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ふれて〈3〉

 二ヶ月経った頃、渉は貝瀬の店で黒いジレを手に取った。表はウールのベロア地、背はサテン地、シルクのベルベットに触り慣れてきていたので少し物足りないが、それでも手触りの良さから質の良さがわかる。多少値が張るけれど、つやりと光るベストをどうしても手にしたいと思った。  あちこち割れ物で埋まった店内では手を挙げることさえ危険だ。試着のためにレジの内側のスペースに招き入れられ、見慣れた店もいつもと目線が違うとまた違った雰囲気に見ることに気づいた。貝瀬がすぐそばにいることにも緊張して心拍数が少し上がった。  Tシャツの上にジレを羽織るとサイズは丁度よくぴったりと体に馴染み、やはり出会うべくして出会ったのだという思いを強める。  突然後ろから肩に手を置かれ、するりと背まで撫でられた。驚きを隠せずびくりと体を反らせ、思わず振り向く。 「あ、ごめん。コレ、すごい手触りいいだろ?つい触りたくなって。似合ってるよ」  それで貝瀬が手触りフェチだということを知った。多分何かにこだわりがある人間に共通して、好きなものを語り始めると人が変わる。コレクションしているという手触りの良いアンティークの品々を思う存分見せてくれた。 「シルクサテンは特別。ベルベットとはまた違って、濡れているように肌に吸い付くんだ」  あちこち裂けたボロボロの水色のリボンが手渡される。確かにするすると滑るようで、時間を忘れて撫でてしまいそうだ。 「シルクは傷み易くて、時間が経っただけで自然に朽ちてきて裂けてきてしまう。ただのボロに見えると思うけど、これだけの手触りが残っているだけで貴重なんだよ。触ってごらん。触れるたびにぞくぞくする」  質の良さはわかる。わかるが、子供のようなはしゃぎっぷりにずっと年上であろう貝瀬という男が渉には急に可愛く思えてきた。その後も箱に入ったシルクハットやガラスよりも透明度の高いクリスタルのボタン、たっぷりと厚いホーローのプレートなど、マイコレクションを次々と見せられ、強制的に触れさせた。確かにどれも今まで渉が知るものより手触りが格別に良かった。 「渉の手も触り心地良さそうだな。料理とかスポーツとか全くしないだろ」  そう言われて片手でもう一つの手の甲をさすってみるが、自分ではよくわからない。  貝瀬の手が伸ばされ、『え?』と思った次の瞬間、今までリボンやら帽子やらを撫でさすっていたのと同じように触れられていた。艶かしく指が曲線を辿り、直に触れた肌からそわりと背に刺激が伝わる。何かが解放されると同時に緊張を強いられる、妙な気持ちがした。  触れられた部分に異様に意識が集中してしまう。手に触れられているだけだと言うのに、背徳的な気持ちで満たされていく。 「やっぱり。すごいきめが細かくて気持ちいい」  柔らかな刺激を与え続ける手の動き以上に、ぞくぞくとこみ上げる快感に耐え切れず、さりげなく手を下ろし、逃れた。特別な意味などない。この人は触れることに執着があるのだ。 「あ、悪い。つい、触り心地の良さそうなものは触りたくなる」  悪びれない、もう聞き慣れてしまった貝瀬の声が解放された皮膚をひどく波立たせる。喉が渇き、息苦しい。 「あ、俺、銀行で現金引き出すの忘れてました。このジレ必ず購入するので、次に来る時まで置いておいてもらえますか」  自然とは言い切れない口調で告げ、渉は店を後にした。

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