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片想い

 side : 諏訪 雅己  金曜日の夜、諏訪は気の合う同じ研究室の面子と大学の傍にある居酒屋で二時間ほど過ごし、いつものようにたまり場で麻雀を始めた。  ジャラジャラと牌を混ぜていると、研究室前の廊下が見える位置に座っていた加賀があ、と声を出した。誰かが研究室に戻ってきたようだったが気にせずに片手で牌を並べながらビールの缶に口を付けた。 「あー、井村じゃん」 「あれ、通いじゃなかったっけ」  篠崎もそれに続いて声をかけ、佐々木と諏訪は顔を上げた。実家から通っているはずの後輩の名前に驚きながらも思わぬ幸運に顔が緩んだ。  学部生の自宅組が週末のこの時間にいることは珍しい。後輩の井村は終電を逃してレポートをやりに研究室のパソコンを求めて戻ってきたようだった。 「こっち来て、一緒に飲もうや」  井村があまり物事に執着がなく誘えば断らない性格であるとこれまで彼を観察していた諏訪は知っていた。研究室見学に来た時に一目惚れというものをしてから気付かれない程度に目をかけて来た。井村は思った通りに諏訪達の所にやってきて、呆れ笑いを浮かべていた。 「井村もする? 麻雀」 「いや、したことないんで」 「教えたるわー。学生の時だけやん。こんなアホできんの。ほら俺と交代」  頷いて靴を脱いだ井村はなぜか微笑んでいて、諏訪はその穏やかな笑みに心惹かれた。井村を自分が座っていた所に誘い、諏訪は井村の斜め後ろ鎮座した。自分から近くに座ったものの井村の細く伸びるうなじが目に入りドキリとする。  必死に感情を抑えて指示を出すが、牌を取る度に振り返って顔色を窺って来る上、若干伏せ目で並ぶ牌を眺める井村の横顔に諏訪は悶々とした。  ビギナーズラックというものは実際にあるもので、意味が分からずとも勝てたことに井村も満更ではなさそうだった。 「ほいほい、これで好きなモン買ってきんさい、後輩君」 「い、いいんですか?」  佐々木が井村に小遣いを渡している間に立ち上がってサンダルを履き、廊下を進むと後ろから少し駆け足の足音がして井村がついてくることに嬉しさが込み上げてきた。  エレベーターホールで待っていると井村が妙に自分を見ている気がして向き直ると、上から下まで諏訪の事をチェックしているようだった。 「見惚れてんの?」  冗談で言ってみると、井村は気まずそうに視線を外して、床を見た。 「えっと、女子らが諏訪さんのことイケメンって噂してたんで」 「ふーん。んで?」  女子にそんな風に見られていたとは意外だったが、井村からどう見られているのか気になって諏訪は悪戯気分で聞いた。 「……イケメンっすね」  井村が上目使いで返してきた真っ直ぐな返事に狼狽えるしかなく、諏訪は目のやり場に困った。   「諏訪さんってなんかスポーツしてたんすか?」 「テニスやってた。高校までやけど」 「大学ではしてないんすか?」 「…他にしたいことできて、テニス自体辞めたかな」 「へぇ。したいこと……」 「井村は? なんかしとったん?」 「あー、俺は基本運動は苦手で…。ずっと帰宅部してました」 「そうなんや。趣味とかは?」 「……本読むことぐらいすね」 「ほんまに真面目なんやなー」  コンビニに行くまで途切れることなく会話は弾み、井村の表情が柔らかくなってくるのが分かった。これはチャンスかもしれないと、諏訪は先輩後輩の関係ではなく少しでも距離を縮めようと決めて、井村を自宅に誘った。  やはり井村は断らずに諏訪に付いてきた。  旅行好きな両親が泊まりに来ることもあり、2LDKと学生の一人暮らしには広い部屋を借りている。部屋に入った途端、井村の動きがぎこちなくなり、居心地が悪そうにしていた。そんな井村をソファーに座る様に促す。 「諏訪さんってお酒強いんすか?」 「今まで酔ったことない、かな。井村は平気なん?」 「今日、トイレにお世話になってきました」 「あ、そー。飲み会やったんや。……なら少しやな。  最近ハマっている日本酒を手に取り、井村の横に腰掛けようとするが、自分から匂う煙草と酒の匂いに井村の横に座ることに気が引けた。相手が男とは言え、自分に悪いイメージは持って欲しくないと、諏訪は思った。  井村も吐いてきたなら、シャワーぐらい浴びたいだろう。遠慮しないように自分も入ることを告げて井村にも入らせた。    ふと、諏訪は今まで提案したことに悉く従っている井村に若干不安を覚える。こいつはいつもこの調子なのだろうか。誰にでもついていくのだろうか、と。  シャワーを浴びて出てきた井村にその不安は一層濃くなった。濡れた髪に温まって少し上気した頬。水分を含んでふっくらとした赤い唇にかぶりつきたくなる衝動を必死で抑えた。   「……これはあかん」  逃げる様にして浴室に入って自分を諌め、溜息をつく。お近づきになりたいと誘ったのに井村を抱きたい欲求に駆られてしまうとは。 「キスぐらいはいいんちゃうか……」  と、髭を剃ってしまう自分は重症だと諏訪は鏡に映る、井村にイケメンと評された顔を眺めながら思う。  