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二目惚れ

side : 井村 志信 「終電のがした」  トイレから出てきてスマホのディスプレイを見て井村は独りごちた。  しかもトイレに籠ってる間に飲み会のメンバーは店を出てしまったようだった。薄情なやつらめと思いながらも、この時間なら自宅組の井村は既に帰ったと思われても仕方ない。  出すものを出して酔いも醒め、意識ははっきりしているというかほぼ素面まで戻っている。友人に連絡するのも面倒で始発までネットカフェで過ごすことも考えたが、近日提出予定のレポートがあった事を思い出し、大学の研究室へ戻ることにして、20分間電車に揺られた。  カンカンと今だ明かりの点る工学部棟の5階までエレベーターで上がり、研究室前の廊下を進むと、廊下の突き当りの開いている非常扉からジャラジャラと牌を混ぜる音が響いていた。  屋外の、しかも非常階段の踊り場で麻雀をするのか、と半ば呆れながら研究室のドアのノブを握った。 「あー、井村じゃん」 「あれ、通いじゃなかったっけ」  青空麻雀もとい夜空麻雀を楽しんでいたのは同研究室の修士四名。こちらから顔は見えなかったが聞き覚えのある先輩らの声に振り返った。 「はぁ、終電のがしまして」 「はい、ご愁傷様ー。ここに泊まんの?」 「いえ、レポートしに」 「井村、まっじめー」 「はぁ」 「こっち来て一緒に飲もうやー」  既にできあがってるらしい先輩にコイコイと手招きされ、レポートを仕上げることに特に執着のなかった井村は誘われるままノブから手を放し、廊下を進んだ。雀卓を囲んでいたのは諏訪、佐々木、加賀、篠崎の四人だった。 「本当に麻雀してたんですね」  ビールや酎ハイの缶が地面に散乱し、その真ん中の段ボールでできた即席テーブルに敷かれているマットを見て、少しあきれ顔で呟いた。 「週末にかけて先生おらんし、気楽なんよ。自宅組は来ーへんから知らんか」 「はぁ。研究室にこんな夜にいるのも初めてですし」  4回生になり配属されて2か月。この時点で泊まりこむようなことになる研究室では困る。自分が選んだのはほどほどに忙しくほどほどに気の抜けると聞いた研究室なはずだ。 「井村もする? 麻雀」 「いや、したことないんで…」 「教えたるわー。学生の時だけやん、こんなアホできんの。ほら俺と交代」  厚めのレジャーマットに靴を脱いで、諏訪が陣取っていた座布団の上に座り込む。雑然としているのに居心地良く作られていて、秘密基地のようだ、と井村は自然と笑いが漏れるのを感じた。   「……ビギナーズラックやっば」 「ツモ? マジで? 箱ったー」  軽くルールを教えてもらい、何個か選択肢を与えられながら指示される通りに何の気なしに進めていると、半荘が終わる前に終了してしまった。訳が分からないものの、やはり勝ちというのはいいもので、井村は少し気分がよくなった。 「ほいほい、これで好きなモン買ってきんさい、後輩君」 「い、いいんですか?」  ふんふん、と頷いている佐々木にお小遣いを渡された井村がコンビニに向かおうと立ち上がると、諏訪がすでにサンダルを履いて井村を待っていた。 「俺もついてくわー」 「おう、いってら」  三人に見送られながら井村は先に歩き始めた諏訪の後ろを追いかけた。エレベーターホールでボタンを連打する諏訪を井村は、確かにイケメンだ、と思った。同学年の女子が諏訪の顔に対する賛辞を述べているのを聞いたことがあったからだ。頭はぼさぼさで無精ひげが生えてる点を踏まえてもだ。   「見惚れてんの?」  いつの間にか不躾な視線を送ってしまっていた井村は申し訳なくなって視線を外した。 「えっと、女子らが諏訪さんのことイケメンって噂してたんで」 「ふーん。んで?」 「……イケメンっすね」 「ははっ。あざーっす。面と向かって言われると照れるな」  頬をカリカリと指で掻きながら諏訪は目を泳がせた。冗談で言ったことに本気で返されて照れているようだった。その様子に、案外自覚がないのかもしれない、と井村は感じた。 「井村はこれからどうすんの? 