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milk or bitter?

ぐしゃり。 その音が耳に届いた瞬間、青年の顔から一気に血の気が引き、喉がカラカラに乾いた。 真っ青な顔で、一条(いちじょう)家の初代当主が大好きだったという大理石の床を見下ろす。 いつもはその上品な佇まいで行き交う人の心を癒す薄いグレーの石が、今は、ひしゃげた箱から飛び出た生クリームとスポンジ生地にまみれている。 ピカピカに磨き上げられた革靴の下で無残な姿を晒しているケーキの持ち主は、凄惨な殺戮現場でも目撃したかのように顔面を蒼白にし、ごくりと喉を鳴らした。 「セ、バスチャン?」 「おかえりなさいませ、景実(かげさね)ぼっちゃま」 「た、ただいま」 全身を小刻みに震えさせている青年――一条(いちじょう)景実(かげさね)は、漆黒の髪に似合わない透き通ったエメラルドグリーンの瞳でまっすぐ自分を見据える壮年の男を見た。 でもすぐに作り物のように貼り付いていた笑顔から目を逸らし、白と黄色が奇妙に混じり合ったケーキの残骸を見る。 景実のこめかみを、冷たい汗がひと筋伝った。 物心ついた頃からこの執事に育てられてきたと言っても過言でもない景実だ。 普段は温厚の定義そのままに生きているこの執事が、自分をぼっちゃまと呼ぶとき。 一条家では『それを見たら石になってしまう』という都市伝説もあるくらいレアな満面の笑みを浮かべたとき。 それは、ろくでもないことが起こる前触れだと身をもって知っていた。 しかも、今回はそれがダブルできている。 この際、食べられなくなったケーキなんてどうでもいい。 とにかく、この状況から逃げ出す方法を編み出さなければ。 「どうしたんですか、景実ぼっちゃま。入らないんですか?」 「え、ええと、まだ課題残ってるし、やっぱり大学の図書館に戻ろうかなって思っ……」 「ってませんよね?そんなことは微塵も」 「うっ!は、はい。思ってません」 扉を押さえるセバスチャンの横をおそるおそるすり抜けながら、景実は僅かに唇を尖らせた。 自分の家に入るのに、なぜこんなにビクビクしなきゃいけならないんだ。 そのペンキで上書きしたような不気味な笑顔をなんとかしてほしい。 まさかそんなことを直接言えるはずもなく、景実はただ自室への道のりを急ぐ。 その半歩後ろを、主を守る忍者のようにひたひたとセバスチャンが追いかけていた。 自室の扉を開けようとすると、すぐに横からセバスチャンの腕が伸びてきた。 過ごし慣れた空間に足を踏み入れてホッとした景実の耳が、カチャリと無機質な音を拾う。 振り返ると、一緒に部屋の中に入ってきたセバスチャンが後ろ手で扉の鍵をかけていた。 珍しいな。 景実の暢気な思考は、ふと身体が浮いて、何度か上下に揺れ、でもすぐに乱暴に落とされたのを感じた時には吹っ飛んでいだ。 「セバスチャン!いきなりな……」 「しましたね?」 「……は?」 柔らかいベッドに埋もれる景実を見下ろして、セバスチャンがひくつく口角を上げる。 「不純異性行為、しましたね?」 その時景実の耳に届いたサー…という音は、きっと血の気が引いていく音だ。 「セ、セバスチャン?」 「なんですか、景実ぼっちゃま」 「そ、その、な、なにを根拠に……?」 「見てしまったんですよ。景実ぼっちゃまがどこの馬の骨かわからない女と腕を組んでそれはそれは楽しそうに歩いていらっしゃるのを、今日偶然にも大学近くで」 絶対偶然じゃないだろ! 咄嗟に叫びたくなるのを、景実は必死に飲み込む。 「そ、それは!黙ってたけど、別れてからも元カレがしつこいから協力してって頼まれて彼氏のフリをさせられてただけで……」 「なぜ黙っていたんですか?」 「だ、だって言ったらセバスチャン、絶対止めると思って……」 「当たり前でしょう。フリとは言え、自分の恋人がほかの女とデートするなんて耐えられません」 「こ、恋人……!」 景実の胸の奥が、きゅんっと音を立てた。 この執事と身体を繋げる関係になってもう数年になるけれど、そんな風に声に出して言われたのは初めてだった。 それに、景実が男女の痴話喧嘩に巻き込まれたのは、なにも今回が初めてではない。 景実自身の人の良さもあるだろうが、一条家の御曹司が相手なら誰も文句は言えないだろう、と主にその家柄を目当てにした女友達から面倒な男を追い払ってくれと頼まれたのは、一度や二度ではなかった。 