突っ込むイノシシ…とか?」
「…あのさ。…あんた、自分がとてもにこやかにダメージでかい毒吐いてる自覚ある?」
「…それも母親の愛でしょ」
「それは愛とは言わねーんだよ。…ただの質の悪いイジリだぞ」
「あら、良く分かってるじゃない」
「…このやろ…。後で覚えてろよ」
何だかこうして見てると、この二人はやっぱり親子なんだなと改めて思う。
社長と航太の関係なんかでもそれは見て分かるし、みわ子さんもみわ子さんで、時には母親らしく航太に対して厳しめな事も言ったりするけれど、それ以上に息子へ対する愛情の深さはとても強い。それは俺の実家ではあまり見られない光景だったりする。
俺の実家は旧家ということもあり、地元や近所との繋がりがあまりにも深すぎて、時々それ自体が大きなラブルの元になったりする事もある。
しかも代々受け継がれてきたという伝統のようなものが根深く残っているため、親でありながら権力者同士の小競り合いとかも日常茶飯事なのだ。
今は体よく抜け出せている俺だけど、これもいつか俺自身が通らなければいけない道の一つみたいなもので、それが現実になるのはいつの事か…。
「…そういえば社長と結真さん、二人で旅行に行ったって聞きましたけど…?」
「あー、それね。結真くんの実家に行ったんですって。ほら、あの二人幼馴染でしょ?だから法事のついでに、向こうの家族への挨拶も含めて一緒に行ったらしいわよ」
「ええ、あの二人ってただのいい歳したコヤジップルじゃなかったんですか!!??」
「あら、知らなかったの?…しかしコヤジップルとは…亜咲くんも意外と言葉を選ばないわね。…でも君のそういう所、私も好きよ?」
「…それはどうも。…あーでも挨拶って…結婚前の顔見せじゃないんだからさ…」
「…それが本当の目的なら、親父達はそれなりの覚悟を決めたって事だな」
「どういうこと?」
「…亜咲。お前、鈍感すぎ…。」
「…亜咲くん…今君たち二人はどういう関係になってるの…?」
「え?…それは……って、まさか!!??」
「そういう事だよ。…オレ達もそのうち挨拶に行こうぜ?亜咲んちに」
「ええええ!!??それはダメだ!…絶対に!!」
「いーじゃん、オレらも夫婦みたいなもんだし。…お前を嫁としてもらうからには、ちゃんとお前の両親には挨拶しておかないとな…?」
「…いや、ダメだ。そんなの無理っ!!…ってかそれ以前の問題だ!!」
「何で?…亜咲、オレの事嫌いなの?」
「…ええ…そういう訳じゃ…。…って、そんな言い方するなんてずるい…。こっちの都合も知らないくせに……っ!!!!」
「……おい、亜咲っ!!」
航太の制止も聞かず、俺は無意識に店舗を飛び出していた。
どうしてそうなったのかは自分でもあまり分かっていなかった。ただ、悔しかった。悲しかった。……そして、ただ辛かった。
――どうして俺だけがこんな思いをしなくちゃいけないんだろう…。
もちろん、航太を好きな気持ちに嘘はない。それは確かだ。
だが、そんな思いを心に抱えながらも…俺は自分の身に重く圧し掛かる、『旧家の跡取り』という逃げられない絶対的な現実とその看板に打ちのめされるしかなかった。
そうして当てどもなく歩き続け、気が付いた時にはもうすっかり日が暮れて、俺は一人誰もいない公園の中で青白く輝く月の明かりを見つめていた。
「………俺、どうしてあんな事言っちゃったんだろう……。」
航太の言葉に嘘はない。俺たちの関係はいずれきちんと報告をしなければいけないのだ。
相手はどうあれ、二人が今後、今の関係を保ったまま一緒に歩いて行く為には、絶対に必要な事なのだから。
だがその紛れもない事実を、旧家のしきたりに厳しいあの両親や現当主である祖母に対して、如何に説明して納得させるのか。…それを考えると、俺は頭がパンクしそうだった。
「……航太……。俺は、お前と別れたくない……。けど、どうしたらいいんだ……。」
考えれば考えるほど、頭の中には最悪の事態しか巡ってこない。
それこそ、航太が最も得意とする『男の娘』の格好のままで会いに行けば、もしかしたら航太の事を女性と見間違えた親たちがまかり間違って認めてくれるかも知れない。
だが、航太の180cmという高身長では、まずそれは無理というものだろう。…かと言って、全てを実家の妹に押し付けてしまうのは申し訳ない感じさえある。
これまでの数世代、女系の当主しか生まれてこなかった藤原の家に、やっと生まれた『俺』という男系の跡取りが出来たのだ。
それ故に昔ながらのしきたりで、男系の跡取りがその家を継ぐのが最も一般的で世間体が良いと考える現当主の祖母は、そんな俺をずっと大事に育ててきた。
幼い頃、虚弱体質であまり丈夫ではなかった俺に、免疫力が強いとされる女性の格好をわざとさせてみたり、なるべく悪いものは取らせないようにと生活に制限をかけたりするのは当たり前で、俺もそれは全て自分の為にやってくれている事なのだと、勝手に納得していた。
――だが、そんな箱入り息子の俺に転機が訪れたのは……『芝崎護』という一人のカリスマの存在、つまり今の社長との出会いだったのだ。
社長に出会った事で、俺はこの人のような存在になりたい、こんな仕事をしてみたいと強く憧れた俺は、その目的を果たす為に学生時代を親の望むままに過ごし、高校卒業を前にして、俺は自分が本当にやりたい事があるので一度実家から離れてみたいと告白した。
それまで親たちに対して従順だった俺が突然そんな事を言い出したので、最初は両親も戸惑っていたし、祖母に至ってはえらい剣幕で俺を説き伏せ、今すぐ結婚して実家を継げと言い出す始末だった。だがそれでも俺が考えを変えないので、祖母はついに俺を勘当するとまで宣言してきた。そうして藤原の家がごた付き始めたのだが、それでも俺がこの仕事を選ぶ事が出来たのは、他でもない社長からの説明があったからだ。
俺のサロンへの就職が仮内定した時、社長はわざわざ俺の実家まで足を運び、この仕事がどういったもので、どんな流れで仕事が成り立っていくのかなど、事細かに、そして分かりやすく説明をしてくれたので、それで納得した両親から(条件付きだが)やっと許可が下りて、俺は今こうしてこのサロンで仕事が出来ている。それなのに……。
「……ねえ、社長。……俺は……これからどうすればいいんですか……。」
それは無意識からの言葉だった。そしてその一言が出た途端、俺の目からはとめどなく涙が零れ落ちていった。様々な感情が入り乱れて、航太の事や自分の事、仕事の事など…全てがない交ぜになって、もう自分でも何が何だか分からなくなっていた。
「……ねえ、そこにいるのは……」
そんな声がふと聞こえてきて、俺がゆっくりと顔を上げると、そこには以前に会ったあの人の姿があった――。
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