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 「貴様、こんなところで寝ていて寒くはないのか」  僕は顔を上げる。  軍服姿の彼が、僕を見ていた。  「そんな処に居ては風邪を引く」  まだ地にそべったままの僕に、手を差し出す。  優しい、エチュードが聞こえる。  僕は彼の其の手に手を重ねる。  彼は笑う。  高潔な、笑顔で。  「嗚呼」  嗄れたはずの声が喉から溢れた。  枯れたはずの涙が眸から溢れた。  「また泣くのか」  彼は苦く笑い、僕の体を抱いた。  温かかった。  温かくて、また一層涙が溢れた。  夢みたい。  僕は土を握りしめる。  彼が、迎えに来てくれる、なんて。  嗚呼、屹度、此れは夢。  雪の重みに負けた菊が、撓んでいる。  其れが、すっと、背を伸ばした。  僕は、彼の軍服に縋りつく。短刀に刻印された菊花の紋。  軽く瞼を閉じる。  唇に、彼の唇が触れる。  それは冷たく、するりと溶け、再び、重なる。  「貴方をお慕いしています」  舞い落ちる雪の中、ショパンのエチュードが、いつまでも流れていた。

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