研究室で寝るん?」 「始発で帰る予定なんで、このまま起きときます」 「なら、もう少し一緒に飲まへん?」 「いいっすよ。ビールも買います?」 「あー、俺ん家で」 「……え、戻らなくていいんすか?」 「電話しとくし」 「えっと、諏訪さんがいいんなら」  コンビニで井村が持つカゴにポンポン商品を放り込みながら聞いてきた諏訪が井村の返事を聞いてにんまりと笑うと電話をかけ始めた。会計を済ませて外に出ると井村の持っていた袋を諏訪がスッと奪う。諏訪の紳士的な一面に井村が頭半分上にある顔を見上げると、諏訪がにかっと子供っぽい笑みを浮かべた。井村はその顔を見て、見目良いものは性別関係なく魅力的だと一人納得する。 「井村は戻らんでよかったん? レポートするって言っとったやん」 「大丈夫です。まだ提出まで数日あるんで」 「よかったー。ホンマな、井村と話したかってん」 「俺とですか?」 「そー。……ほな、ついてき」  諏訪が住んでいたのは大学から徒歩10分ほどの学生用のアパートではなく2LDKほどあるマンションだった。 「広い、っすね」 「やろー」 「一人で住んでるんすか?」 「そー。金持ちやねん、なーんてな。……まあ、適当に座っとって」  諏訪にソファーを指され、大人しくそれに従う。井村は買ってきた食べ物を棚や冷蔵庫にしまう諏訪の後姿を目で追いながら、落ち着かない気分をごまかした。 「何飲む?」 「諏訪さんに合わせます」 「ポン酒でいい?」 「……大丈夫です」  自分がトイレに籠った原因となるものだったけれど、少しならば問題はないと頷いた。そこそこはいける口だ。 「諏訪さんってお酒強いんすか?」 「今まで酔ったことない、かな。井村は平気なん?」 「今日、トイレにお世話になってきました」 「あ、そー。飲み会やったんや。……なら、少しやな」  諏訪はそういって2合ほど入った小瓶を棚から取り出し、グラスを取ってテーブルに置いた。 「飲む前にシャワー浴びてくるわ。先飲んどって」 「え、あ、はい」 「あ、井村、吐いたんやったな。服貸すし、先入って来(き)ぃや。気持ち悪いやろ」 「いや、えっと、……ありがとうございます」  初めて訪れた諏訪の家で風呂に入ることに戸惑いを感じながらも、居酒屋の空気で若干脂っぽくなってしまった肌の気持ち悪さには勝てなかった。タオルと替えの服を渡され、浴室でシャワーの出し方やシャンプーの場所などを教えられる。 「口気持ち悪いんやったら、そこに使い捨ての歯ブラシあるし、使い」 「あ、助かります」 「どーぞ、ごゆっくり」  また、にかっと笑ってドアを閉めた諏訪を、まるでオカンのようだ、と井村は思った。なぜこんなに良くしてくれるのだろうと疑問に思いながらも有難くシャワーを浴び、さっぱりと身を清める。  イケメンで世話好きとか、 「女が放っとかんやん」  外見の無頓着さが改善されれば、という条件はつくもののかなりの優良物件だ。気兼ねなく話せる雰囲気も持っていて、少し人見知りする井村も緊張せずに過ごせている。  諏訪を待たせるわけには行かないとささっと濡れた身体を拭き、渡されたTシャツとショートパンツを着た。もちろん包装された新品のボクサーパンツも有難く。    入れ替わりで浴室に向かった諏訪を見送り、タオルを首にかけたままソファーに腰掛けた。  ふと、半年前に彼女と別れたことを今更思い出した。諏訪のような男なら長続きするのだろうか。自分はどうも人に興味がわかないし、その場の流れに乗ることが一番楽で、彼女にも素っ気なさすぎると別れを切り出されたな、と井村は諏訪を待つ時間を自己分析に充てた。    しばらくしてタオルで髪の毛をぐしゃぐしゃと拭きながらリビングに戻ってきた諏訪は別人だった。表現がおかしいが、髭を剃った彼は想像以上にイケメン様で、ぼさぼさの髪の毛は水分を含んで色気があった。これは女なら惚れるな、と井村は諏訪の変貌に若干感動を覚えた。 「見惚れてんの?」  聞いたことのあるセリフを諏訪が口にして、にかっと笑う。 「……イケメンっすね」 「ははっ、井村そればっかやん」  どすっと隣に腰を下ろした諏訪にどうしても目が行ってしまうのを抑えられない。