上手くいくとお礼と称してス大好きなスイーツを買ってもらえるのもあり、景実はいつも喜んで引き受けていた。 毎回ではなかったが、セバスチャンに「今日こんなことがあってね」となんとなく報告したこともある。 でもいつも「そうですか」と軽く流されて終わりだった。 それなのに、今回はこんなにも嫉妬してくれている。 その事実に一瞬ふにゃりと絆されそうになった景実だったが、セバスチャンの額にまだ青筋が残っている見えて、慌てて表情を引き締めた。 「だ、だからそれは、本当の本当にフリだから!なにもないから!」 「本当ですか?」 「う、うん!」 「そうですか」 セバスチャンは納得したように頷くと、のしかかっていた大きな身体を起こした。 景実は、思わず安堵のため息を吐いた。 だが、景実は知らなかった。 世の中、そんなに甘くないということを。 「景実ぼっちゃま」 呼ばれた名前に勢いよく顔を上げると、そこにはさっきと寸分違わないう胡散くさい笑顔を浮かべたセバスチャンがいた。 それどころか、さっきよりさらに嫌な感じが増しているのは気のせいだろうか。 「あ、あの、セバスチャン?」 「景実ぼっちゃま」 「は、はい?」 「ミルクとビター、どっちにしますか?」 「へ……?」 言葉の意味がわからず景実が瞬きすると、セバスチャンが両の手のひらを上に向けてみせる。 そこには、茶色いチューブがひとつずつ乗っていた。 その昔、自他共に認める『極甘党』のセバスチャンがちゅーちゅー吸っているのを見てしまい、景実が「うえぇぇっ」と声を上げたこともある代物だ。 「どっちにしますか?」 「え?じゃ、じゃあ、ミルク?」 「わかりました。ビターですね」 「は!?」 「私が食べるんですからビターに決まってるでしょう」 「えっ、セバスチャンが食べるの?」 「はい。ぶっかけるのは景実ぼっちゃまのですけどね」 あれ、おかしい。 耳がおかしくなったんだろうか。 今、『ぶっかける』とか言わなかっただろうか。 『景実ぼっちゃまの』とか言わなかっただろうか。 「『ぼっちゃまの』ってなんだ。『の』って!うわぁ!?ちょ、セ、セバスチャン!」 「なんですか。さっきからうるさいですよ」 「うるさいじゃない!なんで脱がしてんの!」 いつのまにか景実はベッドの上に組み敷かれ、その上にまたがったセバスチャンに、驚くほどの手際の良さで下半分の服をひん剥かれていた。 「セバスチャンってば!」 とりあえずその手を止めようと掴んでみたら、すごく嫌そうな目つきで景実を睨んできた。 「ヤるからに決まってるじゃないですか」 ここで『ヤるってなにヤるの?ねえ、なーに?』なんてわざと恥じらうほど景実はバカではない。 でもだからって、『やったあ!』と諸手を挙げて喜ぶ気分でももちろんなかった。 「いやだよ!今はそういう気分じゃないの!」 「今日のあなたに選択肢はありませんよ。いつもないですが」 いつもないのかよ! そう叫びかけた景実の口は、本人の意思とはまったく違う音を紡ぎ出した。 「ひぁっ!?」 あっけなくむき出しにされた下半身を、唐突な冷たさが襲う。 「セ、セバスチャン!なに!?やだっ、冷たい!」 「そうでしょうね。冷蔵庫で冷やしてましたから」 「へ?冷やしてた、って……」 景実は、嫌すぎてたまらない予感に駆られながら、視線をゆっくりと移動させていく。 そしてたどり着いたそこでは、景実の小ぶりのペニスが、茶色いチョコレートにまみれてドロドロになっていた。 「やっぱりチョコレートはビターに限りますね」 「な、なに考えてるんだよ、セバスチャン!」 「決まってるでしょう」 「なにが!」 「チョコレートプレイ、略してチョコプレイです」 「え、えええええ!?」 「この私の目の前で堂々と浮気したんですから、これくらいは当然です」 「だからアレは浮気なんかじゃなくてただのフリだって言っ――」 「どうしたんですか?」 「くっ……セバスチャンッ……やめ、てぇ……っ」 「嫌ですね、私はなにもしてませんよ。ただチョコレートを食べているだけです」 「あっ、ふぅん……!」 「ごめんなさいがあれば考えてあげないこともなかったんですが……ごのひと言もなかったですからねえ」 「ご、ごめっ……セバスチャッ……ああんっ」 「もう遅いです。