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ふれて〈4〉

 それから貝瀬はふとした瞬間、ごく当たり前のように渉の手に触れてくるようになった。誘うような雰囲気など少しも垣間見せず、何かを確認するかのようにただ触りたいから触る、それだけだ。 「俺にとって手触りは最優先事項だ。装飾はあってもいいけど、見た目は二の次だな。手触りが最高なら醜悪さも厭わない」  裂けたリボンを手に取りながら無神経に言い放つ。暗に俺の見た目がどうであれ、手触りがいいから撫でているだけだと言いたいのか…自分に置き換えるなんて変に勘ぐり過ぎている。  渉は客観的に評価しても可もなく不可もなく普通の大学生だ。よく存在から見た目まで『薄い』と表現される。一重に近い奥二重の目に薄い唇、細い顎、一般的日本人といって全く差し支えない顔と細い体はどこにでも紛れてしまう。  普通の大学生は友達も作らずバイトもせず、男目あてに骨董屋に通ったりはしないか…。  初めて手に触れられた日から、貝瀬への好意より一線を超えた気持ちを自分に言い訳できなくなっていた。触れられるたび体の芯がささやかに熱を持つ。触れられた瞬間身体中の血液や細胞が喜んで貝瀬の指を目指して集まってくるように感じられるほど、心も体も常にその始まりを期待していた。  一度こうやって狙っている女の子の手を触るのだろうと軽口を叩いたことがある。『全く別の話』とばっさり切られた。 「もっと厳粛で厳密なもんなんだよ。それに肌は柔らかいのより引き締まった方が好みだ。抱くのは別だけどな」  貝瀬の心ない発言を、なんでもない顔で聞き流さなければいけないシチュエーションを呪う。軽々しいことを言うんじゃなかったと自分を呪う。  初め重たかった扉も今や全く躊躇なく開け入ってこられるようになり、勧められなくてもカウンター横の椅子に座る。貝瀬が淹れてくれたコーヒーを飲みながら話をする時間は欠かせないものとして渉の日常に組み込まれていた。 「貝瀬さん、この近所に住んでるんですか?」 「あぁ?ここに住んでる。そこの奥のソファーで寝てる。」  レジカウンターの後ろのアンティークリネンで仕切られたごく小さなスペースを、振り向きもせず適当に指差して答える。 「え?それっていいんですか?」 「さぁ?わからないけど、今の所誰にもなんとも言われてないからいいんじゃないか?」  日中こんな暗い店内で大半を過ごし、さらに夜も同じ場所で過ごしているとはどこか信じ難く、健全な精神が保てるような気がしない。 「これから昼飯一緒に外に食いに行きましょうよ」  話を聞いて急に、ここから外に連れ出したくなった。「店がなぁ」としばらく渋っていたが「そうそう客なんて来ません」と言うと笑って承諾してくれた。  明るい日差しの元で見る無精髭を生やした貝瀬は店にいる時よりさらによれて見えたが、やはり顔はキリッと整っている。服装もヨレヨレだが、実はヴィンテージの古着やオーガニックの高級リネン素材だったりするから侮れない。  近所の喫茶店でテーブルを挟み、俺はクラブハウスサンドイッチ、貝瀬はエビのトマトソーススパゲティと白ワインを頼んだ。『店が』とか言っていた人が昼間っから酒を飲む思考回路が理解できない。 「貝瀬さんって年、いくつですか?」 「三十二」  貝瀬は俺が十九歳なのは知っている。 「若く見えますね。二十代かと思ってました。いつから、どうして骨董屋やってるんです?」 「おまえ、今日はインタビュアーみたいだな?もう七年くらいかな。ものを見る目と才能があったからだよ」  ワイングラスを滑らかに口に運び、一口飲みくだしてから答える。これだけ足繁く通っても他の客と居合わせたのは数回しかない。どうやって商売が成り立っているのが謎だが、食っていけるということは才能があるのだろう。 「アンティークはものの価値がわかれば簡単だ。価値以上の値段で買わなければ絶対に損はしない。高級アンティークじゃなくて、うちにあるようなものなら俺は一目見ればわかる。流行りとかもあるから、売れにくいものはわざわざ買わないけどな」 「古いものが好き、とかじゃないんですね」 「もの自体に価値があるのは古いものくらいだよ。今作られてるものに価値があるものってどれほどあると思う?ブランドとかストーリーとかやたら背景を語りたがるだろ。みんな人任せで自分の基準を失ってるんだよ」 「ふぅん。その拠り所のない自信がどこから来るのか謎ですが、貝瀬さんが直感で生きているということはわかりました」 「おまえ、変な奴だな。そんなこと知ってどうすんの?大学生なら大学生らしく夏休みはバイトでもしろよ。なまっ白い顔して、この暑いのに全然焼けてない」 「貝瀬さんこそ、あんな薄暗いとこに篭ってオシャレ雑貨屋やってるのに、性格がイメージと全然一致しませんね。商売の計算とかできてるのか本当に謎です」 「ほっとけよ」  人の心に無遠慮に侵食してくる笑顔でそう言って、ワインを飲み干す。濡れた唇が色っぽいと思った。手だけでなくあの唇で触れられたら…、その妄想はますます渉を苦しめた。

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