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第8話

「アユム……」 突然ヒロが、俺をぎゅっと抱きしめた。 「ヒロ?」 「アユム、もう絶対に俺に黙って消えようとしないでくれ。俺のためだって言ってたけど、俺はもうお前無しじゃ生きていけないんだ、本当に……」 絞り出すような悲痛な声に、記憶を失くした直後の俺を見つけて、繁華街のど真ん中なのに周りは一切気にせず俺の足に縋り付いてきたヒロの姿を思い出した。 あの時のヒロは、毎日会社で立派な役職に付いているサラリーマンには到底見えなかった。 本当にヒロは……俺がいないと…… 俺はヒロの背中に手を回して、小さく抱きしめ返した。 「アユム?」 「……正直に話すね。俺はヒロのために離れたって言ったけど、勿論、それも本音だけど……本当は、俺がいつかヒロに捨てられるんじゃないかって心配で怖くて、逃げたんだ」 「俺がアユムを捨てる?逆はあってもそんなことあるわけがないだろ!」 ヒロは俺をひっぺがし、両肩をぐっと掴んで力説した。その勢いについ笑ってしまったけど、すぐに苦笑に変わった。 「そんなの分かんないよ、俺はヒロじゃないんだから」 「まあ、そうだけど……でも俺は何の取り柄もないただのオッサンだし、アユムみたいな若くて綺麗な子が一緒に居てくれるのがもう奇跡に近いっていうか」 「ヒロは自分を卑下しすぎ、会社では地味にモテてる癖に。それに、なんでも人並み以上にできる人を取り柄がないなんて言わないから」 「器用貧乏とはよく言われるけど……長所って受け取ってもいいのかな」 「当たり前じゃん。俺なんかただ若いだけの、孤児上がりの元男娼だよ。俺みたいな奴がさ、ヒロのようにちゃんとした人間に好かれていることを奇跡って言うんだよ」 自分のことは卑下しすぎだなんて思わない。だってすべて事実だから。 「……孤児だったのはアユムのせいじゃないだろ。身体を売ってたのだって、他に生きる手段がなかったからだ。堅気の仕事は断られ続けたんだろ?」 「未成年のホームレスなんか誰も雇いたくないだろうからね。でも……」 そんなのただの言い訳じゃんって言おうとしたけど、再び抱きしめられたことで俺の言葉は空中で途切れた。 「もう言わなくていい。いや……言わせてすまなかった」 「なんでヒロが謝るのさ?」 「アユムも俺と同じように不安だったのに、全然気付いてやれてなかったから……かな」 その言葉を聞いた途端、まるで溺れたように胸が苦しくなって、涙が溢れた。 なんだこれ。泣きたくなんかないのに。 「俺はアユムを愛してるよ。辛い過去も引っ括めて、若くなくなってもアユムのことを愛し続ける自信があるよ」 「っ、ヒロ……」 「愛してるよアユム、大好きだ」 「おれも……、俺もヒロのこと、あいしてる……っ、だいすき」 そう言ったらヒロが驚いた顔で俺を見た。恥ずかしいから、泣き顔はあんまり見られたくないんだけど……。 ヒロは驚いたと思ったら、今度は泣きそうな顔をして、笑った。 ――そういえば、俺からヒロに『愛してる』って言ったのは初めてかもしれない。 ヒロのことは大好きだけど、『愛してる』って言葉の響きはなんだか大人っぽいというか、俺には恥ずかしさの方が勝ってて今まで言えなかったんだ。 でも今は、自然に口から零れ出た。 ヒロは俺を見つめて微笑んでいる。俺に『愛してる』って言われたのがそんなに嬉しいの? そんな、『もっと言ってほしい』って甘えるような顔をして……何度でも言ってあげる。 「ヒロ、愛してるよ」 俺にはヒロを幸せにしてあげる手段が何もないと思っていたけど、こんなにも簡単なことだったんだね。 《終》

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