私はチョコレートが食べたいんです。静かにしていてください」 「んっ……!」 ぴちゃぴちゃとわざとらしい音立てながら、セバスチャンがチョコレートを舐めとっていく。 毎日チョコレートをちゅーちゅーしながら鍛えたに違いない舌の巧みな動きに、景実の中心がぐんぐん勃ち上がってきた。 「あっ……んぅっ……セバスチャンッ」 「前だけじゃ足りませんか?」 「お、ねがいっ……きてぇっ……」 「しょうがないですね。でももう少し我慢してください。さすがに私もアレがチョコレートまみれになるのは嫌なので」 ……ってセバスチャンが塗ったんだろ! とにかく早くどうにかするなりなんとかするなりしてほしくて、景実はわざと目を潤ませる。 でもセバスチャンに自身を深いところまで口に含まれ、景実の抗議の声はいつの間にか淫らな色を帯びた喘ぎ声に変わっていた。 つい自分から求めるように腰を揺らしてしまい、景実の顔が羞恥の色に染まる。 セバスチャンはそんな景実を碧色の瞳の端でちらりと捉えただけで、舌の動きを止めてはくれなかった。 「う、あんっ……セバスチャンッ、も、やばい……っ!」 「ああ、言い忘れてました。余計なモノは出さないでくださいね」 「う……え?」 「せっかく最高級のチョコレートを旦那様が取り寄せてくださったんです。それなのに何か白いモノが混ざったりしたら、私、もういろいろ止められなくなります」 「えっ……え?だって……ひぁうっ!」 だってイキそうなんだもん、と訴えるはずだった言葉はあっさりと喉の奥に吸い込まれ、代わりにセバスチャンの細長い指が、景実の後孔につぷりと差し込まれた。 「セバスチャンッ……あ、ああんっ」 景実の身体を知り尽くしたセバスチャンの指が、中を蠢きあっさりとそこを探り当てる。 何度も執拗にイイところを擦られ、景実の背中のあちこちをゾクゾクが這い回った。 「セ、バスチャァッ……」 「だめです」 「だってぇ……あぁっ!」 「絶対に出さないでくださいね。私が良いと言うまでは」 いつになく強く咎めるような口調に、景実はやっとひとつの可能性にいきつく。 「セバス、チャン?もしかして本気で、怒って……る?」 景実の弱々しい声が空気を漂うと、セバスチャンは全身の動きをぴたりと止めた。 なくなってしまった刺激がもどかしくて、思わず太ももを寄せ合う景実を冷たいグリーンの瞳が見下ろす。 そして、 「今ごろ気付きやがったのか。この糞餓鬼(クソガキ)」 地の底を這うような声に、景実の身体がふるりと震えた。 脳から逃亡命令が発せられ、砕ける寸前の腰が準備を始める。 でもすぐにセバスチャンが、その大きな手でずり上がっていた景実の身体を力強く引き寄せた。 「セ、セバスチャ……んんんんっ」 「さて、お互いがお互いを理解したところで」 「ひゃっ……あっあっ、も、だめっ、出ちゃっ……ああっ!」 「まだだめです。私がいいと言うまでです」 「セバスチャンッ……ごめんって、ばぁっ!」 「まだまだだめです」 「ああんっ……おねがいぃっ……!」 「まだまだまだだめです」 「セバスチャン、もっ……」 「まだまだまだまだだめです」 「セバスチャッ……」 「まだまだ……」 「……っ……っ」 「まだ――…」 結局、セバスチャンから『よし』がもらえるまでイくのを小一時間も我慢させられた景実は、強く、強く心に誓った。 もう二度とセバスチャンを怒らせたりするものか――と。 fin *********** 《おまけ!》 「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」 「よく我慢できましたね、いい子です」 「はぁっ……セバスチャン」 「なんですか?」 「ごめん、ね……?」 「……」 「セ、セバスチャン?」 「……」 「セバスチャンってば……うわっ!?」 「次はホワイトチョコでいきましょうか」 「えぇっ!?な、なんで!?謝ったじゃん!」 「だめです。今度は私が我慢できなくなりました。さっきの上目遣いは反則です」 「な、なに言って……うわっ!」 「いい声を聞かせてください」 「ちょ、ちょっとセバスチャン!?」 「いただきます」 「あぁんっ!」 チョコレートなんて大嫌いだ! fin

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