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ふれて〈2〉
埃がこびりついたものや錆びたもの、古くなったものが混じり合う独特な匂いが鼻腔をくすぐる。とにかく訳の分からないごちゃごちゃをざっくり眺めるところから、ひとつひとつのものにゆっくりと目を移していく。綺麗なラベルの小さな箱や取っ手のついたスタンプ、銀色のフォークやスプーン、無表情の小さな人形まであって、自分にはどう扱っていいのかわからないものが大半を占めている。
自分の誕生日の数字、9と書かれた小さな楕円のプレートを見つけたので、それを買うことにする。深いブルーの色も気に入った。レジに持って行って支払いを済ませると素っ気ない白い紙袋に入れて手渡された。
袋に入れる前に男の手がするりとプレートの表面に触れたのが印象に残った。その手つきは優しく、名残を惜しみながらも小さなモノの旅立ちを喜んでいるようで、商品に愛着があるのかなと感じさせた。思い過ごしかも知れないが。
こちらには何の関心も見せず、男はすぐに机の上の作業へと戻ってしまう。
「それ、何ですか?」
すぐには立ち去り難く、男の手元にあるものをじっと見て尋ねる。
「え?何って、リボン」
しっかりした体つきや大きな手が強調する男っぽさと、リボンという乙女なアイテムが結びつかず一瞬混乱する。遅れて、薄いブルーの台紙に紺色のリボンを巻きつける作業をしていることを理解した。確かに店には薄汚れたレースやシートに縫い付けられたボタンなど手芸用品も並んでいた。
「古いシルクベルベットのリボンって特別な手触りだよ。向こうから誘うんだ。今はこんなもの、どこにもない。触ってみる?」
店主の魅惑的な言葉と艶やかに光るリボンに誘われそっと指先で撫でてみると、ぞわっとするほど柔らかく、ふわりとしていながら滑らかな触感が手に残る。確かに今まで知らなかった手触りに、いつまでも触っていたい気持ちになった。
渉の表情が変わったのを見て取った男は、今度はふふっと明らかに笑った。さっきまで全くイメージの繋がらなかったベルベットの手触りが如く、その笑顔はしっとりと闇に染み込むようだった。
部屋にちまちまとした用途をなさないものが増えていくのは時間の問題だった。プレートに始まり、台を押すと足を折るバンビのおもちゃ、ごく小さな燭台、真鍮のクリップ、ハットピン、塗り絵になったポストカード…。
変に思われないよう数日おきに店を訪ねるということまで気を遣い、その時々で目につく千円から二千円程度の小さなものを買う。三週間目に彼の名が貝瀬 謙太郎 だと知り、自分の名前は渉 だと教えた。
一ヶ月してコーヒーを淹れてもらい、カウンター前の椅子に座って話をするようになった。貝瀬から聞くアンティークの話や外国に買い付けに行った時のエピソードは面白く、またつい生活に必要のないものばかり買って帰ってしまう。
初めの頃は全く統一感のない雑貨たちだと思っていたが、貝瀬が自身の足で歩き回りその目で選び集めたものだと知ると、なんとなく彼の趣向が透けて見え、心地よくそこに収まっているように見えてくるから不思議だ。手元に置いておきたい面白い本のようにこの店を気に入っている。わくわくしてページを繰り、何度目でも読むたび新しい発見がある。
それでも雑貨を見るよりも貝瀬に会いたい、なぜか強くそう思う。今まで同性を恋愛対象として見たことはないし、魅力的な男だと単純に思うにしても、これほどまでに思い、通い詰める理由が自分にも解らない。
それでも気づけば、吸い寄せられるように重たい扉を開けている。
あの日貝瀬が手にしていたベルベットリボンを一メートルだけ買って、ベッドのヘッドボードの突き出た部分にゆるりと結んだ。眠る前にするするとリボンに触れ、埃っぽい空気で占められた暗い店内で灯りに照らされる貝瀬を思い出す。リボンを巻く無骨な手を、どこか皮肉な笑みが浮かぶ口元を思い出す。
どうかしている。そう思っていっその事リボンを捨ててしまおうかと思うのだけれど、それはいつまでもそこにある。貝瀬によると百年以上も前にヨーロッパで作られたものらしい。
こうして撫でさすっていると、愛着が湧くと同時に綺麗なものを乱したいという欲望が生まれる。そっとそこに楚々と佇むものを暴きたい、その願望はいつも飄々としている貝瀬に向けられているものと同じような気がする。誰にも見せない表情を見てみたい、そのモチベーションの説明は自分にさえもつけ難かった。しゅるりとリボンを端まで引き、そのまま手放す。
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