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第56話
「……佐助、お前はそのようなことまで……。だが、もう遅いのだ」
佐助の思考を読んだ嵬仁丸が優しい声で言った。
「もう遅い?」
「私はずっと、母に妻への穏やかな愛情以上のいき過ぎた執着を持っていた父を理解できずにいた。そのせいで狂気に囚われ鬼にまでなってしまった父のことを憐れんでもいた。
だから私はそのように執着するものを持つことを恐れ、避けてきた。だが今は父の気持ちが分かる気がする。
愛おしすぎて苦しいのだ。もう自分では制することができぬのだ。狼の血のせいなのか父親譲りなのか分らぬが、お前に対する気持ちが今の私を支配するほどに私はお前に囚われている。
だから、たとえお前と番になれずとも、もう同じなのだ。今のままでも、この先いつかお前を亡くした時に受ける哀しみもその後の孤独もきっと耐え難いものになる。私はそれほどまでにもうお前を深く愛してしまったから。
だがその孤独も、お前との幸せな記憶と共にあればまだ救いがある」
嵬仁丸は佐助の頬を愛おし気に撫でた。
「佐助、どうかお前の残りの時間 を、私にくれ。私と共に生きてくれ」
ああ……これ以上の求愛の言葉があるだろうか。
おらが知恵も無い頭で小賢 しいこと考えたって仕様のないことじゃった。嵬仁丸様の強い想いの前にはもはや意味がなかった。
なにより、おらは端 からこの腕を伸ばして嵬仁丸様に縋りつきたいと、奥底では思っとるではないか。
ああ、これが頭で考えとることと心で思うとることの食い違いか……。もう嵬仁丸様の前では、心のままに振舞って生きてもよいんかな。
「嵬仁丸様……おら、さっき嘘をついたかもしれん」
「嘘?どのような?」
「嵬仁丸様に女子 と番うたらええと言ったん。本当は嫌じゃ。嵬仁丸様が他の誰かと番になって添い遂げたら、おらは悲しゅうてどうにかなってしまうかもしれん。
番……おらは一生番う相手はおらんと思うとったんよ。ほんとに嵬仁丸様と番になれるん?
おらだって、嵬仁丸様が欲しい。欲しいんは嵬仁丸様だけじゃ」
目の前の美しい顔がぱっと明るく綻んだ。だがすぐにそれは切なげにものに変わる。
なんでそんな泣きそうな顔するん?
「おかしなものだな……嬉しくても胸が苦しくなるとは知らなかった」
思わず佐助は手を伸ばして嵬仁丸の頬に触れた。それを嵬仁丸の手がぎゅっと握りこむ。
「佐助、もう離さぬ。お前は私のものだ。私の番だ」
佐助が頷くと同時にその唇は嵬仁丸の唇に塞がれた。
今までの戯れのような触れるだけの口吸いではない。狼の舌で舐められたときとも違う。
唇をこじ開けるように入ってきた熱い舌にびくりと体を強張らせた佐助を宥めるように、嵬仁丸の指が真っ赤に染まった耳を愛撫する。
こちらを誘い出すような熱い舌の動きにに導かれて自分の舌を絡めれば、より大胆になったそれは生き物のように口内を暴れ、奥深くに侵入してくる。
ああ……喰われてしまうようじゃ……蕩 けだした頭でそんな風に感じながら、佐助は嵬仁丸の背に手をまわして縋りついた。
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