リビングに戻るとソファーに所在なげに座る井村が諏訪に気付いて振り向き、そのまま諏訪の顔を凝視して固まった。その反応が素直過ぎて諏訪は目を細めた。 「見惚れてんの?」 「……イケメンっすね」 「ははっ、井村そればっかやん」  予想通りの答えに諏訪は心嬉しくなる。横に腰掛けても視線を外そうとしない井村にいよいよ恥ずかしさを感じて、井村の頭を小突く。 「俺は井村もなかなかいいと思うけど」  がっつり好みです、と心の中で呟きながら酒を注ぎ、井村にグラスを渡した。 「井村は付き合ってる人おんの?」 「残念ながらいません」 「気になってる人とかは?」 「……今は、特にいないっすね。…諏訪さんこそどうなんすか」 「俺? おらんおらん。片思いの真っ最中やけど」  井村に意中の人がいないことに安堵するが、イコール諏訪に興味なしということで、複雑な気持ちになる。 「……へぇ、意外。髭剃った諏訪さんならあっさりOKでそうっすけどね」 「ほんま? やったらいいねんけどなぁ」 「…どんな人なんすか? 片思いの相手」  ぐいっとグラスをあおった井村が手元を見ながら聞いてきたことに、少しでも気になってくれているのか、と諏訪の気持ちは浮き立った。お前だよ、と口を突いて出そうになるのをぐっと我慢しながら、井村のツンとした表情や笑顔を思い出して顔が綻ぶ。 「んー。おすましさん? ちょっとツンってしとる。けど笑った顔がかわいいねん」 「へぇ。同じ学科の人?」 「そ。でも年下」 「クラブの後輩ですか?」  いやに食いついてくる井村にもう酔ってきたのかと顔を窺ってみるが、いたって普通というか眉を寄せていた。これはもしかするともしかするかもしれない、と諏訪は淡い期待を抱く。 「……研究室、やな」  そう答えると、はっと井村は諏訪の方を向き、こぼれんばかりに目を見開いてから目を伏せた。 「…えっと、研究室って、女性陣5人の誰かってこと?」 「まー…、そこは気にせんとって」  やはり井村はノンケだ、とはっきり分かって期待は外れ、諏訪はこれ以上話すことは無理だと言葉を濁した。 「そこまで言われて気にすんなっていう方が無理っすよ」 「…んー……」 「誰なんすか?」  これまで観察してきた中で基本的に人に興味の薄かったはずの井村がここまで興味を示していることに諏訪は驚きを隠せなかった。その上、拗ねたような顔をしてズイッと迫ってくる井村に諏訪の理性がきかなくなる。  井村の腕を掴むと、井村は申し訳なさそうに目を伏せた。その顔でさえ欲情の対象になる。 「気になるってことは、俺に少しでも気があるって思てもいいんやんなぁ?」  口を開きかけた井村を押し倒し、口を塞ぐ。最初こそ身を捩って抵抗していたものの、素直に受け入れ始めた井村に諏訪は何度も角度を変えて井村を味わった。やってしまった、これは終わった、と口を離した時の井村の潤んだ目を見て、諏訪は絶望した。 「井村、ごめん」 「………片思いって、俺、のことなんすか」 「…そ。…けど、こんなんしたくてお前呼んだ訳ちゃうから」 「それは、その、すみません。俺の所為ですよね。俺がしつこく聞いたから」 「んー。ばれてもいいとは思ってたんやけど、ちゃんと告白したかってん。 ……急に男に好きやって言われても困るやろ。やから、ちょっと探ろう思てて」  井村が逃げたり怒ったりしなかったことに安心すると同時に申し訳なさで居た堪れなくなる。殴られる覚悟でいたのだが。   「俺、おすましさんで、笑顔がかわいいんすか?」  唐突に言った井村に顔を向けると、柔らかに微笑んでいた。その微笑みと言葉の意味が理解できなかった諏訪は一瞬目を瞠る。  先ほど自分が言った片思いの相手の特徴が井村のものであると知られてしまったことにどうしようもなく笑いがこみ上げる。    「そうや。そう」 「……俺も今片思い、してます」  先ほど気になる人はいないと言っていた井村の変化に諏訪は笑うのを止め、井村を見つめた。 「世話好きなイケメンに」  井村は諏訪の眼差しを受け止めると少しはにかみながら笑ってそう言った。「イケメン」と井村が表現するということは……、 「……それって、……俺のこと?」 「はい。…えっと、一目惚れじゃなくて、二目惚れ、ですかね」 「……ほんまなん?」 「…こ、こんなん嘘で言いません」 「そ、そうやんな。……そっかぁ。ほんまか」 「……き、キスされても、い、嫌じゃなくて。もうその時点で、好きというかなんというか」  井村が自信をもって告白のようなものをしたのにモジモジと恥ずかしそうに尻すぼみになってくるのを見て、諏訪は顔がにやけるのを抑えられなかった。 「ほんなら、もう一回したらちゃんとわかるってことやんな」 「え…、は、はい」 「なあ。キスしてええ?」 「…はい」  少し俯き加減で答えた井村を諏訪がそっと抱きしめると、井村は赤い顔を上げて、瞼を閉じた。

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