井村はギャップ萌えというものを初めて感じた。 「見過ぎ」 「はぁ、すんません」 「俺は井村もなかなかいいと思うけど」 「……はぁ」 「ほな、飲も」  諏訪は横目でちらっと井村を見て、グラスに酒を注いだ。ども、と礼を言ってグラスを軽く当てて乾杯をし、ちびちびと口を付ける。   「井村って付き合ってる人おんの?」 「残念ながらいません」 「気になってる人とかは?」 「……今は、特にいないっすね。…諏訪さんこそどうなんすか」 「俺? おらんおらん。片思いの真っ最中やけどな」 「……へぇ、意外。髭剃った諏訪さんならあっさりOKでそうっすけどね」 「ほんま? やったらいいねんけどなぁ」  諏訪の十八番のにかっと笑いに井村はドキッとする。髭を剃って前髪を後ろに撫でつけた諏訪の顔は井村のツボだった。笑顔の時にたれ目が優し気にクシャっとなるところが特に。今まで男に対してそんな感情を持ったことはなかったが、気になって仕方がない。少し胸の高鳴りさえ感じて、井村はグイっとグラスをあおった。 「どんな人なんすか? 片思いの相手」 「んー。おすましさん? ちょっとツンってしとる。けど笑った顔がかわいいねん」 「へぇ。同じ学科の人?」 「そ。でも年下」 「クラブの後輩ですか?」 「……研究室、やな」 「…えっと、研究室って、女性陣5人の誰かってこと?」  諏訪が嬉しそうに片思いの相手の事を話すのになぜか胸がモヤモヤしながらも、諏訪にこんな顔をさせるのは誰なのか知りたくて井村は諏訪を質問攻めにした。また酔い始めてしまったのかもしれない。絡み上戸ではないはずなのに、と思いながら。 「まー…、そこは気にせんとって」 「そこまで言われて気にすんなっていう方が無理っすよ」 「…んー……」 「誰なんすか?」  井村の露骨な質問に諏訪の纏う雰囲気が変わり、その空気に井村はハタとやりすぎてしまったことに気付く。諏訪はそんな井村の方に向き直り、井村の両腕をつかみ引き寄せた。柔和だった眼差しが獰猛なものに変わり、その強さに井村は居た堪れなくなって目を伏せた。   「…そ、その、」 「……な、井村。そんな気になんの?」 「…すみません。…なんか気になって……」 「気になるってことは、俺に少しでも気があるって思てもいいんやんなぁ?」 「……え、」  ぐらっと視界が変わって、自分がソファーに押し倒されたことに気付いたのと、かぶさる様に乗り上げてきた諏訪に口を塞がれたのはほぼ同時だった。 「……んんっ……諏訪さ……ふっ…んーっ…」  手を取られたまま身体を押さえつけられ、抵抗らしい抵抗もできなかった。かといって舌を噛むほど嫌なわけでもなく、諏訪の若干乱暴な行為に混乱しながらも流された。鼻に抜けるような声を出し大人しくなった井村に諏訪は何度も角度を変えて深く口づけ、そして名残惜しそうに離れた。   「井村、ごめん」 「………片思いって、俺、のことなんすか」 「…そ。…けど、こんなんしたくてお前呼んだ訳ちゃうから」 「それは、その、すみません。俺の所為ですよね。俺がしつこく聞いたから」 「んー。ばれてもいいとは思ってたんやけど、ちゃんと告白したかってん。……急に男に好きやって言われても困るやろ。やから、ちょっと探ろうと思てて」  諏訪は井村の上から退いて井村を起き上がらせると肩を落とした。若干小さくなった背中が愛しく思えて、井村は笑みがこぼれるのを抑えられなかった。 「俺、おすましさんで、笑顔がかわいいんすか?」 「え? ……ははっ、そうや。そう」  一瞬ぽかんとしてから目を細めて楽しそうに笑う諏訪に目が釘づけになってしまう。先ほどから妙に心臓が音を立てている理由に井村は気付いた。分かってしまえばあっけないもので、ストンと心におさまる。 。 「俺も今、片思い、してます」  諏訪は井村を見て、笑うのを止めた。その諏訪の視線を受け止め、諏訪に褒めてもらった笑顔を浮かべる。 「世話好きなイケメンに」    

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