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第1話
「ねえヒロ……俺ね、ここ二週間くらいヒロの記憶が無かったんだ」
一緒にマンションの部屋に帰ってきて、結局買い物はしなかったから買い置きの冷凍パスタを温めて食べた。
唇に付いたソースを舐めとりながら、俺は向かいに座っているヒロに告白した。
「……え?」
「ヒロの記憶っていうか、自分が誰なのかすらも忘れてた」
「ちょっと待て。それって……」
「信じられないかもしれないけど、本当だよ」
記憶喪失ってやつ。笑っている俺と、信じられないという顔で目を見開いているヒロ。対照的すぎてなんだか面白い。
「いや……信じる!もちろん信じるよ。たしかに最近のアユムはなんだか様子がおかしくて別人みたいだった。演技なのかと思ってたけど……でも、なんでそんなことが?っていうかそれは病院に行かなくても大丈夫なのか!?脳に異常があったとかじゃ!?」
「大丈夫、ただの催眠術だから」
「催眠術?」
俺は記憶を失くす前後のことを語った。ヒロは俺のことを信じると言ってくれているけど、終始信じられないという顔で俺の話を聞いていた。まあ、当然だと思う。
いつの間にかフォークを握ったヒロの手が止まっていたので、俺は「食べなよ」と促した。
「その占い師さんは催眠術はただの趣味だって言ってたけど、スゴイよね。本当に掛かっちゃうんだもん。それとも俺の頭が単純なだけかな?」
「うーん……俺にはそうは思えないけど……。あ、アユムが単純だとは思えないってことだからな!俺の方が年上なのに、お前よりずっと単純だと思うし……」
「それは言えてるかも」
「コラ」
クスクスと笑いながら、俺はパスタを口に運ぶ。パッケージには『大盛り』と書いてあるけど、とてもそうは思えない量のパスタはあっという間になくなった。
「……記憶が無くなるって、どんな感じだった?」
俺と同じく、いつの間にかパスタを全て平らげたヒロが訊いてきた。俺はコップに入った麦茶を飲み干して、答えた。
「……別人になったみたいだった」
「ん?」
「ずっと、俺じゃない誰かに成り代わった感覚だった」
なんだか食べたりなくて、俺は空になった二人分の容器を捨てるついでに、台所で冷蔵庫の中をごそごそと漁った。でも、特に腹を満たせそうなものは入ってなかった。しょうがないので手ぶらでダイニングテーブルに戻ると、ヒロが質問を再開した。
「えっと……でも、その誰かっていうのも誰だか分からないんだよな?」
「うん。俺は俺の姿をしているけど、自分がアユムじゃないって思ってたし。でもその『俺』っていう人格の記憶も思い出せないんだ」
「つまり……二重人格で、どっちも記憶喪失になったみたいな感じか?」
「そんな感じかなあ」
今度はヒロが立ちあがった。食器棚からマグカップを二つ取り出しているので、どうやら食後のコーヒーを淹れてくれるらしい。
「不思議なこともあるもんだな」
「うん。……でも俺ね、その『アユムじゃない自分』がけっこう好きだったよ」
「え?」
ヒロがコーヒーを淹れる手を止めて、俺の方を見た。
「思ったんだけど……俺に成り代わっていたもう一人の自分ってね、俺に出逢う前のヒロだったんじゃないかなあって」
「俺!?」
ヒロはずっと湯沸かし器を持ったままだ。俺が指でくいくいと示したら気付いたようで、お湯を二つのカップに注いだ。香ばしいコーヒーの香りがリビングにふわりと漂う。
「うん。勿論俺が想像していた『かつてのヒロ』だけど。だって自分のことゲイじゃないってずっと頑なに思ってたし、初めて俺の姿を洗面所で見たとき、俺のこと『金髪の若造』って言ったんだよ?若造だよ?それって自分が年上じゃないと出ない言葉だよね」
「ま、まあ……そうだな……」
どうやらヒロは自分が生意気な部下の愚痴を吐くときに、相手のことを『生意気な若造』と言う癖に気付いたらしい。
「それにヒロは、俺に会うまではノンケだったしね」
「………」
「俺ね、記憶が戻らなくても何故かあんまり焦らなかったんだ。それって無意識に安心しちゃってたんじゃないかなあ」
「アユム……」
「自分のことは綺麗サッパリ忘れちゃうくせに、想像したヒロの人格になっちゃうなんて、呆れるくらいヒロのことが好きなんだね、俺。健気じゃない?」
重い感じに聞こえたら嫌だから、茶化すように言った。
――ヒロを愛しすぎて、ヒロに依存しすぎて、このままだと二人ともダメになっちゃいそうだったから、せめてヒロだけでも元の日常に戻してあげたくて……。
俯いていたら、自分に影がかかっていることに気が付いた。顔を上げるとヒロが俺の横に立っていて、頭を抱え込むように抱きしめられた。
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